8お別れ
◆
江戸最終日。
新徴組は蛇川の裏切りが明るみになったことで、大規模な内部監査が入り、何名かが処分された。
蛇川は攘夷派と通じて新徴組の情報を流し、要人暗殺に関わっていたという。
取締役の石井と話し終えた林太郎は、部屋に入り、新選組三人に向けて言った。
「此度の働き、上もお認めくださった」
「義兄さん、では!」
「ああ、庄内藩お召し抱えの話が来ている。これで、預かりの身分から抜け出せる……だが」
明るい顔の沖田と対照的に、林太郎は言葉を濁す。
「私は、総司を疑って蛇川を見抜けなかった」
「ですが、最終的に蛇川を調べて証拠を掴んだのは義兄さんだ」
土方が、沖田を遮る。
「いや、林太郎さんが甘かったのは確かだ。俺は納得してねえぞ。
総司と葵が言うから、今回は林太郎さんを立てたがな。本来はお前らの手柄だ」
部屋が重々しい空気に覆われる。
土方の諫言はいつも正しい。まるで自分にそうであることを課すように。
「あの……」
葵が沈黙を破る。
「蛇川さんが、林太郎さんを慕っていたのは本当だと思うんです。
だから取り調べのときも、林太郎さんになら全て話すと言ったんだと……」
「ふん、そりゃ優しさを利用されてるだけだ」
鼻を白ませ、淹れたお茶にも口をつけず、土方は部屋を出ていく。
残った者たちはなんとなく気まずいまま、誰も目を合わさない。
しばらくのち、林太郎がため息を吐いた。
「土方さんの言う通りだな。総司、葵さん……こんなに良くしてもらったのに、結局お前たちのことも何も進展させてやれなかった」
葵は湯呑みを置いた。
「林太郎さん……総司さんも私も、そのために動いたのではありません」
「俺も同じです」
「ありがとう二人とも。ではあくまで別問題として話すが、前も伝えた通り、私は結婚を認めている。それでも通す気はないんだね」
家長の許可は降りている。
――それでも
葵の手に温かいものが触れた。沖田が、机の下で葵の手を握っていた。
彼の気持ちはわかっている。
結婚したい、葵に居場所を作りたい。安心して過ごしてほしい。
そう、向き合って何度も言ってくれた。
姉のことはおいおい説得すればいい、と。
だけど、みつの話になると、わずかに言葉が詰まることに葵は気づいていた。
(総司さん、ごめんなさい。このまま無理に結婚することで、貴方まで傷つけたくないんです)
手を、力強く握り返した。
「周りの人を不安にさせたまま、総司さんと一緒になることは考えていません。皆さんを振り回して、申し訳ありませんでした」
「総司は、それでいいのか?」
林太郎に尋ねられた沖田は、いつもどおり笑顔で口を開きかけ、顔を伏せた。
「はい」
短く答え葵の指をほどき、沖田は静かに立ち上がった。
◇
部屋を出たあと、葵は新徴組の面々へ挨拶をした。
「神木さん、また来てくれよ」
「ありがとうございます。勉強させていただきました」
初めこそ懐疑的だった新徴組の人は、今では気軽に情報交換できるまでになっていた。
葵は未来知識はあるとはいえ知らないことも多く、その面でも収穫の多い旅になった。
一通り挨拶を終えて、きょろきよろと土方を探した。
彼は取締役の石井と話していた。
「土方君、君は話ができる男だな」
石井の顔からは険が抜けている。
「若造が口達者なだけです。隊の面倒を増やさないよう、控えめにしておきますよ」
土方もそんな軽口を叩くまでになっていた。石井は難しい顔をくしゃりとさせ、はっはっは、と笑い飛ばした。
「君はまだ若い。端々に熱意を感じた。だがな、必ずしも正論が正しいわけではない」
「正論なのだから、正しいでしょう?」
まるで禅問答のようなやり取りに、土方は言い返す。
石井は顎髭を揺らして首を振る。
「組織には様々な意見や人が必要だ。
正直に見えて狡猾な者もいる。強く見えてそのまま頼りになる者もいる。
そして――弱く見えても、人を導くことに強いものもいる」
言葉を切った石井の視線は、離れた場所で剣を指導する林太郎を捉えていた。
「通り一辺倒では中から腐る。君もいずれわかる」
土方もそれに気づき目を細める。
自身の組織論を胸に何かをじっと考えているようだった。
新徴組隊士達は忙しいながらも、最後には屯所にいたほぼ全員が門前まで出てきてくれた。
人並みが群れをなし、ちょっとした花道のようだ。
そこを通るとじんと胸が熱くなった。
はじめは不安でいっぱいだったが、江戸で新徴組の人に出会えてよかった。
胸が透く思いだった。
最後に沖田家へ寄った。
すでにみつと子どもたちが家の前で待っていた。
「世話になったな」
土方は礼を述べたのち、何か言いたげに口を閉じた。
彼は林太郎へ謝ろうとしているようだった。
「土方さん、またいつでも来てくれよ」
林太郎は、寛大な笑顔を見せた。
土方も「ああ」と言葉を交わす。
「葵姉さん、総司叔父さん、玩具をありがとうございました」
子どもたちが元気にお辞儀をしてくれる。葵はしゃがんで「また来るね」と笑った。
立ち上がりみつに視線を向けると沖田と話している最中だった。
「総司も、少しはまめに手紙を書いてちょうだいね。
それから、あなたの役目は危険も多いけれど……」
みつはきっぱり言った。
「妻を悲しませることは慎むように」
「姉さん?」
"妻"の言葉に、沖田は姉をうかがった。
「あなたたちは支え合う夫婦になれるわ」
目を見開く沖田と、口を開けたままの葵を代わる代わる見て、みつは眉尻を下げた。
「伝えるのが、発つ日になってしまってごめんなさい。これを葵さんに渡したくて、遅くなってしまったの」
手渡されたのはみつが縫った浅葱色の巾着だった。
「母の形見の櫛を入れようかとも思ったけれど、総司がきちんと素敵な物を買ってあげなさい」
葵は認めてもらえた歓びと、本当にいいのだろうかと戸惑う気持ちで、手の中の巾着を握る。
「絆されて言っているわけじゃないの。
初めは、貴女を"忘れない"と言い切る激情の炎が、弟を灼き尽くすんじゃないかと怖かった」
全員が黙って聞いた。
特に沖田は、唇を固く結び姉を真っ直ぐに見ていた。
「だけど、あの夜気づいたの。葵さんが総司を想う気持ちに。
なにより……」
蛇川と沖田が対峙した日、沖田は葵が落ち着いた後手を引いて家に戻った。
待っていたみつは、黙って葵と沖田へ熱いお茶を差し出したのだった。
「総司もあんな顔するんだなって」
くすりと笑い、
「貴女を傷つけてしまったこと、お詫びしきれないわ」
と、みつは深く詫びた。
「顔を上げてください」
下から肩に手を添えて背を起こしてもらうと、みつはもう一度「ごめんなさい」と言って、葵の両手をしっかり握った。
「総司と一緒になって、そして……私達と家族になってもらえるかしら」
すぐに返事をしたいのに、声が出ない。みつの手を握り返して、ぼやける視界の中で何度も頷いた。
「姉さん、そして義兄さん。感謝申し上げます」
沖田は背筋を伸ばし腰を折った。
普段より長いお辞儀は、親代わりに育ててくれた姉夫婦への礼と、心からの敬意が滲んでいた。
みつは隣の林太郎をちらと見上げた。
「待つことが妻の務めとわかっておりますが……少しは心配だと、口にしても許していただけますか?」
いつものしゃんとした、隙のないみつはどこにもいない。着物の裾を手に握り、目を伏せるその顔は、恋する少女のようだった。
呆然としている林太郎の目を覚ますように、土方がばしばしと音がなるほど背を叩いた。
「ほら、林太郎さん返事」
「あ、ああ。もちろん……」
彼にとってはその答えが精一杯だったようだ。
だけど答えが短くても、その表情と眼差しは妻を誰より愛しく思っているのがわかった。
土方は頭を掻いた。
「全く。妻子なんて、命をかけて戦うのに邪魔なだけだと思ってたけどなあ」
「ふふ、厳しすぎる隊規、変えてくれます?」
沖田の問いに、土方はぶっきらぼうに、「考えとく」と答えた。
葵は、改めて頭を下げた。
「林太郎さん、みつさん、これからもよろしくお願いします」
「そんな、他人行儀だわ。総司と同じ呼び方で構わないのよ」
嬉しすぎる提案に、まつ毛をしぱしぱと瞬きして、葵は気を付けをした。
「お、お義兄さん、お義姉さん、よろしくお願い……いたします」
壊れた拡声器みたいな変な声だった。
「こちらこそ」
最後は皆、垣根なく抱き合ってお別れした。
江戸からの帰路は海路だった。
船に向かうまでの道で見た桜の木は、小さな蕾を付けていた。
「祝言の頃にちょうど咲くかな」
沖田がそう微笑んだ。
(祝言……)
まだ認めてもらえたことが信じられない。
みつがくれたあさぎの巾着を手に取る。一針一針丁寧に縫われていた。
「総司さん、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ」
帰ったら婚礼準備だな、と張り切る土方の言葉を聞きながら、
春の訪れと希望を胸に船に乗り込んだ。
――――
あとがき
時期も理由も違いますが、沖田林太郎さんは実際に預かりの身分から、庄内藩士としてご活躍されます。
江戸編はそこから派生させた物語でした☻(蛇川さんは架空のキャラです!)
沖田総司の家族の承認も得て、いよいよ二人は……?
ではでは明日以降もぜひお付き合いください✨️




