13527知ってるの?
◆
沖田の目の前で正座をしている葵は、
「決して先に進みたくないわけではなく。初めての人は、総司さんしかいないと思っておりまして」
潤んだ瞳で唐突にそんなことを言われ、沖田の細まった瞳が徐々に開かれていく。
「なので、お時間をちょうだいしても良いでしょうか」
並ならぬ空気に、沖田も布団から出て腰を据えた。
「時間が解決するの?」
尋ねてみたのは、沖田が自分にもした問いかけでもあった。どうしたら葵が安心してくれるのかと。
別に抱きたいと、欲をぶつけるためでなく、彼女に心から笑ってほしいからだ。
ただ時間が経つのを待っていては、彼女の安心を勝ち取れないのではないかと。
「……練習してみようかと思うんです」
「練習って」
意味するところを察してまじまじと見返すと、葵は真剣な顔つきで、
「さっきみたいのを……してもらえませんか」
「ええと。つまりこれからも、さっきみたいに触れて良いってこと?」
「はい、慣れれば私にもその先が出来るのではと」
何を言い出すかと思えば、「下手な突きも繰り出しゃ当たる」ばりの強引な論法に、沖田は可愛さ余ってため息が出た。
しかもこれは剣術ではない。
「自分が何を言っているかわかってる?」
「わかってます」
「いや、わかってないって……」
さっきまで息ができないと震えて縋っていた癖に、とからかうと、葵はますます頑なに目に涙を湛えた。
「だって、組紐が切れるまでしか居られないのに……」
ああ、そういうことかと沖田は、すっかり俯いた葵の肩に触れる。
「でもさ、いつ切れるかはわからないんでしょう? 一生切れないかもよ?」
はっと葵が顔を上げた。
今まで考えたことがなかったようで、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。この顔も好きだなと、内心で微笑いそうになりながら、
「ね、それなら別段焦る必要もないんじゃない?」
「だけど総司さん、さっき組紐に関係なく、いつ失うかわからないって言ったじゃないですか」
「まあこんな仕事だからな。組紐が切れる前に死ぬこともあるかもしれない」
また葵の顔が不安そうになるので、沖田は努めて明るく言った。
「組紐が切れるのを俺達二人の絶対的な死のように捉えていたが……いつ死ぬかわからないのは皆同じだよ。そう考えると少しは楽にならない?」
葵のまつ毛が、素早く二回上下し、沖田はその奥を覗き込んだ。
――この瞳
いつも沖田が将来を約束するような言葉をかけると、葵はこの瞳を見せる。
普段は黒に近いけれど色素が薄い瞳が、暗い不安を映し出すように色が濃くなる。
だから、二人の将来に組紐以外に不安要素があるのではと、ゆっくり口を開いた。
「――葵は、俺の最期を知ってるの?」
「何も知りません」
意外にも彼女は即答した。
「歴史は苦手なんです」
微笑む葵の瞳は、真っ直ぐに沖田を見つめている。腿上の手も穏やかに揃えられていた。
いつもの彼女なら嘘をつくときには、目を伏せ、袴を握りしめる。
――彼女は、本当に知らないんだ
葵はいつも一人で抱え込むからと、つい疑う癖がついていた。
沖田は納得し、もう探ることを辞めた。
「とにかく、触れてもいいと言うなら、こちらは歓迎するけど」
肩をすくめて笑う。葵は殊勝に手をつき頭を下げた。
「……お手柔らかにお願いします」
髪を耳にかければ、やはり朱くなっているので、どこまで翻弄すれば気が済むのかと、ため息をつく。
そしてやっぱり、そのまま情をぶつけるわけにはいかないと思い直す。
沖田は自分の中に潜む猛獣を、二重の檻に入れ、太い鎖で繋がねばならなかった。
「寝ようか」
どういう顔をすれば葵がほっとするかは知っているから。
苦しいくらいに求める気持ちは、押し留めて頬へ口づけた。
◆
沖田の寝息を聞きながら、葵は暗闇でそっと目を開けた。
――俺の最期を知ってるの?
(大丈夫、上手く答えられてた)
沖田に未来から来たと打ち明けるとき、彼の最期だけは絶対に隠し通すと決めていた。
例え新選組の終末を隠せなかったとしても。
彼が病に散ることだけは話すまいと。
何度も、いや、何百回も心の中で練習した。
例え一つの日陰もない、白日の下で問われようとも。「何も知らない」そう答えると決めていた。
(だけど)
もし、この先彼に病の兆しが出たら、自分は隠し通せるだろうか。結核だと診断が下りるまで、知らない顔をして沖田を看病できるだろうか。
(弱っていく総司さんを目の当たりにして、耐えられる……?)
それだけは、想像するだけでも泣いてしまうから、シュミレーションすらもできない。
今まで葵がしてきた数々の対策が、どれか一つでも実を結んでいますように。
そう願いながらも、実を結んでいたらいたで、また別の問題もある。
(新選組の最期ばかりは、きっと私には変えられない)
だから、この組紐が沖田の言うとおり切れないのなら、そのときまで傍にいられれば。
もう、共にその終わりに向かうことにしか正解を見出だせない。
なのに、この組紐が本当に切れないのかもわからない。
(気が狂いそうになる)
後何回こんな夜を越せば安心できるだろう。こんなに、近い距離で腕に抱かれているのに。
「ん……葵……?」
「ここにいますよ、総司さん」
驚くほどに穏やかな声が、自分から出た。
声を聞いた彼は、安心したようにすぐ眠りに戻ってくれるから、切なくて。
嘘をついた唇で名前を呼ぶことを、もう誰にも赦されない気がした。
(でもいいの、これで)
「皆同じ」であるはずの死を「彼だけ特別に決まっている死」にするわけにいかない。
おやすみなさいの代わりに、彼の胸に顔を埋めて、深く息を吸った。




