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★幕間4 たまごふわふわ

「おかえりなさい」


 出迎えた葵の不安そうな笑顔を見ると、沖田はすぐに距離を詰めた。


「ただいま」


 外の冷気を帯びた鎖帷子(くさりかたびら)の堅い感触に、熱が奪われる。

 冷たいけれど寒くはなかった。


「……組紐をつくったの?」


 頷くと、すっと手が差し出される。


「もらってもいい?」


「それ、汚れちゃって……上手く出来なかったのでまた作ります」


「ううん、これがいい。結んでくれる?」


 葵は差し出された左手に組紐を結ぶ。

 言うことを聞かない指先で、懸命に、ほどけないように固く。


「ずっと、一緒にいられる気がするな」

 彼の指が、愛おしそうに組紐を撫でる。


(そんな顔されると……)

 鼻の奥がつんとする。


(もう、先のことは考えない……!)

  

 仕切り直そうと、温め直した鍋を目の前に置く。


「どうぞ、"たまごふわふわ"ですよ」


「お、近藤先生の好物だ」

 

 彼はたまごを口へ運び、舌に乗った瞬間

 「おいしい」と笑顔を浮かべる。

 

「葵さんは、料理が得意なんだね」


「……どうでしょう。親の帰りが遅かったので、普通には作れますが」


 暗くなるのが嫌で、なんとなく早くに死んだ母の話は避けてしまった。


「そうか。だからなんでも自分でやる癖がついてるんだな」


 これからは甘えてもいいよ、と頭を撫でてくれるから、小さな頃に戻ったみたいで。

 

「怖くないよ、甘えることは」


(そうかな……)

 欲しがって拒絶されたら恥ずかしい。

 期待して知らんぷりされたら傷つく。

 大切になったのにいなくなったら怖い。


 だから知らないふりをしていたのに。


 彼は、目を伏せてしまった葵に優しく声をかけた。


「これもおいしい。葵さんは食べた?」


「はい、ここでいただきました」

 

 根菜の煮物も味噌汁も、次々沖田の口に消えていく。

 色々食べてくれるのは嬉しい。

 これからも元気でいてくれると信じられる。

 

 全部食べ終わると、彼は両手を合わせた。


「なるべく時間を作るから、一緒に食べよう。俺がいないときは、みんなと食べればいい」

 

 何気なく優しさを差し出して、当たり前にこれから先の話をしてくれる。


(さみしいとか何も話してないのに、不思議だな)


 人の機微(きび)が読み取れるというのは、彼の負担にはならないだろうか。


(私も、沖田さんの心が少しでもわかればいいのに……)


 至らなさを嘆くが、それでも沖田の笑顔は増えたように思う。たまに夜うなされているが、葵が手を触れるとおさまる。


 食事も一時期全然食べていなかったのが嘘のようだった。


(少しは役に立ててる?)

 食器を下げようとすると、沖田がさっと手に取った。


「葵さんも疲れてるでしょう。座っていて」


 でも、と遠慮するが、


「さっきは炊事場で良いところ見せられなかったから、挽回させて」


 と、先ほどまで大人っぽく包むようにしてくれていたのに、途端に年相応の笑顔を見せた。



 ◇

 

 食べ終わった彼と布団を二人で運びながら、未来ではボタン一つで火がつくこと、蛇口をひねれば水が出ることを話すと、沖田は「信じられないな」と目を丸くする。


「私も初めは信じられませんでしたよ。火打ち石で火をつけて、火吹き竹でフーフー息を吹くなんて」

 

 他愛ない話をして、また腰を下ろす。

 沖田は、葵の手をじっと見た。


 切るように冷たい水しかない幕末で、葵の手はあかきれだらけになっていた。

 ただでさえ剣だこがあって恥ずかしいのに……そっと引こうとするが、


「生薬の軟膏を見つけてね」

 あかぎれをなぞるように、労わるように塗ってくれた。


「痛む?」


「いいえ」

 じんと染み入って、静かなのに心が激しく揺れる。

 

「……沖田さんも塗りますか?」


 彼は少し考えた後、企むようににっこり笑う。

「……じゃあお願い」

 背中を向けて、ゆっくり両襟を肩から落とす。


「えっ……塗るって」

(身体に? 手に塗るんじゃないんですか?)


 急いで顔を背けた。


「早くして、寒い」


 慌てて軟膏を手に取る。

「し、失礼します……」

 

 と言ったものの顔も手も動かない。

 手当を担当することになり他の隊士の身体を診ることは増えたが、それとこれとは別だった。


(背中に、じかに塗るの? 沖田さんの……背中に)


 ぐるぐる考えていると、沖田がくしゃみをした。


(風邪ひかせちゃうかも)


 一度目を強く瞑ってから、そっと開いた。


(あ……こんなに)


 薄明かりの中、浮かぶ広い背中には、傷や(あざ)があちこちにある。

 こんなに自分を削っているのかと、葵は胸が締め付けられた。彼の背中に触れることに、もう恥ずかしさはなくなっていた。


 軟膏を手のひらで温め、溶け出したものをゆっくりと塗り広げていく。


(早く、良くなりますように……)


 背中の傷が指に触れるたびに祈った。

 彼は静かに目を閉じている。


「普段塗らないから変な感じだけど、効きそう」


「毎日塗りますね」


 葵の言葉にくすっと笑って、

「毎日されたら、抑えられなくなるかも」


「何が……」

 尋ねる暇もなく、布団に引きずり込まれていた。


「葵さんも冷えてるね」


「そう……ですか……?」

 平静を装うが、鼓動はごまかしきれない。


(近い、近い。上着を……着てください)


 そんなことも言い出せない。

 素肌に直接身体が触れたのは初めてだった。

 せめても、自分が冬用の厚い着物を着ていてよかったと、そんなことだけやけに冷静でいる。


 沖田は葵の心臓の上に手を当てると微笑(わら)った。


「破裂しそうだ」


 厚地の着物の上からでもわかってしまうのかと、いっそう心臓がやかましくなり、顔を埋めた。

 

(熱い……)


 そういえば彼は今素肌だったんだと思い出して、だけど、羞恥より彼の心音を聞きたかった。

 沖田の心臓も、普段より乱れ忙しく動いている気がする。

 

 いつの間に侵入したのか、葵の背中へ直接手が置かれていた。冷えた場所が温まると、また手が移動し、別の場所を温める。

 

 温めてもらわなくても良いんじゃないかと思うほど、発熱していて、

 慣れなくて、だけど離れたくはないという不思議な感覚。

 それこそふわふわたまごの上にいるようで、熱に思考が溶けていく。


 暗い部屋で、葵は目を閉じた。


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