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5-8買い物


 葵が先に出てしまうと、男二人だけになった部屋は妙な空気だった。


 土方は煙草の葉を取り出したり、灰吹の灰を淡々と処理している。

 彼が煙草を吸うのは、単なる嗜好なのかもしれない。しかし、その仕草の一つ一つが、言葉よりも土方を暴くことを、長年の付き合いで沖田は知っていた。


「言いたいことがあるなら言えよ」

 

「土方さんこそ」


 再び沈黙が訪れる。


煙管(きせる)、変えたんですね」


 土方が最近愛用していた煙管(きせる)は金蒔絵で桔梗など秋の草花が描かれたものだった。葵に贈った根付と同じ意匠だ。


「あれは接合部がガタついてな。味が悪くなる気がして使ってねえ」


 煙管の火皿に器用に葉を詰めていく無骨な手の動きを追いながら、沖田は言った。


「……土方さん、私の思い過ごしということでいいんですよね?」


 あえて対象をぼかした遠回しな問いかけだった。


「お前こそいいのか。けしかけたのは俺だが、愛した女が消えるんだぞ。それも姿形だけじゃねえ、記憶も想いも丸ごとだ」


「帰すべきだとはわかっていますし、そのために最善は尽くします」


 即座に淀みなく返答した。迷いを見せれば決心が鈍りそうだった。なのに煙草の渋い香りに誘われて、別の想いが込み上げる。

 

――全て消えてしまうのなら、今だけでも葵を自分のものにしたい


 自分と葵に同じ熱量はない、と沖田は思っていた。彼女はなりふり構わず相手を欲しがる真似をしない。

 

 まるで沖田の本音を読み取ったかのように、土方は(わら)った。


「あいつなりに覚悟を持って総司の傍にいると言ったんだ。疑ってやるなよ」


 煙を吐き出して目を細める一連の所作に、かつて沖田は密かに憧れた。

 土方はなにかにつけて、沖田に「ガキだな」と言う。(しゃく)に障り、見かけから入ってやろうかと煙管(きせる)を買ったこともある。 


「彼女の想いまで疑っているわけではありません。もちろん、自分の本音は伏せるよう心がけます」


「勝手だな」


「土方さんのように分別がないので」


「物分かりの良さなんて色恋にはない方がいいだろう」


「違いありません」


 軽口が途切れると沖田は腰を浮かせた。

 畳が鳴る音を聞きながら、土方はふと目を遠くする。


「総司、俺は結局……お前のほうが可愛いんだ」


 開きかけた襖が止まる。襖の和紙に鼻を突き合わせたまま、沖田は手を下げた。

 その背中を、低い声が押し出す。


「いい、さっさと行け」



 


 襖が閉じると、土方は別の煙管を取り出し、葉を詰めた。

 一吸いして静かに吐き出す。

 一回ずつ、味わうように吸い終えた。


 灰吹に煙管(きせる)の灰を落とすとき、片手を添えた。いつもの、気が張ったような打ちつける音はしなかった。


 煙管(きせる)に描かれた桔梗の花。その花言葉は『誠実』、そしてもう一つ。


「一途な愛、か」


 そのまま煙管を引き出しへ仕舞った。

 奥深くへと、押しやるように。



 ◆

「町に行こう」


 土方の部屋を出るなり沖田に言われた。


「女の着物、持ってないよね?」


 葵がいつも着ているのは、蒼井直清の着物だ。当然、女物はない。


「皆に女だと言うなら、姿から入ったほうが早いかと思ってね」


「待ってください、私――」


「大丈夫、いい店知ってるから」

 

 沖田は珍しく強引に手を引いて歩き出す。





 

 店の前で、葵は震えた。

 連れて行かれたのは、四条通から少し入ったところにある老舗の呉服屋。


(ここ……現代でいう高級デパートなんじゃ……?)


 後ずさる葵を無視して、さっさと中に入る沖田。

 中は広々とした土間と座敷がある。反物が色とりどりに積まれ、番頭が待ち構えていた。

 

 沖田が入ると、番頭の一人がすぐに気づいて深々と頭を下げる。

 

「沖田様。お久しぶりでございます。何かお探しで?」

 

「女物の着物を。……普段着でなく、ちゃんとしたものがいい」

 

 葵は慌てて袖を引いた。

 

「沖田さん、普段着で十分です!」

 

 沖田は聞こえてないふりで、番頭に目配せする。


 次々と反物が広げられていく。


(なんかつやつやしてる……これ絶対高いやつだよね)

 

 自分の財布が気になって仕方ない。


(いくらするのかな……) 


 ぴらっと端をつまんでも、値段なんて書いていない。

 

「この紫の無地、落ち着いてて葵さんに合いそう。

……いや、こっちの染めの小紋もいい。春先にも着られるし」


 最初は控えめに選んでいた沖田の目が、だんだん熱を帯びてくる。



「錦糸入りの帯と、絞りの外行着(そとゆきぎ)……それから。ああ、帯締めも、帯揚げもいるな」


 番頭が合の手をうってくる。

「一からお揃えになるんでしたら襦袢(じゅばん)もいりますね! あとお草履と……」


 さすがの商売魂だ。奥からさらに品物が出てくる。


「半襟も付け替えてくれ」

「へえ、重ね衿もいかがですか」


(襦袢? 帯揚げ?)

 もはや何を選んでいるのかもわからず、葵は立ち尽くしていた。


(はっ……駄目だ、流されてる場合じゃない。私の手持ちは、全部合わせても3両くらい……)


 この着物の総額は見当もつかないが、それでも3両で足りないことくらいはわかった。

 

 葵の月給が大体1両前後+臨時手当。 

 沖田はそれよりもらっているだろうが、それでもぽんと買う買い物には思えなかった。

  

 しかし彼の選び方を見るに、連れて行った時点で自分が払う気でいるようだった。

 それがこの時代の男の甲斐性(かいしょう)なのかもしれないが、現代の葵の価値観では過分に感じた。


(お金がないって言っても、沖田さん聞いてくれなさそう) 


 番頭が奥に消えたタイミングで、ひっそり声をかける。


「これ反物ですよね? 今から仕立てても間に合わないと思うんです」


 沖田は目を丸くする。

「仕立てのことはすっかり忘れていたな」

 

 しかし、すぐ笑顔に戻った。


「いいよ、そうしたらこれはこれで買えば。急いでもらえば三日後には着られるし。仕立て上がりを別で見ようか」


「そういうことじゃないんです……」


 また沖田ははっとする。


「悪いね、嬉しくてつい。葵さんの好みも聞かないで」


(うん、ちょっと違うけど、もうなんでもいいや……)


「私、すっごく動き回りたいので、高級な着物は合わないと思います。着ていくところもないし……」


 理詰めで説明し、小物だけ買って出たいと伝えるが、ますます沖田が(かたく)なになっていく。


「葵さん……もしかしてお代のこと気にしてる?」


 図星を指さされ、正直に言うことにした。


「私がいたところでは、男の人だから高価な物を買うべきとか、そういう考え方がなくて……」

 

「それは尊重する。だけど、曲がりなりにも武士である俺が、この状態では帰れないかな」


 悪戯(いたずら)めいた視線の先には、番頭が広げた品が山盛りになっている。


(確かに……これだけ出させて『やっぱり買いません』は出来ないかも)


 だけど、ずっと甘えることを知らずに育った葵は素直に好意が受け取れない。


 しかし、

 

「自分の大切な人として紹介するんだから、きちんとしたものを着てほしい――っていうのは俺の勝手?」


 彼の熱い眼差しに射抜かれ、最後には首を縦に振っていた。




  ◇



 


「沖田様、出来上がり次第、至急お届けいたします……!」

 

 にこにこ顔の番頭に見送られ、店を出た二人。


 あの後沖田は、仕立て上がり品の中から上等なものを見つけ、急いで手直しを頼んでいた。夕刻前には手元に届くという。


「葵さん背が高いから心配だったけど、ちょうど合うのがあって良かった」


 葵の固く結ばれたままの唇。その両端を、沖田がみょーんと持ち上げる。

 

「そんな顔しないでよ。楽しみなんだけどな」


「だって……」


 結局沖田には、一銭も受け取ってもらえなかった。

 普段柔らかい口調だから気づかなかったが、彼はやはりこの時代の男なのだ。


 自分の女にするということは、丸ごと責任を取り、生涯面倒を見るいうことで。

 沖田の気概と覚悟は、葵の想像よりずっと重いようだ。

 

 小さくいる葵に、沖田は罪悪感を軽くしようと口を開く。

 

「いいんだよ、他に使うことないし。それに葵さん、いろいろ食べ物買ってくれてるよね?」


「気づいてたんですか……」


「うん」


 葵はいつもお給金が入ると、栄養がありそうな物を買っていた。少しでも彼の血肉になればと。


 沖田は穏やかに笑って、弾む足取りで先を行く。


「だからお返し。真心には足りないけどね」


「そんな、私の方が沖田さんにいつも助けてもらってるのに……」


 橋の真ん中で、沖田は欄干(らんかん)に手をついた。


「逆だよ、いてくれるだけでいい。いや――いなくなってもいい」 


 その横顔は、伏せたまつ毛が影を落としている。


「ずっと、独りだと思っていたから……この気持ちをくれたことに、感謝してる」


 一緒に並んで川を見た。

 橋についた右手には朱い組紐――これが切れれば、葵に関する記憶は沖田の中から全て消える。

 

 川を()き止めることは出来ないように、時間も流れて行ってしまう。そして、沖田が大事にしてくれているその想いも。


 それでも今、笑顔を向けてくれる。 


「もう俺は、罪を言い訳にはしない。笑って、二人で過ごしたい」


「私も……」


 やっぱり続きは出てこなくて、代わりに喉の奥が熱くなった。


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