3沖田みつ
◇
夜、沖田家。
林太郎がカラカラと戸を開く。
「戻ったよ」
「お帰りなさいませ」
落ち着いた女性の声がして、廊下にひょいと顔が出た。彼女は林太郎の後ろにいる、新選組の面々に息を止めた。
鍋が吹きこぼれる音にはっとして、
「失礼いたします」
断りを入れ、一度台所に下がる。間もなく、玄関口まで来て、指先を綺麗に揃えてお辞儀をした。
「沖田みつです。ご無沙汰しております土方さん。それから……葵さん初めまして」
(この人が総司さんのお姉さん)
どことなく沖田に似た面差しであり、美形であることは疑いようがないが、何より葵に印象を与えたのは、滲み出るきちんと感だった。
それは沖田家が掃き清められ整っていること以外にも、おくれ毛なく結われた髪や、裄丈が短めな紺の着物を、衣紋を抜かずにぴったり詰めて着ていることなど、全体の雰囲気が醸し出すものだった。
葵は勢い良くお辞儀をした。
「初めまして、神木葵と申します!」
力みすぎて試合開始前の挨拶のような大きな声が出てしまう。
(もう……奥ゆかしく挨拶しようと思ってたのに……)
みつは頬を緩めた。
「総司から聞いています。さあお上がりください」
手で客人を奥へ促し、みつは最後に残った沖田に声をかけた。
「新選組は忙しいと聞いていたけれど元気そうね。葵さんのおかげかしら」
「うん、色々世話を焼いてくれてね。彼女と一緒になりたいと思ってる」
「ふふ、せっかちねえ。わかってるわよ、総司が本気なことは。夕餉を囲みながらゆっくり話をしましょう」
台所に入る前に彼女は、思い出したように付け加える。
「総司、どうして年号が元治になると先に知っていたの?」
沖田は「ゆっくり話そうって、姉さんが言ったのに」と肩をすくめる。
「義兄さんには話してあるからさ、また後で――」
と、その時葵が居間から歩いてきた。
二人の前で止まり、袴を握りしめた。
「なにかお手伝いを……」
「葵はいいよ、座ってたら?」
「総司はわかってないわね。こういうときはね、座ってる方が落ち着かないものよ。ね、葵さん」
みつは片目で目配せした。
「予定より早く着くんですもの。急いで一品足さなきゃと思っていたの。だから、葵さんが手伝ってくれたら助かります」
みつが葵を連れて台所へ入る。
沖田は気になるようでなかなか居間へ行こうとしない。
「いやねえ、総司ったら。私が葵さんと二人になるのがそんなに心配なの? 意地悪なんてしないわよ」
「違うけど、葵に変な話しないでよ」
「ああ、柳の木の話? あのとき総司ったら……」
「だから言わなくていいって」
(総司さんが弟の顔をしてるのも新鮮だけど……みつさんも)
悪戯っぽい表情や仕草、声のトーンが沖田によく似ている。
(ううん、総司さんがみつさんに似てるんだ。姉弟って不思議)
やっと沖田がいなくなると、みつは簡単な仕事を言いつけて、お皿の場所など葵が迷いそうなものは、さっと先回りしてくれる。
「葵さん、ごめんなさいね。さっきは勝手に"動いている方が楽"なんて言ってしまったけれど。長旅で疲れてたでしょう」
「そんなことないです、手伝わせてもらえてほっとしています」
葵はこうして台所に立つ方が楽だった。
土方も沖田夫妻と顔馴染みだ。
自分一人だけがぽんと加わってしまったことに、葵はどこにどう座っていればいいかわからなかったのだ。
みつは葵の三倍くらいのスピードで台所を動いては、料理をどんどん仕上げ、その合間に話を振る。
答えにくそうな話になると、別の話題に変えるので、葵はその細やかな気遣いに感動していた。
「総司さんは小さいときから剣が強かったんですか?」
「そうね、周りの大人が"天才だ"と目の色を変える程度には、ね」
みつは茶目っ気のある笑い声を立てた。
「……うちも余裕があったわけではかったし、総司も剣が面白いというから、十歳になる前には近藤様に預けたわ」
弟の才が認められたというのは胸を張ることのように思えたが、味噌を溶かしているみつの表情は、鍋から立ち昇る湯気のせいなのかぼんやりと遠く感じた。
「年端もいかない子の居場所を、剣だけにしてしまったのではと……」
言いかけて、みつは火を止めた。
「葵さんは、どうして剣術を始めたの?」
「私は父の影響です」
新選組が大好きな父は、娘も剣術が好きになると、半分決めつけている節があり、葵は物心ついた時には剣を持っていた。
それでも無理強いされることもなかったし、大会などで結果は出なくても「頑張ったな!」と明るく褒めてくれた。
(これが剣一色で、結果を求められる厳しい環境だったら……?)
頼まれた仕事も忘れ、まな板のうえに手を置いたまま葵は黙りこくっている。
みつはそこへ肩を並べ、彼女の切りかけの小ねぎを引き受けた。
「剣のおかげで総司は仲間に恵まれて、葵さんにも会えたんですものね」
葵は隣でさくさくと手際よく刻まれていく小ねぎを見ながら、みつがこうして家族のことを支えながら、長年家を整えてきたのだとふいに思った。
「ごめんなさいねこんな話をして」
「いいえ、みつさんが総司さんの平穏な日々を願う気持ちもわかるので……」
みつは手を止めた。
切り終えた小ねぎをさっと端に寄せる。
「おかげですっかり夕餉の準備が整ったわ。皆でいただきましょう」
湿っぽさを吹き飛ばすような、からりと晴れた冬空のような笑顔だった。




