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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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23/30

23.今度は俺が助けられる

 翌日の朝。


 俺は、目を覚ました瞬間から少しだけ機嫌がよかった。


 理由は単純だ。


 昨日の帰り道。


 灯里に、


 「明日も一緒にやってほしい」


 と言われた。


 それだけ。


 たったそれだけなのに。


 朝起きてから、何度も思い出してしまう。


 別に。


 告白されたわけじゃない。


 特別な約束をしたわけでもない。


 ただ、文化祭の準備を手伝ってほしいと言われただけだ。


 それなのに。


 俺は。


 少しだけ楽しみにしていた。


 そんな自分が。


 少しおかしい。


 「兄貴」


 廊下から莉奈の声がする。


 「起きてる」


 「じゃあ、早く」


 「分かった」


 ドアを開ける。


 莉奈が立っていた。


 「おはよう」


 「おはよ」


 「今日は早いな」


 「兄貴が起きるの遅いだけ」


 「昨日もそうだったな」


 「事実だから」


 莉奈が笑う。


 その笑顔を見て。


 俺も笑った。


 最近。


 家の中の空気がずいぶん柔らかくなった。


 以前は。


 「兄貴だから」


 という言葉が、どこか命令のように聞こえた。


 今は。


 少し違う。


 頼る。


 甘える。


 笑う。


 その全部が。


 少しずつ自然になっている。


 「兄貴」


 「ん?」


 「今日、帰り遅い?」


 「文化祭の準備があるから、たぶん遅い」


 「何時くらい?」


 「九時くらいかな」


 「そっか」


 莉奈は少し黙った。


 「……じゃあ、家で待ってる」


 「待たなくていいぞ」


 「別に」


 「眠くなるだろ」


 「大丈夫」


 「先に寝てていいからな」


 「……分かった」


 莉奈が言う。


 でも。


 その顔は。


 少しだけ納得していないように見えた。


 俺は。


 何も言わなかった。


 学校へ行けば。


 灯里がいる。


 家に帰れば。


 莉奈がいる。


 最近の俺の一日は。


 その二つを軸に動いていた。


   ◇


 放課後。


 教室には。


 昨日と同じように、文化祭の準備道具が並んでいた。


 「神谷くん」


 「うん」


 「今日もよろしく」


 「よろしく」


 灯里が笑う。


 それだけで。


 胸の奥が少し温かくなる。


 俺は自分の机に荷物を置いた。


 「今日は何する?」


 「展示の仕上げ」


 「了解」


 作業開始。


 模造紙を貼る。


 装飾を整える。


 文字の位置を調整する。


 単純作業。


 でも。


 灯里と一緒にやると。


 なぜか楽しい。


 「そこ、少し曲がってる」


 「え?」


 「右」


 「これ?」


 「うん。もうちょっと上」


 「こう?」


 「そう」


 「分かった」


 灯里が笑う。


 「神谷くん、意外と器用」


 「妹のネクタイを結ぶくらいには」


 「また妹」


 「すまん」


 「いいよ」


 灯里が笑う。


 「そういう話、好きだから」


 「……そっか」


 俺は少し照れた。


 作業を続ける。


 しばらくして。


 教室にいた他の生徒たちが帰っていく。


 「じゃあ、また明日」


 「お疲れさま」


 最後に残ったのは。


 俺と灯里だけだった。


 静かだ。


 窓から夕方の光が差し込んでいる。


 その光の中で。


 灯里が一人。


 脚立に乗って。


 壁の飾りを取りつけていた。


 「そこ、危ないぞ」


 「大丈夫」


 「本当に?」


 「うん」


 灯里が手を伸ばす。


 その瞬間。


 脚立が少し揺れた。


 「わっ」


 「灯里!」


 俺は咄嗟に近づいた。


 脚立を支える。


 「大丈夫?」


 「……うん」


 灯里が少し驚いた顔で俺を見る。


 「ありがとう」


 「危ないって言っただろ」


 「ごめん」


 灯里が脚立から降りる。


 俺は少し安心した。


 「俺がやる」


 「え?」


 「ここ」


 俺が脚立に上る。


 高いところの飾りを取りつける。


 「これでいい?」


 「うん」


 灯里が下から見上げる。


 「神谷くん」


 「何?」


 「本当に優しいね」


 「別に」


 「また否定する」


 「だって普通だろ」


 「そういうところ」


 灯里が少し笑う。


 「自分がしていることを、大したことじゃないと思ってる」


 「……そうかな」


 「うん」


 俺は脚立から降りた。


 「じゃあ、次」


 「はい」


 作業を続ける。


 でも。


 胸の奥には。


 さっきの言葉が残っていた。


 ――自分がしていることを、大したことじゃないと思ってる。


 俺は。


 たぶん。


 人を助けることでしか。


 自分の存在価値を確認できない部分がある。


 誰かが困っている。


 自分が助ける。


 ありがとうと言われる。


 そこでようやく。


 「俺がここにいてもいい」と思える。


 でも。


 それは。


 少し危ういことなのかもしれない。


 自分の価値を。


 誰かの「ありがとう」に預けてしまえば。


 ありがとうと言われないとき。


 自分まで否定されたような気持ちになる。


 俺は。


 そこまで考えたところで。


 小さく息を吐いた。


 「神谷くん?」


 「ん?」


 「疲れた?」


 「少し」


 「じゃあ、休憩しよう」


 「でも、まだ――」


 「休憩も仕事だから」


 「……なるほど」


 灯里が笑った。


 二人で窓際の席に座る。


 夕焼けを眺める。


 「綺麗」


 「うん」


 「神谷くん」


 「何?」


 「最近」


 「うん」


 「少し変わったね」


 「また?」


 「うん」


 「どこが?」


 「前より」


 一度、言葉を探すように。


 「自分のことも考えるようになった」


 「……そうか?」


 「うん」


 「妹のおかげかな」


 「そうかもね」


 二人で笑う。


 そのあと。


 灯里が少しだけ黙った。


 「……ねえ」


 「うん」


 「最後まで」


 「何?」


 「もしよかったら」


 灯里が少しだけ迷う。


 「私のこと、手伝ってほしい」


 「もちろん」


 「最後まで聞いてない」


 「あ」


 「ふふ」


 「癖なんだよ」


 「知ってる」


 灯里は笑った。


 「本当はね」


 「うん」


 「これ、一人で終わらせようと思ってた」


 机の上に置かれた資料を見る。


 「今日中に全部終わらせたかった」


 「無理だろ」


 「うん」


 「じゃあ」


 俺は資料を手に取った。


 「一緒にやろう」


 灯里は。


 少しだけ驚いたように俺を見た。


 「……うん」


 その返事が。


 妙に嬉しかった。


   ◇


 二時間後。


 文化祭準備はかなり進んだ。


 「終わった……」


 灯里が机に突っ伏す。


 「お疲れ」


 「疲れた」


 「だから言っただろ」


 「うん」


 「今日はもう帰ろう」


 「うん」


 二人で教室を出る。


 廊下を歩く。


 灯里の歩幅が少し遅い。


 「疲れた?」


 「ちょっと」


 「荷物持つ」


 「大丈夫」


 「でも」


 俺が手を伸ばしかける。


 灯里が止める。


 「神谷くん」


 「ん?」


 一拍。


 「私が持ちたい」


 「……」


 「自分の荷物だから」


 俺は。


 その言葉を聞いて。


 手を引いた。


 「分かった」


 「ありがとう」


 灯里が笑う。


 その笑顔を見て。


 俺も笑った。


 たぶん。


 これでいい。


 助けるというのは。


 いつも手を差し出すことではない。


 差し出した手を。


 相手が「今はいらない」と言ったら。


 引っ込めることも。


 相手を尊重するということだ。


 校門を出る。


 夕方の空。


 「ねえ」


 灯里が言う。


 「うん」


 「神谷くんって」


 「何?」


 「誰かを助けるの、好き?」


 「……うん」


 「どうして?」


 俺は少し考えた。


 「役に立ってるって思えるから」


 「それだけ?」


 「たぶん」


 灯里は黙った。


 そして。


 「じゃあ」


 「うん」


 「今度は、私が神谷くんを助けるね」


 「え?」


 俺は笑ってしまった。


 「俺、別に困ってないよ」


 「今はね」


 「じゃあ、どうやって?」


 「それは、そのとき」


 「ずるい」


 「ふふ」


 二人で歩く。


 駅が近づく。


 俺は。


 胸の奥に。


 小さな違和感を覚えていた。


 「私が助ける」


 その言葉が。


 嬉しかった。


 なのに。


 同時に。


 少し怖かった。


 俺は。


 助ける側でいることに慣れすぎている。


 誰かに助けてもらうということは。


 自分が弱いと認めることのように感じる。


 でも。


 本当にそうなのだろうか。


 誰かに頼ることと。


 弱いことは。


 同じなのだろうか。


 それとも。


 誰かを信じることこそ。


 強さなのだろうか。


 俺にはまだ。


 答えが分からなかった。


 「神谷くん」


 「ん?」


 「また明日」


 「ああ」


 「ちゃんと来てね」


 「もちろん」


 灯里が笑う。


 俺も笑った。


 そのまま。


 駅で別れた。


   ◇


 家に帰る。


 「ただいま」


 返事がない。


 「母さん?」


 リビングに行く。


 母さんはいない。


 時計を見る。


 八時四十五分。


 遅い。


 俺の部屋へ向かおうとした。


 リビングのドアが開いた。


 「……おかえり」


 莉奈だった。


 「ただいま」


 「兄貴」


 「ん?」


 「帰ってきてたんだ」


 「うん」


 「……そっか」


 俺は気づいた。


 莉奈は少し疲れている。


 「学校どうだった?」


 「普通」


 「またか」


 「普通」


 莉奈はそう言いながら。


 リビングへ向かう。


 俺もついていく。


 「何かあった?」


 「ない」


 また。


 『ない』


 でも。


 今は。


 前より分かる。


 『ない』という言葉は。


 必ずしも『何もない』を意味しない。


 『今は話したくない』の意味かもしれない。


 だから。


 俺は聞き返さなかった。


「夕飯、食べた?」


「まだ」


「じゃあ、一緒に食べる?」


「……うん」


 二人で食卓につく。


 テレビはつけない。


 静かな食卓。


 でも。


 嫌な静けさではなかった。


 「兄貴」


 「ん?」


 「今日」


 「うん」


 「やっぱり遅かったね」


 「文化祭準備」


 「……楽しかった?」


 「うん」


 「そっか」


 莉奈が箸を動かす。


 そして。


 「誰と?」


 「友達」


 「……ふーん」


 その返事が。


 少しだけ妙だった。


 「なんで?」


 「別に」


 「気になる?」


 「別に」


 莉奈は少しだけ頬を膨らませた。


 そして。


 「その人」


 「灯里?」


 「うん」


 「何?」


 「……いい人?」


 「うん」


 俺は即答した。


 「すごくいい人」


 「……そっか」


 莉奈はそれ以上何も言わなかった。


 でも。


 なんとなく。


 その「そっか」が。


 少し寂しそうに聞こえた。


 俺は気づかなかったふりをした。


 家族というのは。


 何でも聞けばいいわけではない。


 言いたくなったとき。


 その言葉が出てくるのを待つことも。


 大切なのだろう。


   ◇


 食事を終えたあと。


 俺が食器を片づけていると。


 「兄貴」


 「ん?」


 「今日」


 莉奈がキッチンの入り口に立っている。


 「どうした?」


 「……ありがと」


 「何が?」


 「別に」


 「またそれ?」


 莉奈が笑う。


 「明日」


 「うん」


 「朝、起こして」


 「分かった」


 「絶対」


 「絶対」


 莉奈は自分の部屋へ戻っていく。


 俺はその背中を見る。


 そして。


 ふと思った。


 莉奈も。


 俺に頼っている。


 灯里も。


 俺に頼っている。


 俺は。


 その二人を大切に思っている。


 でも。


 俺自身は。


 誰かに頼っているだろうか。


 その問いが。


 胸の奥に残った。


 たぶん。


 答えは。


 「いいえ」だった。


 俺は。


 いつも助ける側だった。


 助けられる側になることを。


 どこか避けている。


 その理由は。


 まだ分からない。


 ただ。


 灯里の言った。


 「今度は私が神谷くんを助けるね」


 という言葉が。


 頭から離れなかった。


 俺はベッドに横になる。


 目を閉じる。


 しばらくして。


 コンコン。


 また。


 莉奈だった。


 「兄貴」


 「ん?」


 「……おやすみ」


 「おやすみ」


 足音が遠ざかる。


 俺は目を閉じた。


 そして。


 今度は。


 少しだけ。


 誰かに助けてもらってもいいのかもしれない。


 そんなことを。


 初めて思った。


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