7改元
大阪から帰り茶屋で過ごしたあの日、沖田は「身体だけもらっても意味がない」と本心で言った。
それでも一緒にいるとどうかしそうで、忙しさを言い訳に、無意識に葵と距離を取っていたかもしれない。
それが、葵の自己肯定感の低さを刺激してしまったのなら苦しい。
なのに、彼女が辛い時を過ごした分、自分を刻みつけることが出来たのではと。
そう考えた自分に寒気がした。
彼女といると――誰も入れない秘密の箱庭に入れて鍵をかけたくなる。
目を覚ます必要もないくらい、甘やかしたくなる。
なのに、逆の衝動が時に沖田を突き上げる。
「彼女と夫婦になりたいんです」
そう土方に告げた時、想像より悪い反応が返ってきた。
「お前の女として囲ったんだ。それで十分だろう?」
「それでは足りなくなりました」
「……葵には言ってねえが、近藤さんだって寛大な心だけで迎え入れてるわけじゃねえんだぞ」
「……土方さんが先生を説得してくださったことは承知しています。
だけど、だからこそ彼女をこのままにしておけない」
土方は、葉を詰めたのに煙草を吸うのも忘れていた。
「葵は組紐が切れれば現世に帰ると言いましたが、その前に私が死んだら? こんな世に一人遺していけない」
沖田は落ち着き払った顔をしていたが、内心の焦りが声に滲んでいた。
「言いたいことはわかるがな……夫婦になるのは、お前が思うよりずっと困難だろうよ」
「お力添えは望みません。先に土方さんに話を通しておこうと思ったまでです」
その後沖田は、何度も近藤へ訴えた。
近藤は、自分を尊敬する従順な弟子であった沖田が、幾度も、抗議するように通い詰めるのに参っていた。
「総司、葵さんは素敵な人だ。しかし、結婚となれば話は変わるんだ」
近藤は諭し、世の厳しさを説き、時には叱責もした。
それでも沖田頑として譲らない。
会議の後にも討論会のように居座る。
先に折れたのは土方だった。
結局沖田を、そして葵を放っておけない彼は、深夜の討論会に身を投じた。
「葵が医療を担当してから病人がこんなに減った」という功績から入って、
最後は「総司が今まで女に真剣になったことはありましたか?」と情に訴える。
土方の説得まで加わり、近藤自身も葵を深く観察するようになった。
文久四年(1864年) 二月中旬――
近藤は沖田を呼び出した。
「女の身で危険な任務をこなし、病人といえども差別をせずに献身する姿勢に頭が下がる。
私は、彼女の表面しか知らなかったようだ」
「近藤先生、それでは――」
「うむ、元号が元治に変わる予言を当てれば、婚姻時に必要な彼女の身元を引き受ける」
この言葉を引き出した時、なぜか土方のほうが誇らしそうにしていたのだった。
近藤の部屋を出た沖田は、廊下を数歩進んだところで立ち止まった。
「元治、か」
◆
そんな裏側を知らない葵は、沖田の申し出を受けたものの、屯所に帰ってから戸惑い始めた。
「私、どうやったらこの時代で総司さんと結婚できるんでしょうか」
畳で膝を突き合わせ、現実的な段取りを確認する。
沖田の説明で、彼が婚姻のための根回しをしてきたことを初めて知った。
「それで、会議の後も部屋に帰ってこなかったんですか?」
彼はばつが悪そうに俯いた。
「……葵のいたところでは、本人同士の承が第一と知ってはいたんだけど。
約束だけして叶わないのが嫌で。先に周りから固めて悪かった」
「いいえ。あの……いいんでしょうか……」
本来葵はここにいない人間だ。
その自分が沖田と結婚するのは赦されることなのかと、今さら思考が巡る。
「いいんじゃない? 組紐が切れたあと、葵に関することはここから消えるんでしょ?
そうしたら俺と葵が結婚してたことは何処にも残らないんだし」
(うーん、それっていいんだが悪いんだか……)
「葵がここに来てる時点で色々変わっているんだろうから、もうそこは気にしてない」
はっきり言われるとそんな気もしてくる。
「決められないなら、俺が決める」
揺るがない目だ。
結婚を申し込んでくれた時も、いや、出逢った時から、この真っ直ぐさは少しも変わらない。
(私、いつもこうやってきたんだ。この人の強さに乗っかって……)
「……ずるいですね私。肝心なところは全部総司さんに決めさせて」
本当は答えなんて決まっている。
必要なのは――
葵は彼に相応しくあるため、居住まいを正した。
「自分で決めます。総司さんと、一緒になりたいです」
「葵……」
沖田が手を取った――
そこへ。
「総司、入るぞ」
近藤と土方が部屋に入ってきた。
沖田たちの前に腰を下すと近藤が話し出した。
「総司、葵さん。本当に元号が変わったな。それも、予言通りの"元治"に。約束通り、葵さんの身元は局長である私が引き受けよう」
葵はまずは礼を述べてから尋ねる。
「総司さんのご家族へは、どのようにご挨拶をすれば」
それなんだが、と土方が答える。
「ちょうど総司の家族がいる江戸へ行く用があるんだ。新徴組って知ってるか?」
「いいえ」
「俺達は江戸から将軍警護のために京都へ来たんだが……まあケンカ別れした連中がいてな」
それなら葵も知っていた。
もともと二百三十名余りで京都へ来たが、ある男の策略でほとんどが江戸へ帰ってしまった。
そのうち京都に残ったのがこの新選組。江戸に帰ったあと、江戸の治安警備をしているのが新徴組だ。
「今将軍は京都にいるだろう。だから江戸の治安強化という名目のもと、新選組から何名か、新徴組に臨時で出せと言われてるんだ」
土方は言葉を切ると、ふいに目を鋭くした。
「表向きは交流会だが、これは矜持のぶつかり合いだ。うちから下手なやつは出せねえ。
葵、お前は剣の腕もあるが、医の心得もある。覚悟があるなら連れて行く」
「新徴組には、義兄さんもいるんだ」
こそっと沖田が耳打ちする。
姉夫婦の家が近いから、そこへ世話になればいいと。
次々展開する話に頭がついていかない。
だが、沖田の家族に会いたかったし、土方が重要な場に葵を推してくれたことが嬉しかった。
「ぜひ行かせてください」
「そう来ないとな。しかし、総司の姉夫婦にどこまで話すかだよなあ」
「近藤先生」
沖田が殊勝な顔で手を挙げた。
「全て話してはいけませんか?」
「私は構わないよ。しかし、場合によっては葵さんが狐憑きや間者ととられる可能性もある。そうなれば破談だ」
沖田は頷いて、葵に向いた。
「葵は話す方向でもいい?」
「はい」
「よし、そうと決まればすぐに発つ準備をしろ」
土方の一言で、江戸への出発は明日に決まった。




