6紅白②
「足は疲れてない?」
沖田は葵を気遣いながらも、さっと注文を終える。
なかなか上手くいかないことに落ち込みながらも、座ると足が重力から解放されてほっとした。
懐に手を入れる。取り出した物を沖田に手渡した。
「くれるの?」
「はい、買ってくださった着物のお返しには及びませんが」
それは紺色の巾着で、槍梅の刺繍が施されていた。
槍梅のデザインは、枝が空に向かって垂直に、迷いなく伸びている。
葵は、この直線的な姿を沖田の一本気な生き様に重ねたつもりだった。
丁寧に針仕事をしたが、一般に流通するものよりは粗さがある。
「もしかしてこの刺繍、葵が?」
緊張感のある面差しで頷く。
沖田は顔をほころばせた。
「……いつの間に作ってたの? 忙しかったのに」
「少しずつ、雪に教えてもらって……」
そうか、と沖田は目を細め、角度を変えたり、指で触れたりしている。
そのとき、
「おまちどうさん」
甘味を持った女が皿を置いた。
もう片方の手で持っていた盆がかたむき、湯呑みが巾着をめがけて滑り落ちる。
葵が「あっ」と言う前に、沖田の眼が光った。
次の瞬間、彼の手が目にも止まらぬ速さで湯呑みの軌道を変えた。
「申し訳ありませんっ」
湯呑みは沖田の胸に当たり、そのまま床へ落ちたようだ。
あれだけ素早い動きだったのに、柔らかい当たりだったのか湯呑みに欠けはない。
「大したことはないのでお構いなく」
葵が茶を拭くのを手伝おうと屈むと、沖田の袴の裾が染みになっていた。
(今日おろしたって言ってたのに……)
「葵にはかかってない?」
彼は嫌な顔一つせずに人の心配を先にしてくれる。
葵は布巾を力なく持った。
「……はい」
雑談も、甘味を楽しむのも早々に二人は茶屋を出た。
小さな橋に差しかかり、なんとなく立ち止まって川風に吹かれた。
いつもなら肌を刺すほど冷たい風なのに、今はあまり温度を感じない。
失敗続きのことが悲しくて、川の流れを羨むように追った。
「ごめんなさい……任せてくださいなんて言ったのに」
俯いたまま顔が上げられなくなった。
沖田は髪に挿した梅の花にそっと触れる。
「どうして? 楽しかったよ」
「違うんです。今日は、私が総司さんを楽しませたくて。なのに結局なんにもできなくて、せっかくおろした袴も汚れてしまって……」
「そんなふうに返そうとすることはない。何か、不安がある?」
「……何も持ってないから」
沖田はわずかに眉を上げる。
「総司さんと比べたら、私何もない……」
人通りのないひっそりした橋で、小さな嗚咽は川の流れに掻き消える。
「……男の格好してるくせに、剣の腕だって、直清さんの力で本当は私のものじゃない」
「そんなふうに思ってたの?」
欄干を握る手に力が入る。
「半端で、護られてばっかりで、なのに欲しいって欲張りになるから……」
「いいよ」
すくい見上げると、沖田は指では追いつきそうもないと、手ぬぐいで葵の涙を一度拭いた。
「欲しいなら、全部あげる」
葵の冷えた手が、彼の温かな頬へ導かれる。
「そんなに思い詰めているとは知らなかったから。全てとは言わないけれど、想いの半分は伝わっていると」
「……残りも、くれるんですか?」
彼の頬に触れている指先に熱が奔る。
沖田は頷いて、ふっと微笑んだ。
「ただ、よほど重いから、全部渡すと葵が潰れるかもしれない」
「そんなこと」
そんな事絶対ない、と言おうとしたとき周囲がやけに騒がしくなった。
触れ看板を持った男が、駆け回りながらなにか叫んでいる。
「改元だ改元だあ! 文久から元治になったぞー!」
二人は勢いよく顔を見合わせた。
改元の予言が当たった。
これで土方や、内心で葵の正体を怪しんでいた人たちに納得してもらえる。
葵は飛び跳ねたくなる気持ちを抑えきれず、手を取った。
しかし沖田は唇を引き結び、双眼で葵を見据えている。
「総司さん……?」
葵が首をかしげかけたとき、閉じた唇がゆっくり開いた。
「夫婦の契りを結びたい」
息が止まった。
「……運命以外のものに葵を奪われたくない。曖昧なものじゃなく、証が欲しい」
変わらず改元の叫び声が辺りでしている。
周りは騒がしい。
だけど抱きしめてくれる彼の羽織がすべてを消した。
このときだけ、世界は二人きりだと思った。
「……私で、いいんですか……」
「葵以外いらない」
約束された答えに、信を重ねるように頬を預ける。
それきり言葉はいらなかった。




