↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/30

29.兄を敬え!

 朝、目を覚ます。


 カーテンの隙間から差し込んだ光が、部屋の床に細い線を作っていた。


 以前なら、目覚まし時計が鳴るまで布団の中で粘っていた。


 学校がある。

 起きなければならない。

 それだけだった。


 けれど今は違う。


 階下から、かすかな物音が聞こえる。


 冷蔵庫を開ける音。


 食器が触れ合う音。


 そして――。


 「兄貴ー」


 聞き慣れた声。


 「……朝から何」


 「起きてるなら早く来て」


 「用件を言え」


 「お腹すいた」


 「自分で食べろ」


 「兄貴なんだから朝ごはん準備して」


 「その『兄貴なんだから』って便利すぎない?」


 「便利だよ?」


 さらりと言われてしまった。


 僕は布団の中で天井を見つめた。


 以前なら、このやり取りを夢にまで見ていたかもしれない。


 ゲームの中に出てくるような、可愛い妹。


 朝になれば起こしに来てくれて。


 兄に甘えて。


 少し照れながら「お兄ちゃん」と呼んで。


 そんな存在。


 けれど、現実の妹は違う。


 「兄貴、牛乳なくなった」


 「知らん」


 「買ってきて」


 「朝から?」


 「学校から帰る途中で」


 「自分で買えばいいじゃん」


 「重い」


 「一本だろ」


 「兄貴、男でしょ」


 「その理屈ずるくない?」


 「じゃ、よろしく」


 ドアの向こうから足音が遠ざかっていく。


 僕はため息をついた。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 むしろ――。


 少し、嬉しい。


 頼られるから。


 必要とされるから。


 妹が僕を『兄』として扱ってくれるから。


 それが、こんなにも嬉しいものだとは知らなかった。


   ◇


 「じゃ、行こ」


 朝食を終えると、莉奈が玄関で靴を履いていた。


 「一緒に?」


 「駅まで」


 「珍しいな」


 「何その言い方」


 「いや、最近はいつも先に行ってるじゃん」


 「今日は一緒に行きたい気分なの」


 「そうですか」


 「何笑ってんの」


 「別に」


 「絶対笑ってる」


 僕たちは家を出た。


 並んで歩く。


 家から駅までは、それほど遠くない。


 幼い時は、この道を母と二人で歩いた。


 もっと昔は、父もいた。


 その頃のことを思い出すと、胸の奥が少しだけ痛む。


 でも今は、その隣に莉奈がいる。


 同じ家を出て。


 同じ道を歩いて。


 同じ駅に向かう。


 ただ、それだけ。


 それだけなのに。


 僕はふと思った。


 家族というものは、こういうものなのかもしれない。


 大きな出来事が起きることではない。


 記念写真に残るような特別な一日でもない。


 朝、顔を合わせる。


 くだらないことで言い合う。


 一緒に歩く。


 帰ってくる。


 その繰り返し。


 人間は、特別な記憶だけで生きているわけではない。


 むしろ、何でもない一日の積み重ねによって、『ここが自分の居場所だ』と感じるのかもしれない。


 「……兄貴」


 「ん?」


 「今日、帰り一緒になったら、一緒に帰ろ」


 「いいよ」


 「即答?」


 「嫌なの?」


 「……別に」


 莉奈は前を向いた。


 耳が少し赤くなっている。


 僕は何も言わなかった。


 きっと、こういうところなのだ。


 家族というものは。


 言葉にしすぎると壊れてしまいそうなものを、何でもない顔で大切にしていく。


 「じゃ、ここで」


 駅に着くと、莉奈は別のホームへ向かう。


 「友達に変なこと言わないでよ」


 「何を?」


 「……その、私が兄貴に甘えてるとか」


 「甘えてる自覚あったんだ」


 「ない!」


 莉奈は僕を睨んだ。


 それから少しだけ笑って。


 「……じゃあ、また」


 「うん。また」


 小さく手を振って、莉奈は人の流れの中へ消えていった。


 僕も自分の電車に乗る。


 別々の学校。


 別々の友達。


 別々の世界。


 それでも、帰る場所は同じ。


 不思議なものだった。


   ◇


 「おはよう、遼太くん」


 教室に入ると、灯里が声をかけてきた。


 「おはよう、灯里」


 「なんだか今日、機嫌よくない?」


 「そう?」


 「うん。いつもより少しだけ」


 鋭い。


 「朝、妹と一緒に駅まで歩いてきた」


 「ああ、それで」


 「そんなに分かる?」


 「分かるよ」


 灯里は笑った。


 「遼太くんって、妹ちゃんの話するとき、ちょっと嬉しそうだから」


 「そうかな」


 「そうだよ」


 その言葉を聞いて、僕は少し考えた。


 僕は昔、『妹が欲しい』と思っていた。


 けれど、今になって思う。


 欲しかったのは、妹という記号ではなかった。


 誰かが自分を『兄』と呼んでくれること。


 自分の帰りを待ってくれる人がいること。


 自分が帰りたいと思える場所があること。


 そういうものだったのだ。


 「……家族って、いいな」


 僕が呟くと、灯里は一瞬だけ目を丸くした。


 「うん」


 それから、優しく笑った。


 「いいよね」


 その笑顔を見た瞬間。


 胸の奥で、何かが静かに動いた。


 莉奈といると安心する。


 家に帰ると、落ち着く。


 母と食卓を囲むと、あたたかい。


 けれど、灯里を見ると――少し違う。


 もっと近くにいたいと思う。


 もっと話したい。


 自分のことを知ってほしい。


 灯里のことも、もっと知りたい。


 それは、『家族が欲しい』という気持ちとは違っていた。


 似ているようで、全然違う。


 人と人との距離には、いろいろな形がある。


 家族になる距離。


 友達になる距離。


 そして、そのどちらでもない場所へ進んでいく距離。


 僕は、その違いを意識した。


 「遼太くん?」


 「え?」


 「どうしたの?」


 「いや……」


 僕は少し迷ってから、笑った。


 「灯里と話してると、なんか落ち着くなって」


 「……それ、ずるい」


 「え?」


 「そういうの、急に言わないでよ」


 灯里は恥ずかしそうに目を逸らした。


 その横顔を見て、僕の心臓が少し速くなる。


 なるほど。


 これが、好きということなのかもしれない。


   ◇


 放課後。


 僕が靴を履き替えていると、スマホが震えた。


 『兄貴』


 『今どこ』


 『駅』


 『じゃあ待ってて』


 『なんで』


 『一緒に帰るって言ったじゃん』


 僕は画面を見て笑った。


 その直後、別の通知が届く。


 『遼太くん』


 灯里からだった。


 『明日少し話したいことがあるんだけど、放課後時間ある?』


 僕は二つの画面を交互に見た。


 家族の待つ場所。


 そして、好きになった人からの連絡。


 どちらも、僕にとって大切なものになっていた。


 昔の僕は、何かを大切にするなら、ひとつしか選べないと思っていた。


 妹が欲しい。


 家族が欲しい。


 誰かに必要とされたい。


 そんな願いを、一つの形に押し込めようとしていた。


 でも違った。


 人間の心には、居場所を一つしか置けないほど小さくない。


 家族がいて。


 友達がいて。


 好きな人がいて。


 その全部が、自分の人生の中に同時に存在していい。


 むしろ、人と人とのつながりは、増えることで誰かが消えるのではなく、

 増えた分だけ世界そのものが広がるのだ。


 僕は灯里に返信した。


 『うん。少しなら大丈夫』


 そして、莉奈にも送る。


 『駅で待ってる』


 返信はほとんど同時に来た。


 『遅れたら兄失格』


 『……分かったよ』


 僕はスマホをポケットにしまった。


 そして、少しだけ笑った。


 妹ができたことで、僕の世界は狭くなると思っていた。


 実際には、その逆だった。


 家族が増えた。


 大切な人が増えた。


 そして僕自身も、少しずつ変わっている。


 駅へ向かう。


 その途中で、僕はふと足を止めた。


 ――明日は、今日より少しだけ違う日になるかもしれない。


 そんな予感がした。


 でも。


 家に帰れば、きっといつも通りだ。


 『兄貴、プリン』


 たぶん、そう言われる。


 だから僕も、きっといつも通り答えるのだ。


 『自分で買え』


 そう言いながら。


 少しだけ嬉しくなってしまうのだろう。


 家族というのは。


 案外、そういうものなのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。