4時間をください
料理を居間に運ぶ中、男達は和やかに会話していた。先附けをつまみながら沖田が言う。
「義兄さんは新徴組でもご活躍なさっていると聞きましたが」
林太郎はいやあと手を振って謙遜した。
「だけどな、もしかしたら預かりの身分じゃなくて、正式に庄内藩の家臣になれるかもしれないんだ。そうしたら、みつや子どもたちに少し楽をさせてやれるかもしれん」
「すごいじゃないですか」
(総司さん、嬉しそう)
沖田は屈託なく義兄の出世話を喜んでいる。皿を並べている葵まで顔がほころんだ。
みつがくすくす笑う。
「あなたったら、ちらっと出ただけの話なのでしょう?」
「あ、ああ……藩士と言っても全員がなれるわけじゃないしな」
「林太郎さんがならねえで、誰がなるってんだ」
土方が弱気な林太郎を鼓舞するも、彼は表情を曇らせたままでいる。
「新徴組はまだ組織として地固めしている段階だから、まずは信用を得ないといけない。裏切り者が紛れ込んでいるなどと、疑いもかけられていて……」
沖田が箸を止めた。
半拍遅れて二人の子どもたちが居間へ入ってくる。
「総司叔父さん、お久しぶりです」
「大きくなったね。はい、これ」
沖田がめんこやらお手玉やら、土産が色々入った風呂敷を解き始める。子どもたちはうわーっ、と寄って彼を囲った。
「お手玉は、そこの葵お姉さんからね」
沖田に紹介され、葵は「こんにちは」と頭を下げた。
「葵さん、初めまして! お手玉ありがとうございます!」
「いいえ、どういたしまして」
はつらつと挨拶する子どもたちに、笑顔になった。
みつはしっかり葵にお礼を言った後、子どもたちに声をかける。
「今は夕餉時ですから、遊ぶのは後ですよ」
二人とも騒ぎもせずに「はい」とお利口に返事をして席に着く。皆で手を合わせていただきますをした。
(どれも美味しい。このお魚も和え物も)
菜の花やふきなど季節の旬の食材が取り入れられている。派手さはないが毎日食べたくなるような家庭の味だった。
沖田は卓の上の料理を見ながら、
「葵はどれを作ったの?」
「葵さんにはこの和え物をお願いしたわ」
「いえ、混ぜただけです! 味付けはみつさんです」
なぜか全力で否定してしまった。
土方が横やりを入れる。
「これは葵だろ」
彼の箸には、端だけ繋がった油揚げがぴらぴらと、短冊飾りのようになっていた。
「……はい、それは私です」
「慣れない台所で緊張してたんだよね、普段はそんなことないし」
小さくなってしまった葵をフォローして、沖田は繋がった油揚げをさっさと胃の中に入れた。
「そういえば蛇川さんって、義兄さんの組にいるの?」
「そうだよ。今日は葵さんに負けたことを悔しがっていたから、しばらく稽古をつけろとうるさくなるかもなあ」
「そうですか。少し剣が変わったと思ったのは、義兄さんの稽古の成果なのかな」
(総司さん……?)
沖田の聞き方に探るような色があったので、葵は違和感を覚えた。しかしすぐに話は流れ、皆夕餉を食べ終えていた。
「大人は話がありますからね。お前たちは先に寝ていなさい」
「はい、母上。皆さまおやすみなさいませ」
子どもらは沖田にもらった風呂敷を宝物のように抱えて部屋を下がった。
襖が閉まると空気が入れ替わり、部屋を冷やしたように感じた。
沖田が背を伸ばした。
「義兄さん、姉さん。お話したいことがあります」
その一言で、葵も居住まいを正す。
「神木葵さんと、一生を共にしたい――というのは先んじてお伝えしていましたが、葵は、遠いところから来たんです」
先に沖田から聞いて真実を知った林太郎は、黙って湯呑みのお茶を見つめている。
みつは首をかしげた。
「近藤様の文にもそう書いてあったわよ。遠いところから来て、身寄りがなく、事故の衝撃で記憶が曖昧だと。
それから、女だてらに剣が強くて、蘭方医学の心得も……」
土方が「怪しすぎるだろうよ近藤さん……」と目を覆って嘆く。
葵は沖田に目礼してから口を開いた。
「みつさん。私は未来から――160年先の世から来ました」
「え……?」
「時代を超えてここに来たんです」
林太郎が、沖田が事前に出した文を広げた。
「ほら、みつも不思議がっていたろう? どうして総司が文久の次の年号が元治と知っていたのか? って。それはこの、神木葵さんが言い当てたことなんだ」
「あなた、信じているんですか?」
「ああ、新徴組で葵さんの医療の知識を聞かせてもらったが、この時代のものにはとても思えなかったよ。
それに総司だけではない。土方さんも……」
林太郎は土方を見遣った。
「ああ、俺も初めは信じられなかったが。こいつが嘘をつく人間でないということは保証する」
みつは深呼吸して、左から順に視線を移した。土方、沖田――そして、最後に葵を見た。
「葵さんは、どうしてここへ来たの? 先の世に帰ることはないの?」
葵は落ち着こうと努力し、腿上の手がかすかに震えるのを押さえつけた。
「この組紐が切れたら現世に帰ります。そして、私に関する一切の記憶や記録は、この時代から全て消えます」
「……それは、総司も葵さんを忘れるということ?」
葵は肯定の頷きをした。
「総司は、それでいいの?」
「はい。それでも彼女を選びます」
「そんなのって……」
弟の即答に、みつは放心した。
きりりと引き締まっていた口元も開いたままになり、目は葵の顔と地面の間を行ったり来たりしている。
「ごめんなさい、葵さん。少し時間が欲しいの。突然のことで、理解が追いつかなくて……」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございません」
頭を下げた。
信じてもらえない悲しみより、みつを悩ませてしまっていることのほうが数倍申し訳なかった。
みつは俯いたまま、顔を隠すよう袖で覆った。
林太郎が、そっとしておこう、と立ち上がり、葵たち皆を寝所に案内する。
去り際に土方は、引き返してみつに声をかけた。
「気持ちは分かる。俺も近藤さんも、何度も総司に話したんだ。
もっと普通の女を選べ、結婚と恋愛は別にしろと。
だけどあいつはとうとう首を縦には振らなかった」
「……ええ、葵さんしかいないんだというのは、総司の目を見ればわかりますわ」
だけど……と、みつは林太郎が完全に別の部屋に行ったのを確認して、声を消え入りそうなほど小さくした。
「私は……本当には総司の気持ちは理解できないのかもしれません。
たった一人を想って身を滅ぼすような恋を……私は知りませんから」
土方は一拍、何も言うことができなかった。
彼女の結婚は数えで14歳。
家の存続を第一にした相手探し。武士の家ではごく、標準的な結婚だった。
それでも今の林太郎とみつは互いを尊重し、穏やかな生活を送っているように土方の目には映っていた。
「そんなふうに言うことはない。結婚までの道のりが違うだけだろう?
みつさん夫婦と、あいつらが抱く想いに、最終的にさしたる差はねえんだ。
姉として、思うことを総司に言ってやればいい」
みつは静かに目を閉じた。
頷いた、ようにも見えた。
もう、みつの表情を確認することもなく、土方は部屋を後にした。




