5-5居場所
唇が、触れかけた――
けれど届かない。
引き裂かれるように、指先が離れていく。
『来世で、約束を――』
誰かの声が遠くで掠れた。
重いまぶたに陽の光が差し込む。
「ん……」
近頃冬が近づき朝は冷える。だというのに、今日はあたたかく心地よかった。
薄い掛け布団からは得られない、堅いのに柔らかい不思議な感触。
――この感じ、ずっと前から知ってる
そっと目を開ければ、沖田に抱きしめられていた。健やかな寝顔を見るだけで鼻の奥がつんとする。
自分の唇に触れる。
遠い記憶が疼くように胸の奥が熱くなった。
何かを忘れているような。
――忘れる――
(沖田さんに、忘れられちゃうのに……)
隠したまま口付けを受け入れてしまった。
自分が彼を覚えていればいいと。
いつの間にか、透き通る黒い瞳がこちらを穏やかに見ていた。
「おはよう」
「おはようございます」
自分のずるいところを見透かされたようで、腕から抜け身体を布団に滑り込ませた。
「何で隠れるの?」
「いや……」
布団の感触も手足の感覚もはっきりある。
キスも、今こうして彼の腕で朝を迎えているのも夢ではない。今さら恥ずかしさが出てきた。
潜り込み長々と出てこない葵に、沖田は布団をめくった。
「出ておいでよ」
彼の寂しそうな笑顔を見ると、胸の内をずたずたに引き裂かれるような痛みと、甘い蜜のような疼きが沸き起こる。
すっと半身を起こして布団から離れると、朝の冷気に襲われ身体が震えた。
「葵――」
沖田に手を引かれるがまま、大きな胸に飛び込んだ。
「……昨日はごめん。本当は帰すべきだってわかってるのに」
葵は首を振る。
「ここにいたいと、そう言ったのは私ですから」
背中を撫でていた彼の手が、つと止まる。
「隊が決めたことなら、俺は今後も従う。次の日には普通に飯も食べるし、いつもみたいに笑える」
弱々しい声の裏にあるものを感じ取ろうと、葵は耳を澄ませる。
「葵さんと俺は違う……」
部屋が静まると、彼が息を吸う肋骨が広がる音だけが目立った。
沖田の言葉はどれも葵を突き放すものばかりで、そしてことさらに自分を傷つけようとするものだった。
『もう苦しまないでほしい』と慰めたかった。他にも色んな言葉がこぽこぽと湧き水のように浮かぶが、収束するのは結局一言。
「傍に、いたいです……」
幾度も沖田に伝えてきた言葉だ。
葵と自分は違うと言い切る彼の目には、何が映っているのだろう。
天井か宙かを一心に見詰めている。
葵は身動きできなかった。
冷えたと思った身体は沖田にすっかり温められた。
陽が動き、影の向きがわずかに変わったころ、彼はやっと口を開いた。
「土方さんに女だって伝えた?」
「……恐らくお気づきだと思うのですが、最終的には男でいいと言ってくれました」
「よし」
沖田は気合を込めて立ち上がる。黙々と身支度を終え、葵へ再度問いを投げる。
「……本当にここにいたい?」
「はい」
力強く頷いた。
沖田は返事はくれなかったが、ふっと目を細め襖の前で振り返った。
「ちょっと出てくる」
彼が出ていくと急に心もとなくなった。
手首の組紐に指をかける。
何本もの糸が複雑に組み合わさって、綺麗な模様を紡いでいる。
密度がしっかりあって簡単に切れそうにはない。それは、葵の不安定な心を落ち着けた。
(組紐が切れたら忘れられちゃうのに、傍にいたいだなんて。本当にこれでよかったのかな……)
沖田に真実を言わないのはずるいことなのだろうか。
どのみち忘れられるのなら、言っても言わなくても同じと居直れたら楽なのに、とため息をつく。
「沖田さんどこに行ったのかな……」
胸騒ぎがした。
昨日沖田は、鞘のままとはいえ土方に刀を当てていた。
さっと血の気が引く。
襖を勢いよく開け、急いで土方の部屋に向かった。




