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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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05.妹のいる生活

 その日の放課後。


 俺は校門を出たところで、スマートフォンを確認した。


 メッセージが一件。


 差出人は――莉奈。


 『もう帰る?』


 たったそれだけの文章だった。


 なのに。


 なぜだか、妙に嬉しかった。


 昨日まで、俺のスマートフォンにこの名前が表示されることはなかった。


 当然だ。


 昨日まで、俺には妹がいなかったのだから。


 たった一日。


 それだけで。


 俺の日常には、知らない人間の名前が一つ増えた。


 その事実が、まだ少し不思議だった。


 『今から帰る』


 送る。


 数秒後。


 『分かった』


 返信。


 それだけ。


 たったそれだけなのに、俺はしばらく画面を見ていた。


 何か話したほうがいいのだろうか。


 例えば、


 『学校どうだった?』


 とか。


 『何か困ってない?』


 とか。


 兄らしいメッセージなら、そのくらい普通なのかもしれない。


 でも。


 やりすぎると嫌がられるかもしれない。


 まだ会って二日目だ。


 家族になったとはいえ、俺たちは昨日まで赤の他人だった。


 家族という関係だけが先に与えられて、中身はまだ何も追いついていない。


 そう考えると。


 「兄妹」という言葉は、案外簡単に口にできるものではないのかもしれない。


 家族というのは、血縁だけで完成するものではない。


 たぶん。


 同じ時間を過ごして。


 同じことで笑って。


 時には喧嘩をして。


 少しずつ相手の癖を知って。


 ようやく後から、「家族だったんだ」と気づくものなのだ。


 俺はそんなことを考えながら歩いていた。


 ――その途中。


 「……あれ?」


 見覚えのある後ろ姿があった。


 制服。


 黒い髪。


 肩にかかる鞄。


 莉奈だった。


 ただし、俺の通う高校とは違う制服だ。


 当然だ。


 俺と莉奈は、別々の高校に通っている。


 だから学校では会わない。


 それが少し寂しいような。


 逆に、少し安心するような。


 複雑な気分だった。


 「おーい」


 「……!」


 莉奈が振り向いた。


 目が合う。


 すると。


 「……なんでいるの?」


 「今から帰るって言ってただろ」


 「そうじゃなくて。なんで声かけるの」


 「妹を見かけた兄が無視するほうがおかしいだろ」


 「……別に」


 莉奈はそう言ったあと、歩き出した。


 俺も隣に並ぶ。


 「今日どうだった?」


 「普通」


 「楽しかった?」


 「普通」


 「お前、『普通』しか言わないの?」


 「兄貴もいちいち聞きすぎ」


 「……はい」


 会話終了。


 俺たちはしばらく無言で歩いた。


 気まずい。


 ものすごく気まずい。


 理想の兄妹なら、ここで妹が、


 「お兄ちゃん、今日ね!」


 とか言い出すはずなのだ。


 俺の妹は言わない。


 むしろ質問を嫌がっている。


 現実は厳しい。


 「……兄貴」


 「ん?」


 「学校では、私たちのこと言わないでね」


 「なんで?」


 莉奈は少し考えるように黙った。


「……なんか、恥ずかしいから」


 その言葉が、妙に印象に残った。


 俺は、それ以上聞かなかった。


 聞けば答えてくれるかもしれない。


 けれど。


 答えを急がせる必要もない。


 莉奈にとって学校は、莉奈自身の場所なのだろう。


 家族になったからといって、その全部に俺が入っていいわけではない。


 「分かった」


 「……ありがと」


 「別に」


 俺は前を向いた。


 少しだけ、距離が縮まった気がした。


 ほんの数センチ。


 でも、家族になるというのは、たぶんこういう小さな積み重ねなのだ。


 すると。


 「兄貴」


 「何?」


 「コンビニ寄りたい」


 「一人で行けば?」


 「……一緒に来て」


 「…………」


 俺は立ち止まった。


 「今の、もう一回言って」


 「嫌」


 「お願いだから!」


 「うるさい」


 莉奈が少し笑った。


 その笑顔を見て。


 俺も笑ってしまった。


 ――ああ。


 この子は。


 俺に何かを頼むことで、少しだけ距離を縮めようとしているのかもしれない。


 そんな考えが、ほんの一瞬だけ頭をよぎった。


 でも。


 たぶん違う。


 きっとただのパシリだ。


 ……そう思うことにした。


   ◇


 コンビニを出る。


 莉奈の手にはプリンが一つ。


 俺の手には何もない。


 「それ、俺のじゃないの?」


 「私の」


 「兄貴に買わせたのに?」


 「兄貴が自分の分を買わなかったのが悪い」


 「理不尽だ!」


 「はいはい」


 莉奈が笑う。


 そのとき。


 不意に、風が吹いた。


 髪が揺れる。


 莉奈は片手でそれを押さえた。


 夕方の空は、昼より少し赤い。


 道の向こうでは、学生たちが笑いながら歩いている。


 どこにでもある夕方。


 何も特別なことなんてない。


 なのに。


 俺は、その景色を妙に大切なもののように感じていた。


 一人だった頃には、見慣れていたはずの景色。


 それが今は違って見える。


 隣に誰かがいる。


 ただそれだけで。


 世界は少しだけ違う顔をする。


 「兄貴」


 「ん?」


 「……今日」


 莉奈が前を向いたまま言った。


 「朝、ありがと」


 「何が?」


 「駅まで送ってくれたの」


 「ああ」


 「……別に。言っておきたかっただけ」


 「そっか」


 「うん」


 それ以上、何も言わない。


 でも。


 その言葉は、なぜだか一日中聞きたかった言葉よりも嬉しかった。


 「じゃあ、明日も送ろうか?」


 「え」


 「嫌ならいいけど」


 「……別に」


 「別に?」


 「送って」


 「はいはい」


 「何、その言い方」


 「妹のお願いを聞いてあげる優しい兄だから」


 「自分で言う?」


 「言う」


 「……変なの」


 莉奈が笑う。


 俺も笑う。


 俺はしばらく、莉奈を見ていた。


 そして気づいた。


 「明日も一緒にいたい」と考えていた。


 それが。


 なぜだか、とても大きなことのように思えた。


   ◇


 家に帰る。


 「ただいま」


 「ただいま」


 「おかえり2人とも」


 母さんの声。


 俺は靴を脱いだ。


 自分の部屋へ向かう。


 階段を上がりながら考える。


 妹というものは。


 もっと華やかで。


 もっと劇的で。


 もっと特別なものだと思っていた。


 でも実際には。


 一緒に歩くこと。


 どうでもいいことで言い合うこと。


 そんな、どうでもいいことの積み重ねなのかもしれない。


 そして。


 その「どうでもいい」が。


 人間にとっては、案外どうでもよくないのかもしれない。


 部屋の前まで来る。


 そのとき。


 「兄貴」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 「何?」


 莉奈が少しだけ困った顔をしている。


 「……明日の朝」


 「うん」


 「起こして」


 「…………」


 俺は思わず笑ってしまった。


 「お前、自分で起きろよ」


 「無理」


 「なんで?」


 「眠いから」


 「理由になってない」


 「兄貴だから」


 「万能ワードにするな!」


 莉奈が笑う。


 「じゃあ、お願い」


 「……はいはい」


 「ありがと」


 そう言って、莉奈は自分の部屋へ入っていった。


 俺は廊下に一人残る。


 そして。


 小さく笑った。


 ――やっぱり。


 俺の妹は、理想とは全然違う。


 でも。


 理想とは違うからこそ。


 俺はこの子のことを、もっと知りたいと思った。


 妹だから。


 ではなく。


 莉奈だから。


 そのことを、俺はまだ言葉にできなかった。


 ただ。


 明日の朝が。


 少しだけ楽しみだった。


   ◇


 翌朝。


 目覚ましが鳴るより先に。


 俺は目を覚ました。


 理由は、ひとつ。


 昨日。


 莉奈に「起こして」と頼まれたからだ。


 俺は布団の中で、しばらく天井を見上げた。


 そして思った。


 ――これって。


 もしかして。


 「兄として必要とされている」というやつなのではないだろうか。


 俺はゆっくり起き上がった。


 どうやら。


 妹のいる生活は。


 思っていたより、ずっと忙しい。


 そして。


 思っていたより。


 ずっと悪くないらしい。


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