6白か黒
◆
「総司さん」
結婚話に進捗もないままの、ある昼下がり。
葵が袖を引いた。
(蛇川のことか……)
察した沖田は屯所内の密談室に移動し、扉を閉めた。
葵はためらいながらも話し出す。
「新徴組に出入りしている薬屋さんが、数人いるのはご存じですか?」
「ああ」
「その中の一人の手に剣だこがあるんです。それも、真剣特有の」
葵は自信の刀を抜く。
「真剣は柄頭に鯉口や目貫がありますよね。左手は柄頭を握り込まないので……」
実際に眼の前で握ってみると、左手の小指と薬指の間に刀の重さが全てかかる。
「こんなふうに、竹刀では出ないタコが手に出ると思うんです。それが、薬屋さんにありました」
「なるほど、薬屋に剣ダコか……」
「それで、その薬屋さんはいつも蛇川さんと話して帰るんですが、何か渡しているんです。
でも……これだけだと疑う理由には弱いですよね……」
どうしたらいいでしょう?
と首を傾げた葵に、沖田は微笑んでいた。
「葵が、頼ってくれるのが嬉しい」
「……いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「わかってもらえないかもしれないが……」
もし葵が相談なしに動いていたら――
危機を思うだけで、一挙に胃の底が冷たくなる。
心臓が鷲掴みにされ、命をまるごと掌握されているような不快さを、
いっそひと思いにしてほしいと、己を差し出したくなる、あの恐怖を、
彼女がこの先も味わうことはない。
沖田が敵に囚われ窮地に陥ることはない。――いや剣士としてあってはならないのだから
「とにかく、葵に危険なことは――」
突然、沖田の胸に柔らかいものが飛び込んできた。
「葵……」
「少しだけ……駄目ですか?」
「……」
いいに決まってる。
口に出せば抱きしめるだけで足りなくなりそうで、黙って腕の中にいる彼女の髪を撫でた。
(久しぶりだな)
江戸に来てから二人きりになることがなく、近くにいても遠かった。
「すみません突然……こんな所で」
身体を離そうとする彼女の背中に、腕を回して固定した。
「いつでも歓迎するけど……珍しいね。何かあった?」
「最近あんまり……その……」
一緒にいられないから……
と続けてまた、葵は甘えるように、沖田の胸に頬を預けた。
つい抱擁が強くなる。
腕が回りすぎるほど頼りない葵の身体は、ここに本当にいるのかと不安になる。
手で髪を片側に束ね、露わになった首筋に唇を押しやった。
「いっ……」
葵の肩が跳ね、眉を寄せて沖田をすくい見る。
「今のなんですか?」
沖田は、無垢な瞳を濡らす涙を指で拭い、
「見えないところだから大丈夫」
その指で、白肌に付いた朱い痕を確かめた。
「痛かった?」
「痛かったです……」
葵の恥ずかしそうな小さな声には、かすかな興奮が混じっていた。
(そんな顔をされると)
もっと目立つところに付けてやりたいという、
気づかないようにしている所有欲が頭を擡げる。
「出よう、ここにいるとどうかしそうだ」
腕を解き、ひっそりと密談室を出た。
久々に触れた柔らかな感触も、吸い付いたときの肌の匂いも、
反応したときの声も、全部が五感に残って、じわじわ熱を足していく。
(本当にどうかしそうだ……)
大概にしなければとかぶりを振り、稽古場へ戻る。
彼女に乱されて剣を取れなくなることはない。
いつでも、仮に剣に堕ちても、自分の還る場所は葵にある。
「……今後の動きを考えないとな」
剣を握ると、昂りがようやく落ち着きを見せた。
沖田の視線は蛇川に、そして林太郎へ向いていた。
◆
密談室を出て沖田と離れた葵は、自分の頬をぱちんと叩いた。
(なんであんなことできたの……!?)
常日頃、風紀が……と沖田を押し留める側である自分が、他所様の屯所で彼に抱きついて甘えるなんて信じられなかった。
結婚できなくてもいいと決めて江戸入りしたはずだったのに、
沖田の大切な人たちを悩ませているという現実が、
改めてどうしようもなく寂しくて、それが葵をああさせていた。
(一緒に……いたいな。形にはもう、こだわらないから)
みつの顔が浮かんでは、沖田の声がよみがえる。
(この時代に生まれて、総司さんと……普通に恋人になれたらよかったのに)
そうしていたらいたで、身分やらタイミングやら色々あるのか。
ため息と共に想いが募りに募っていく。
(もー、仕事しなきゃ!)
剣の稽古や、医療手当などして過ごし、夕暮れになった頃。
再び密談室の前を通ると、沖田と林太郎が出てきたところだった。
林太郎は暗い顔をしている。
葵を見ると、話もせずそのまま廊下を歩いて行ってしまった。
沖田は首を横に振る。
「話したんだが……信じてもらえなくてね」
(林太郎さん、蛇川さんのこと可愛がってるふうだったもんね……)
「もし彼が黒なら、上役である義兄さんの責任にもなりかねない。土方さんの許可はとった。今夜動く」
「私も……」
「いや、一人で行く」
心配そうにする葵の額を小突く。
「葵も、俺の腕は知ってるでしょ」
いつものからかう笑みなのに、胸騒ぎがする。
だが葵が知る最期の時までは、沖田は無事でいるはずではないか。
そう思えば幾分心の靄が晴れる。
「危険なことはしないでくださいね……?」
「葵にそれを言われる日が来るとは」
肩をすくめて口づける。
「家で、待っていて」
言い含め、彼は見事に赤くなった葵の頬へ唇で触れた。




