4_布団、使っていいよ
手を引かれるまま沖田の部屋に着いた。
「ちょっと待ってて」
そう言い残して、彼は出て行ってしまった。
葵は藤堂にもらった手荷物を、そう広くはない和室の端に置いた。
(男の人と二人部屋)
邪な考えをしたようで、頭を振る。
葵は、一人娘を溺愛する父の影響で、ろくに男子と付き合ったことがなかった。
そんなわけで、この狭い部屋で異性と寝るというのは非常事態。
(大部屋で男性と雑魚寝するよりいいよね……?)
しばらくすると、盆を手に沖田が戻ってきた。
白米と汁椀にお漬物だ。
すっと机に置くと、葵を見た。
「残り物しかなかったけど、夕餉食べられる?」
一応気遣ってくれているらしい。
「ありがとうございます……」
箸が進まない。
先に食べ終えた沖田が、汁椀に蓋をして、畳にごろんと身体を横にした。
片肘をついて葵に向く。
米粒一つでもとり落とせないような視線が葵を刺す。
(うう……早く食べないと……)
焦れば焦るほど葵は喉が狭まり、何も胃まで通っていかなかった。
急に沖田が立ち上がる。
「あおいさん風呂入る?」
「あるんですか?」
「うん、ここ出て廊下を……」
場所を説明しながら、沖田は結局ついてきてくれる。
(さっきも、ご飯わざわざ持ってきてくれたんだもんね。やっぱり優しいのかな)
安心しかけ、いや、彼は土方の言葉通り葵を監視しているのではないかと気を引き締める。
廊下を行って戸を開くと、もうもうと湯気が立ち込める。
薄暗い奥に小さな五右衛門風呂があった。
何のことはないふうに、すのこの上まで一緒に入る沖田。表向き男同士なのだから、何もおかしくはない。
固まっていると、
「もしかして、風呂の使い方も忘れた?」
葵は沖田の背中をぐいっと押した。
「覚えてます! けど私、身体に見られたくない傷があって……なので、お風呂やっぱりいいです!!」
沖田は肩越しにちらっと、真っ赤になった葵を見る。
「傷?」
「は……い」
しんと静まる。
外で、湯を沸かす薪がぱちりとはねた。
「じゃあ一人で入ったら? 内鍵もあるし」
沖田はあっさり引き返してくれたので、葵は安堵した。
さらしを取ると、やっと息ができた気がした。
(さらし突っ込まれなかったけど、他にも巻いてる人いたし、大丈夫だよね?)
背丈があるというだけでごまかし切れるか。
「前途多難……」
◇
(はー、生き返った)
お湯で、嫌なことも少しは流れた気がした。
戻ると布団が敷かれてあり、葵は頭を下げた。
「すみません、私がやらなきゃいけないのに」
「別にいいよ。寝ようか」
と、いきなり沖田が袴の紐を解き出した。
「え! な、なんで脱ぐんですか」
「ん? なに?」
かまわず、しゅるしゅると紐がほどけていく。
葵はとりあえず下を向いた。
ばさっ……と袴が落ちる音がして、耐えきれずに目を覆う。
音を聞きながら
あれ? と冷静になる。
(袴を着たまま寝る方がおかしいのか。皺だらけになっちゃうもんね……)
大体、袴を脱いだ所で下には着物を着ているわけで、恥ずかしがる方が恥ずかしい。
(そうだよ、それに着物の下には、ふ、ふんどしがあるわけなんだから、見えるわけじゃ)
「脱がないの?」
沖田に指摘される。
「……」
おかしいのはわかっていたが、葵は袴は脱ぎたくなかった。
今着ている蒼井直清の、夏用の単は薄い着物だ。下に肌着は着るが、合わさる部分を止めるものは男用の細帯だけ。
(もしも寝ている間に、合わせがはだけたら)
せっかく風呂に入ったのに冷や汗が出る。
「ぬ、脱ぎません。冷え性なんです」
「真夏だけど、今」
「う……」
袴を握りしめた葵に、小さな声が――
「残念」
(え――?)
ばっ、と沖田を見るが、彼は袴をきちんと畳んでいる最中だった。
聞き間違いかと考えていると、沖田は刀を枕元に置く。
「布団いいよ」
と言って座布団を丸めて畳に寝転んだ。
「私が畳で寝ます!」
沖田の腕を引っ張り、身体を起こさせた。
剣道部では上下関係が厳しい。1年生の頃は先輩の荷物を持ったり、広い体育館の雑巾がけをやるのも当たり前だった。
それが感覚として染み付いている葵は、
副長助勤の沖田を差し置いて、自分が布団で眠るなんてとんでもなかった。
沖田は葵の髪を梳く。
「疲れてるでしょ。布団は明日買いに行けば済むんだから」
長い指が耳を掠めると、葵は「ん……」と出かけた声を大急ぎで喉奥に飲み込む。
(熱い……)
おそらく赤くなっているであろう耳を両手で隠した。
湯上がりのせい――そう言い聞かせて、葵はすくうように沖田を見る。
彼は一瞬止まって、顔をふいと背けた。
「ほら、行灯の火を消して」
「……はい」
葵は返事をして、そろりと行灯まで寄ってみた。
(なにこれ、どうやって火を消すの……)
目の前には、障子でできた四角い細長い箱。上からのぞき込むと、中に火が揺らめいている。
「やろうか」
気付けば隣に沖田がいた。
彼が取っ手をそっと上に引き上げると、一面がすっと開けた。
中にある芯のような部分についた火を、沖田は指で摘む。
じゅっという短い音ともに部屋は暗闇になった。
あるのは障子から差し込む、わずかな月明かりだけ。もう、すぐ近くにいる沖田の表情も見えなかった。
「寝よう」
「はい」
結局沖田は頑として畳で寝ると譲らないので、葵が布団に寝ることになった。
(お父さん、大丈夫かな……)
熱くなった目頭を指で揉む。
(ごめんなさい……)
トラックにぶつかる直前、葵は『よかった』とどこかで思い、5歳の時に葵を庇って事故で死んだ母に。あの笑顔に逢いにいけると、目を閉じたのだ。
下にしていた左腕の痺れが限界になり、息を詰めて、そおっと向きを変えた。
沖田の背中がぼんやり見えた。
葵は、沖田と腕力にそこまで差は感じなかった。組紐のおかげだろう。
しかしこうして見ると、細身に見えた彼の背中は広く、葵とは全然違っていた。
また余計なことを考えかけている自分に気づいて、枕に顔を埋めた。
土方に大見得を切ってしまった以上、壬生浪士組で実績も上げなければならない。
(泣いてる場合じゃない。蒼井直清になりきって、現代に帰る方法を探さなきゃ……)
眠れるはずないと思っていたのに、深い疲労に強制的に意識を持っていかれ、葵は気絶するように眠りに落ちた。
◆
沖田は耳を澄ませていた。
隣には、緊張感の欠片もなく眠っている気配がある。
試しに起き上がってあおいの脇腹を突いてみる。すーすーという規則正しい寝息が「んぅ」と乱れ、元に戻った。
「あおい……」
昼間の抜け落ちた記憶を思い出そうとしても濃い靄に阻まれてしまう。
代わりに池で聞いた彼の泣き声が耳から離れない。
「……なんなんだ一体」
自分の中に芽生えた知らない感情に名前が欲しいが、胸に問うても答えはない。
仕方なく夜を越すために布団へ戻り、月の光をまぶたに受けながら、息を吐ききった。




