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妹よっ!! 兄を敬えっ!! ~天使に妹をお願いしたら、理想と現実が違いすぎた~  作者: 和泉 きよ


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2/21

02.俺に妹ができる

 家に帰ると、母さんが珍しく俺の帰りを玄関まで迎えに来た。


「おかえり、遼太」


「ただいま」


 母さんは笑っていた。


 いつもと変わらない笑顔だった。


 ――なのに。


 なぜだか、少しだけ緊張しているように見えた。


「……どうしたの?」


「え?」


「なんか今日、変じゃない?」


「そう?」


 母さんは一瞬だけ目を逸らした。


「ちょっと大事な話があるの」


「大事な話?」


「うん」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。


 その言葉には、子供のころからあまりいい思い出がない。


 父さんが亡くなったときも、母さんは同じような顔をしていた。


 もちろん、そのときはまだ俺も幼くて、「死」というものをちゃんと理解できていたわけじゃない。


 ただ、ある日突然。


 それまで家の中にあった男の人の気配が消えた。


 玄関に置かれていた大きな靴も。


 洗面所に掛かっていた髭剃りも。


 夜になると聞こえていた、低い咳払いも。


 全部なくなった。


 人がいなくなるというのは、不思議なものだ。


 いなくなった人間そのものよりも、その人がいたことで当たり前になっていた

 「音」や「場所」や「習慣」のほうが、あとになってから妙に残る。


 父さんが死んだ日から、家は静かになった。


 母さんは強かった。


 泣いていたはずなのに、俺の前ではできるだけ普通にしていた。


「大丈夫だから」


 何度もそう言った。


 たぶん、あの頃の母さんは、自分に言い聞かせていたのだと思う。


 俺に心配をかけないためなのか。


 それとも。


 本当に大丈夫だと思いたかったのか。


 今となっては分からない。


 ただ。


 あの日から俺は、家族というものを少しだけ怖いと思うようになった。


 大切なものほど、ある日突然、なくなる。


 そんな当たり前のことを、子供の俺は早く知りすぎた。


「遼太?」


「……あ、ごめん」


 母さんの声で我に返る。


「ぼーっとしてどうしたの?」


「いや。大事な話って、何?」


 母さんは少しだけ黙った。


 それから、静かに言った。


「お母さん、再婚しようと思ってるの」


「……」


 一瞬、意味が分からなかった。


「再婚?」


「うん」


「……誰と?」


「前に話したことあったでしょう? 会社の人」


「ああ……」


 いた。


 何度か名前を聞いたことがある。


 母さんが仕事で知り合った人だ。


 何度か食事をしたとか。


 話していて落ち着く人だとか。


 でも、正直に言えば。


 俺はあまり興味を持っていなかった。


 母さんが誰かと仲良くしていること自体は、嫌ではなかった。


 むしろ。


 母さんが一人でいるよりは、そのほうがいいと思っていた。


「……いいんじゃない?」


 自分でも驚くくらい、あっさりと言葉が出た。


 母さんが目を丸くする。


「本当に?」


「うん」


「嫌じゃない?」


「なんで?」


「だって……お父さんのこととか」


 その名前が出ると、胸の奥が少しだけ痛んだ。


 でも、それは悲しみというより。


 遠い昔にできた傷を、指先でそっと触れられたときのような感覚だった。


「父さんは、父さんだよ」


 自分でも、何を言っているのかよく分からなかった。


「誰かと再婚したからって、父さんが父さんじゃなくなるわけじゃないし」


 母さんはしばらく黙っていた。


 それから、


「……ありがとう」


 と小さく笑った。


 その笑顔を見て、俺は安心した。


 よかった。


 母さんが笑っている。


 それだけで十分だった。


「それでね」


 母さんが続ける。


「相手の人には、娘さんがいるの」


「娘?」


「うん」


「へえ」


「高校一年生」


「高校生……」


 なぜか、その言葉に胸がざわついた。


 そして。


 母さんは、俺がそのとき最も聞きたかった言葉を口にした。


「だから、これから一緒に暮らすことになるの」


「…………」


「その子がね――」


 母さんが一瞬ためらった。


「遼太にとって、妹になるの」


 時間が止まった。


 本当に。


 比喩ではなく。


 頭の中が真っ白になった。


「…………妹?」


「うん」


「俺に?」


「うん」


「妹が?」


「うん」


「…………本当に?」


 母さんが笑う。


「そんなに驚く?」


 驚くに決まっている。


 だって。


 俺は今日。


 願ったのだ。


 妹が欲しい、と。


「……まさか」


 口から、そんな言葉が漏れる。


「何?」


「いや……何でもない」


 まさか、さっき会った女性に願ったなんて。


 そんなこと、母さんに言えるわけがない。


 そもそも。


 俺だってまだ半分くらいしか信じていない。


「じゃあ、明日会わせるね」


「明日?」


「うん。今日から少しずつ荷物も運んでくることになってるから」


 俺は椅子に座ったまま、ぼんやりと天井を見上げた。


 妹。


 俺に妹ができる。


 人生で一度も存在しなかったものが。


 明日から、存在する。


 そして――。


 不意に、幼いころの自分を思い出した。


 友達の家に遊びに行ったとき。


 兄弟がいる家は、いつも騒がしかった。


 喧嘩していた。


 物を取り合っていた。


 母親に怒鳴られていた。


 それでも。


 そこには「誰かがいる」という感じがあった。


 帰ると、家には俺しかいない。


 もちろん母さんはいた。


 けれど、母さんは母さんだ。


 俺が求めていたものは、もっと別の何かだった。


 同じ目線で。


 同じ時間を生きて。


 くだらないことで笑って。


 くだらないことで喧嘩する。


 そんな誰か。


 俺はずっと、それが欲しかったのだろうか。


「……妹か」


 思わず呟く。


 胸の奥が少しだけ熱くなる。


 期待するな、と言われても無理だった。


 だって俺は、今日ようやく願いを叶えたのだから。


 どんな子なんだろう。


 優しい子かな。


 明るい子かな。


 兄を慕ってくれるかな。


 もしかすると。


「お兄ちゃん」


 なんて呼んでくれたり――。


「ふふ」


 思わず笑ってしまう。


「何笑ってるの?」


「いや」


 俺は慌てて顔を戻す。


「なんでもない」


 母さんが怪訝そうな顔をしている。


 俺は知らなかった。


 このときの自分が。


 翌朝には、人生で最大級の幻想を打ち砕かれることを。


   ◇


 翌朝。


 俺はいつもより三十分早く起きた。


 寝不足だった。


 ほとんど眠れなかった。


 今日。


 俺には妹ができる。


 鏡の前で髪を整える。


 別に格好をつける必要はない。


 相手は妹だ。


 妹。


 そう。


 俺の妹。


 その響きだけで、心臓が少し速くなる。


 リビングへ行く。


 母さんは朝食を作っていた。


「おはよう」


「おはよう、遼太」


「まだ来てないの?」


「もうすぐよ」


 俺は席についた。


 時計を見る。


 七時二十八分。


 七時三十分。


 七時三十二分。


 七時三十四分。


 落ち着かない。


 自分でも笑ってしまうくらい落ち着かなかった。


「そんなに楽しみなの?」


「……別に」


「顔に出てるわよ」


「そう?」


「うん」


 母さんが笑った。


 その瞬間。


 玄関のチャイムが鳴った。


 心臓が跳ねる。


 母さんが立ち上がる。


「来たみたい」


「…………」


 俺も立った。


 玄関へ向かう。


 ドアが開く。


 最初に見えたのは、黒い髪だった。


 次に。


 少し眠そうな目。


 肩に掛けた鞄。


 そして、いかにも面倒くさそうな表情。


 少女は俺を見ると、ほんの少し眉を上げた。


「……この人が?」


 母さんが頷く。


「うん。あなたのお兄ちゃんになる人」


 少女は俺をじっと見つめた。


 数秒。


 妙に長い数秒だった。


 それから。


「ふーん」


 興味がなさそうに呟く。


「じゃあ、よろしく」


 そして彼女は。


 俺の前に重そうな荷物を差し出した。


「これ、持って」


「…………」


「聞こえなかった?」


「いや、聞こえたけど」


「じゃあ持って」


 俺は荷物を受け取った。


 ずしりと重かった。


「……重いんだけど」


「だからお願いしてるんだけど」


「いや、そういう問題じゃなくて」


 少女は少しだけ首を傾げた。


「兄貴なら持ってくれるでしょ?」


「…………」


 兄貴。


 その二文字が。


 妙に胸の奥に響いた。


 たぶん。


 俺はこのとき、嬉しかったのだ。


 それをごまかすために。


 俺は精一杯、嫌そうな顔をした。


「……分かったよ」


「ありがと」


 少女が小さく笑う。


 そして母さんが言った。


「遼太。この子、莉奈ちゃん」


 少女――莉奈は、俺を見る。


「桐生莉奈。今日から兄貴の妹」


 その言葉を聞いた瞬間。


 俺はようやく理解した。


 本当に。


 本当に、俺には妹ができたのだ。


 ――ただし。


 俺が思い描いていた「妹」と。


 目の前にいる彼女は。


 どう考えても。


 百八十度くらい違っていた。


 そして、この時の俺はまだ知らなかった。


 この少女が。


 これから毎日のように俺を振り回し。


 俺の理想という理想を壊し。


 それでも最後には。


 俺にとって、かけがえのない「妹」になることを。


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