↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/18

06.兄貴は便利

 目覚ましが鳴る五分前。


 俺は目を覚ました。


 時計を見る。


 午前六時五十五分。


 早い。


 いつもなら、あと五分、あと三分、あと一分と布団の中で粘り続け、

 最後には母さんに叩き起こされるところだ。


 しかし今日は違った。


 俺には、重大な使命がある。


 ――妹を起こす。


 昨日の夜、莉奈に頼まれた。


 たったそれだけのことなのに、俺はなぜか妙な責任感に包まれていた。


 「……兄貴として、ちゃんとしないとな」


 誰も聞いていないのに、俺は小さく呟いた。


 兄貴。


 その言葉には、不思議な力がある。


 父親でもない。


 友達でもない。


 ただの同居人でもない。


 兄。


 誰かからそんな役割を与えられたのは、人生で初めてだった。


 俺は一人っ子だった。


 だから、兄という立場を知らない。


 年下の誰かに頼られることも。


 朝、起こしてやることも。


 「兄貴」と呼ばれることも。


 全部、想像の中にしかなかった。


 だから今。


 実際に俺を頼っている妹がいる。


 その事実が、俺には少しだけ眩しかった。


 「よし」


 俺は布団から出た。


 冷たい床に足をつける。


 そして、自分の部屋を出た。


 廊下の向こうに、莉奈の部屋がある。


 ここから先は未知の領域だ。


 もちろん少し前から住み始めたのだから、入ったことはない。


 だから。


 兄として、ここは慎重に――。


 コンコン。


 「莉奈。朝」


 返事がない。


 もう一度。


 コンコン。


 「おーい」


 無音。


 俺は少し不安になった。


 「……まだ寝てる?」


 まあ、頼んできた本人が起きているわけがない。


 ドア越しに声をかける。


 「莉奈、起きろー」


 「…………」


 やっぱり返事はない。


 俺は腕を組んだ。


 なるほど。


 これが妹を起こすというやつか。


 俺の脳内に、様々な漫画やゲームで見てきたシーンが蘇る。


 優しい兄が妹を起こす。


 妹が眠そうに、


 「お兄ちゃん、あと五分……」


 なんて言う。


 兄は微笑みながら、


 「しょうがないな」


 とか言う。


 ――完璧だ。


 俺はそんな展開を期待しながら、もう一度声をかけた。


 「莉奈」


 「…………」


 「起きないと遅刻するぞ」


 「…………」


 「……起きろ」


 「…………うるさい」


 「起きてた!」


 ドアの向こうから、くぐもった声が返ってきた。


 「起きてる?」


 「起きてない」


 「どっちだよ」


 「眠い」


 「いや、それは分かるけど」


 俺が笑うと、しばらくしてドアが少しだけ開いた。


 髪がぼさぼさの莉奈が顔を出す。


 「……朝からうるさい」


 「お前が起こしてって言ったんだろ」


 「そうだっけ」


 「忘れるなよ!」


 莉奈は眠そうに目をこすった。


 「あと十分」


 「駄目」


 「じゃあ五分」


 「駄目」


 「三分」


 「値引き交渉するな」


 「じゃあ二分」


 「それもう誤差だろ」


 莉奈は少しだけ笑った。


 その顔を見て。


 俺も笑った。


 なんだ。


 妹を起こすって、意外と楽しいじゃないか。


 「じゃあ、朝ご飯だからな」


 「分かった」


 「絶対来いよ」


 「……うん」


 ドアが閉まる。


 俺はその場に立ったまま、満足していた。


 よし。


 完璧な兄だった。


 妹を優しく起こす。


 少しだけ会話する。


 最後には妹が素直に従う。


 これはかなり理想に近い。


 俺は軽い足取りで階段を下りた。


 ――その十分後。


 莉奈は来なかった。


 「……」


 さらに五分。


 来ない。


 さらに三分。


 来ない。


 母さんが味噌汁をよそう。


 「莉奈ちゃんは?」


 「起こした」


 「そう」


 「ちゃんと返事もしてた」


 「それなら、もう少し寝てるんじゃない?」


 「いや、今日は学校――」


 そこまで言って、俺は時計を見る。


 午前七時二十分。


 「……まずい」


 「どうしたの?」


 「遅刻する」


 俺は立ち上がった。


 二階へ駆け上がる。


 そしてドアを叩く。


 「莉奈! 七時二十分!」


 「……」


 「おい!」


 「……ん」


 「起きろ!」


 ドアを開ける。


 莉奈は布団の中にいた。


 「あと五分……」


 「さっき五分って言っただろ!」


 「だって眠い」


 「それは知ってる!」


 俺は呆れた。


 理想の妹。


 そんなものは、最初からいなかった。


 妹という生き物は。


 たぶん。


 そして、容赦なく兄を使う。


 「ほら、早くしろ」


 「兄貴」


 「何?」


 「制服」


 「着れば?」


 「こっちに置いて」


 「…………」


 俺は椅子に置かれていた制服を見る。


 「なんで俺が?」


 「お願い」


 「自分でやれよ」


 「……兄貴」


 「…………」


 その呼び方。


 ずるい。


 なんだかんだ言っても、俺はその言葉に弱い。


 「はいはい」


 制服を渡す。


 「ありがとう」


 「どういたしまして」


 俺は部屋を出た。


 階段を下りながら考える。


 俺は今。


 妹の制服を渡した。


 朝起こした。


 これって。


 兄として、かなりポイントが高いのでは?


 そう思った自分が。


 少しだけ恥ずかしかった。


   ◇


 十分後。


 莉奈がリビングへやって来た。


 「遅い!」


 俺が言うと、


 「ごめん」


 ではなく。


 「パン」


 だった。


 「……何?」


 「パン取って」


 「自分で取れ!」


 「届かない」


 届く。


 普通に届く。


 「お前、俺を何だと思ってる?」


 「兄貴」


 「回答になってない」


 「じゃあ、便利な兄貴」


 「悪化してる!」


 母さんが笑っている。


 「遼太、取ってあげれば?」


 「母さんまで!」


 「いいじゃない。兄妹なんだから」


 その言葉に。


 俺は少しだけ黙った。


 兄妹。


 その言葉が、まだ自分の中で完全には馴染んでいない。


 でも。


 嫌ではなかった。


 むしろ。


 もっと馴染んでほしいと思っている自分がいた。


 俺はパンを取った。


 「ほら」


 「ありがと」


 莉奈が受け取る。


 そして、何事もなかったように食べ始める。


 俺は向かい側の席に座った。


 「……なあ」


 「何?」


 「一応聞くけど」


 「うん」


 「俺が兄でよかった?」


 口に出した瞬間。


 自分でも恥ずかしくなった。


 何を聞いているんだ、俺は。


 家族になって二日目だぞ。


 そんなこと、答えられるわけがない。


 莉奈はパンを食べながら、少し考えた。


 「……まあ」


 「まあ?」


 「悪くない」


 「……!」


 胸の奥が熱くなった。


 その一言だけで。


 昨日から抱えていた妙な緊張が、少しだけほどけた。


 「そ、そうか」


 「うん」


 「じゃあ、もっと兄を敬ってもいいんだぞ」


 「調子に乗らないで」


 「すみません」


 即答だった。


 母さんが笑う。


 俺も笑う。


 ただ。


 莉奈が一瞬だけ。


 俺の顔を見ていたことに。


 俺は気づかなかった。


 その目は。


 ほんの少しだけ安心したように見えた。


   ◇


 学校へ向かう時間が近づく。


 俺の高校と莉奈の高校は違う。


 だから、駅まで一緒に行く。


 それが今の俺たちの、最初の習慣になりつつあった。


 「忘れ物ない?」


 「ない」


 「本当に?」


 「あると思う?」


 「お前ならありそう」


 「失礼」


 靴を履く。


 玄関を出る。


 朝の空気は冷たかった。


 「兄貴」


 「ん?」


 「今日、帰り何時?」


 「今日も六時くらい」


 「そっか」


 また、その質問だ。


 昨日も聞かれた。


 何時に帰る。


 夕食を一緒に食べる。


 明日の朝起こして。


 そんな小さなお願い。


 全部、繋がっているような気がした。


 「なんで?」


 「……別に」


 莉奈は前を向く。


 俺は少し考える。


 そして。


 「じゃあ、帰る時間合わせる?」


 「別に」


 「またそれか」


 「兄貴が勝手に合わせれば」


 「はいはい」


 莉奈は少しだけ笑った。


 俺も笑う。


 駅が近づいてくる。


 昨日と同じ道。


 昨日と同じ朝。


 だけど。


 隣に誰かがいる。


 そしてその誰かが。


 自分を待っている。


 その事実は。


 思っていた以上に、人間の心を温かくするものだった。


 「じゃあ、また帰り」


 「うん」


 莉奈が駅の反対側へ向かう。


 俺も自分のホームへ向かう。


 数歩進んだところで。


 「兄貴!」


 振り返る。


 莉奈が手を上げている。


 「何?」


 「……行ってらっしゃい」


 ほんの小さな声だった。


 俺は一瞬、何も言えなかった。


 昨日まで。


 そんな言葉を俺に言ってくれる人はいなかった。


 もちろん母さんは言ってくれる。


 でも。


 妹から言われる「行ってらっしゃい」は。


 俺にとって初めてだった。


 「……行ってきます」


 莉奈が頷く。


 そして離れていく。


 俺はその背中を見送りながら。


 不思議な気持ちになった。


 たった二日だ。


 まだ二日しか経っていない。


 それなのに。


 俺の中では、もう。


 前までの「妹が欲しい」という願いより。


 「今日も帰ったら莉奈がいる」という事実のほうが。


 ずっと現実味を持ち始めていた。


 願いというものは。


 叶った瞬間に終わるものだと思っていた。


 でも、違うのかもしれない。


 本当に大切なのは。


 願いが叶った、その後なのだ。


 叶ったものをどう大切にするのか。


 どんな関係を作っていくのか。


 それを決めるのは。


 きっと、願いを叶えた天使ではない。


 俺自身なのだ。


 そう考えたところで。


 ポケットの中のスマートフォンが震えた。


 莉奈からだった。


 『兄貴』


 それだけ。


 俺は返信する。


 『何?』


 すぐに返事が来た。


 『帰り、コンビニ寄って』


 …………。


 俺は画面を見つめた。


 そして。


 「結局それかよ!」


 駅前に俺の声が響いた。


 通りすがりの人たちが一斉に振り返る。


 恥ずかしい。


 でも。


 なぜだか笑ってしまった。


 妹というのは。


 やっぱり。


 俺が思っていたものとは、少し違うらしい。


 そして、その「少し違う」が。


 今の俺には。


 妙に心地よかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。