15529伏見稲荷
鳥居のトンネルを通り抜けると、若い男女がおみくじを引いていた。
「引いてみようか」
煎餅の中におみくじが入っているという。
葵は手で煎餅を割ってみた。
(凶後大吉……)
沖田はぴらっと紙を開き、「大大吉」と笑ってみせた。
「一番いいやつですね」
「うん、葵のは?」
(葵って呼んでくれる……)
本名を明かしてからでも、土方や永倉に葵、葵と呼びつけにされているのだが、沖田に呼ばれるとくすぐったい。
(お互い下の名前で呼ぶなんて恋人っぽい)
いや、恋人なのか。
一人で頬を緩ませては引き締める。
沖田は肩を並べて、下に書いてあるお告げを読んだ。
「朱を結べば、繋ぎとなりて道開く……?」
二人とも自然と朱い組紐を見ていた。
すると突然沖田が、
「キスしていい?」
「こ、ここでですか……?」
脇道に逸れたとはいえ人目がある。
「確かめたいことがあるんだ」
真剣な顔だったので、葵はさっと周囲をうかがい、人が減ったタイミングでためらいがちにまぶたを閉じた。
唇が触れて、すぐに離れた。
「唇を合わせると、心の奥が揺さぶられるような感覚がある。何か、遠い昔にした約束をこじあけるような……」
彼は思い詰めた様子でいたが、ふもとの町並みを眺望した。
「……俺たちはもっと前から約束された仲なのかもしれないと――おかしいよな、こんなの」
葵は興奮気味に沖田の両手を取った。
「おかしくないです! 私も……初めて総司さんとキスした時から、夢を見るんです」
「どんな夢?」
「生まれ変わったら次こそ結ばれようと約束して、だけど結局叶わないんです……」
約束した二人の生まれ変わる時代が違ったり、片割れが別の人と結ばれてしまったり……
唇が触れかけた瞬間に引き裂かれてしまう、喪失感でいっぱいの夢。
葵は視線を巡らせる。
「……未来では『運命の赤い糸』っていう言葉があるんです」
笑われるかなと思ったが止まらない。
「この朱い組紐が、出逢うはずなかった私たちを結びつけて、約束を叶えることを赦してくれるのかもって……」
彼に目尻を撫でられ、涙が滲むほど感情的になったことに、耳が熱くなる。
「いつかは、血の色だなんて言って悪かったね。運命の朱い糸か。信じたくなるから不思議だな」
ずっと一人、密かに想っていた乙女めいたこの迷信を、沖田が同じ温度で語ってくれることに胸が一杯になる。
遅れて、あれ? と首をかしげる。
「総司さんさっき、『キス』って言いました?」
「うん、葵がよくそう言ってるよね」
「はい、キスとは異国から来た言葉でして、この時代でいう口づけや口吸いに該当し……」
「いやいや、そんな解説いいよ」
愉快そうに笑われ、はっと口を手のひらで覆う。
彼の目尻が下がる。
「本当、可愛い」
目を伏せていても、彼の慈しむような眼差しがわかる。いじいじと裾を引いた。
「そんなに何度も褒められると、どうしていいか……」
「嬉しいんだ、女の格好してる葵を見るのが。綺麗な着物、嫌じゃないでしょう?」
沖田は、葵が髪にくしを通したり、町で綺麗な着物の女に足を止めるのを、ずっとそばで見てきた。
おかげで、彼女がどんな内心で男装に身を包んでいたかは知っている。
「似合ってるよ。すごく綺麗だ」
てんこ盛りに褒めてくれるので、そろそろ感情の行き場がなくなってしまう。
「……照れます」
沖田はいつも直接的に想いを伝えてくれる。言い方は悪いが初めはキザなのだと思った。
でもどうやら違うようで。
現代の葵の価値観に合わせて、出来るだけ言葉にしようと心を砕いているらしい。
「話しは戻りますけど、総司さんはよく色々なことを覚えてますね。
私が新選組を口走ったことも、佳代さんのお墓の場所も……」
「物覚えはいいんだ。だから、組紐が切れても葵のことは忘れない」
嬉しいはずの言葉が胸に突き刺さった。
葵は明るい声を出した。
「私のことは忘れてください」
冬の澄んだ空気に虚しく響く。
明るく言ったのは嘘だったが、忘れて欲しかった。本当に。
強がりではなく、きれいさっぱり忘れてほしい。
覚えていてもらったところで、もう二度と再び逢えないのだから。
「忘れないよ」
「……忘れてください」
沖田は、鼻をすすり始めた葵の目元を拭って抱きとめた。
「わかった。忘れる。でもまた逢いに行くから」
うんうん、と声にならずに頷く。
沖田は気づかれないように、喉仏を上下させ、上を向いて数回瞬きをした。
「俺は意地が悪いから。忘れてくれなんて言わない。その時まで、きちんと覚えておいて。……どんなにさみしくても」
彼の胸が震え出すから、葵はもう見なくてもわかってしまった。
人目も気にならずに泣いて、全部を彼の着物で拭いた。
周りではさい銭を投げる音、楽しそうな人々の声が聞こえている。
ここにいる人皆が、一人一人縁がある。
葵は手を握りしめた。
彼は顔を見られたくないだろうかと、俯いたまま袖を引く。
なんとなく辿り着いた先で、黙ったまま列に並んだ。




