14528甘い舞台
先に目を開いた沖田。
自分の右腕の肘のくぼみには、頭を預ける葵がいる。
彼女は膝を軽く曲げ、猫のように背を丸めていた。
初めて彼女と竹刀を交えたときも、確か『猫のようだ』と、思った。
あの時は雨に濡れた、今はぬくもりに包まれる猫。
葵を気まぐれだと思ったことはなかった。
だが、傷つきやすくて臆病なところは猫に似ていた。
穏やかな寝息とともに、背に回した左腕が上下する。
沖田の目には、葵が編んでくれた朱い組紐が映っている。昨夜言った"一生切れないかもしれない"なんて、まやかしだ。
きっと、それは葵もわかっている。
契りの証しと呼ぶにはあまりに細い。
「……もっと確かな物が欲しい」
彼女に、自分と同じくらい重い感情を持ってもらいたい。
彼女の逃げ道を塞ぎたくないと想いながら、心の奥底では、がんじがらめに縛り付けることを渇望していた。
葵の目から一筋涙が伝う。
射し込み初めた陽の光が眩しくないように、手で葵のまぶたを覆った。
◆
「おはよう」
声に、夢から呼び戻された。
(またあの夢……?)
彼と初めてキスしてから見る不思議な夢。
知らない誰かが、結ばれる瞬間に引き裂かれてしまう――
すぐ近くで微笑む沖田の顔が、心配そうにこちらを見ている。
「もう少し眠ったら?」
首を振ると、沖田は腕枕を外さないまま仰向けになった。
「こんな朝が、自分にあると思わなかった」
「……どうしてですか?」
「一生独りかと。こんな役目だし、周りからもそう、からかわれてたから」
「確かに、沖田さんは剣が恋人っていう感じもしますね」
沖田は脚を絡めて葵にくっつくと、そんなことないよ、と微笑う。
それから唇の端に口づけ、「呼び方が戻ってる」と葵を叱る。
「昨日は呼べたんですけど、ちょっと今は……」
ごにょごにょと最後の方をごまかす。
「恥ずかしくないよ」
目で促して、葵が名前を呼ぶまで待ち続けるので、根負けて口を開く。
「名前だけ呼ぶのは恥ずかしいので、何か台詞にしてもらえませんか?」
一々可愛いことを言うなと沖田は苦笑し、それからぴんと来たように口端を上げる。
提案に、葵は目を潤ませた。
「う……もう少し控えめなやつでお願いします」
押し問答して、「総司さん、今何時ですか」と言うことになった。
普通の会話なのに、沖田が期待を目に乗せるので、唇がのりで止めたようにくっつく。
「そ、そうじ……」
「もう一回やり直して」
干からびた声しか出ないのに、沖田が面白がって何度もやり直させるので、葵は小さく胸を叩いた。
「意地悪……」
「昨日"練習する"って言ってくれたでしょ? 名前くらいで恥ずかしがらないで」
この甘い舞台を降りたいなら、さっさと言ってしまえばいいのに。葵はぐずぐずしながら、腕を沖田の首に回した。
「総司さん、口づけて……」
端役にしかなれそうもなかったが、沖田は目を見開いて、すぐに唇を重ねた。
応えていると身体の芯が炙られるようで、表面がとろりと溶け出したころに唇が離れた。
「これ以上ここにいると、本物の壬生の狼になりかねないな」
頭の下の腕枕が抜かれる。ちょっと残念に思いつつ、葵も立ち上がった。
「伏見の稲荷へ、寄って行こうか」
◇
「これが千本鳥居!」
幕末の伏見稲荷大社は、想像していたものとは違った。
白木のままのものもあったし、朱がくすんで塗り替えられていないものもある。
だけどそれはさして重要ではなかった。
「素敵……!」
葵は、女物の鮮やかな袖を揺らしながら、長い鳥居のトンネルをくぐる。
少し後ろを付いていた沖田は、鳥居に手を触れながら弾むように先を行く葵に、惚れ惚れしていた。
「……綺麗だな」
呟きに振り向いて、自分のことだとは気づかない葵は、目を輝かせる。
「本当に嬉しいです。総司さんと来られて」
「未来では様子が違うの?」
「ええ、朱塗りで、鳥居の量ももう少しあるんです。と言っても行ったことはないので……。
私にとっては、これが伏見のお稲荷さんです」
沖田は近くまで寄って、鼻先を赤くした葵の首へ頭巾をぐるぐる巻いた。
「だるまみたいで、可愛い」
「だるま……?」
「うん」
(いつも、独特な褒め方をされる気がする。でも嬉しい……)
マフラーになったような頭巾へ顔をうずめ、並んでトンネルを通り抜ける。
石畳を踏んで行くと、開けた場所に建物があり賑わっている。
若い男女がおみくじを引いていた。




