幕間3 スペア
「出来た!」
小鍋の蓋を開けると、湯気が立ち昇りふわふわな卵が揺れている。土方もガラにもなく歓声をあげている。
葵は、鍋に箸をつけそうな原田の手を止める。
「あ、左之さんちょっと待ってください!」
「ああん? 手伝ったのにあんまりだな」
炊事係の隊士が声をかける。
「たまごを食べられるのは役付きの人だけだろ?」
「そんなことないですよ。体調の悪い人優先ですが、みんな体力仕事なんですし。平等でいいんじゃないですか」
と言いつつ、ちゃっかり鍋一つ手元に置いている葵。沖田の分だった。
「これはお給金で買ったんです……」
説明するが、
「沖田だけずるい……」と藤堂が悲しそうに目を伏せる。
「うーん、じゃあ一口ですよ?」
(これでいっか)
深く考えずに手に持っていた木匙でたまごをすくう。
「どうぞ」
口元に持っていくと、藤堂はおろおろしつつも嬉しそうに口に入れた。
ほっと頬が赤くなり「おいしい……」と丸い瞳を潤ませる。
「魔性だな」「ああ。違いないな」
「お二人も食べます?」
ブツブツ言う原田達に木匙を渡すと、土方が口を開く。
「俺たちには食べさせてくれねえのか?」
「え?」
今さら藤堂に「あ〜ん」してしまったことに気づく。土方はにやつく。
「総司の前でやるなよ。あいつ嫉妬深いからな」
藤堂も深く頷く。
「そうそう。あの独占欲何とかならないの? 仕事の話をするだけで睨まれるんだから」
「お前のは仕事の話以外も多分に混ざってんだろ……」
「これうめえな!」
横では鍋が一つぺろりと原田のお腹に入っていた。他の鍋も奪われそうなので、葵はさりげなく木匙を取り上げる。
「そういえばもうすぐ豚肉も届くんですよ」
隊士たちがざわつき始める。
「豚!?」「食えんのかよ」「臭みがあるっていうよな……」
土方が補足する。
「あぁ。薩摩じゃ普通に食ってるみてえだし、葵が滋養に良いっていうからな」
(豚が身体にいいっていうのは、松本先生の知恵なんだけどね……)
心の中で付け加えた。
松本良順——後に新選組に深く関わることになる医者だ。
「土方さん、すっかり葵ちゃんのこと信用してますね」
藤堂のつっつくような言い方に、土方は「まあな」と肯定する。
葵は嬉しくなった。
(女だって、本当のこと言ったからなのかな? 自分はここの人間じゃないって後ろ向きな気持ちが薄れてる……)
よく食べたたまごふわふわの味に、父の笑顔が浮かび、やはりさみしい気持ちもある。
それでも幕末を離れたくはなかった。
明るい笑い声が響く中、ひっそり鍋に蓋をした。
◆
部屋に戻り火鉢に炭を入れる。
炭に濃い橙色の亀裂が入っていき、じきに部屋が温まりだした。
「うー、寒い」
木造の建物なので冷え込みがきつい。部屋の中にいても白い息が出る。
壁には、沖田が作ってくれた日めくり帳がある。前の部屋から移動する際に持ってきていた。
「まだ十二月だけど、これ、二月とかになったらもっと寒いよね……」
――二月まで、自分はいられるだろうか
綿入りの上着を着込んで、朱い糸を取り出す。前世に託された朱い組紐と、そっくりな色を選んで買った。
葵は黙って糸を編み始めた。
右手の組紐と同じものを作るつもりだった。
(もし組紐が切れても、ここにいられますように……)
スペアを作ったからって、きっと意味がないことはわかっていた。それでも何かに縋りたかった。
集中すれば余計なことは忘れられると思った。
仇討ちのこと。
新選組の行く末。
そして、これから先彼がかかるかもしれない病のこと――
(駄目……沖田さんには話さないって決めたんだから)
静かすぎる離れの部屋に一人。
焦燥感が粉雪のように積もっていく。
「早く、帰ってきて……」
声の震えが身体全体に伝わる。手のあかぎれと涙が沁み込んで、編みかけの組紐が濡れていく。
火の粉がぱちりと跳ねた。
かたっと物音がして、急いで顔を拭った。




