3_新選組を京都一にします!
周囲が薄暗くなったころ、寺を出た二人。沖田は何も言わないし、彼の袴を見つめながら黙々と歩いた。
沖田は屯所の裏口に着くと周囲を窺う。誰かを探しているようだったが、突然全ての動きを止めた。
「先を越された」
何が、と声をかけようとしたが声が出ない。
遅れて葵の耳にも、後ろから砂を踏む足音がした。
「どこ行ってたんだよ、総司」
土方が不動明王のごとく腕を組んで立っていた。
大きな土方に隠れるように、後ろにもう一人。若い男は葵を見ると、泣きそうな顔で駆けてきた。
「あおい君! 無事でよかった」
言いながら男は、葵の首に手を回して固く抱きつく。
(ええっ!?)
熱い体温が葵を包む。
急なことに指一つ動かせないでいると、
沖田が素早く男を引き剥がした。
「藤堂、近いよ」
窘められ、藤堂は顔を赤く染め、バツが悪そうに頭を掻く。
「ごめん、つい……」
彼は藤堂平助。整った品のある顔立ちに、子犬のような人懐っこさだ。八番組の組長を努め、蒼井直清もここで二週間過ごしていた。
(なんだか、沖田さん楽しそう)
沖田は、まったく、と呆れた声は出すものの毒気は一切ない。年が近い二人は友人のような関係なのだった。
土方が背を向ける。
「とりあえず、全員俺の部屋に来い」
皆でぞろぞろと付いて行く。
葵も、まだ鳴り止まない胸を押さえながら一番後ろを付いていった。
(ここが、土方歳三の部屋……)
部屋は小さな和室だった。
刀や防具、剣術の指南書などが几帳面に整えられ、煙草の匂いがしている。
奥の文机の向こうに土方が胡座をかく。
藤堂の肩も強張っている。
「人数分ありますかね?」
沖田は押し入れから座布団を引っ張り出し、リズム良く文机の前に放っている。
(……沖田さんだけだな、緊張してないのは)
「で? どこいってたんだ貴様らは」
土方は、涼しい顔の沖田を睨む。
「茶屋で団子を食べてきました」
「それだけか?」
「あ、わらび餅も。ね?」
(なんで、火に油を……)
可愛らしい笑みだが、土方が恐ろしくて悲鳴も出ない。
藤堂が言葉を選んで話し出す。
「……あおい君は昨夜、一緒に巡察に出ました。そうしたら三条の辺りで急に走り出して。それきり姿が見えなくなったんです」
「あおい、記憶を失くしているとか言ってたが?」
「はい。頭を打ったのか昨夜のこと……いえ、もっと前から記憶が曖昧です」
土方の出方が分からない以上、"未来から来た"、"女だ"と言うリスクは取れない。
土方は納得するだろうか。
彼は黙って、文机を指でとんとんと叩いている。規則正しい音が部屋に響く。
それがとても長い時間に感じられた。
いつもならすぐに音を上げる正座だが、今日は全く痺れを感じない。
指の音がピタリと止む。
「お前、密偵じゃないよな?」
――刺しぬくような荒々しい殺気
「違います」
ぶんぶん首を振る。
「そりゃそうですとは言わないよな。吐かせてやってもいいが……」
土方は片手で葵の顎を掴み、顔を上げさせた。
煙草の香りが濃くなって、背筋に震えが走る。
藤堂が身を乗り出す。
「僕は二週間一緒にいました。あおい君に不審な点はなかったです」
土方は舌打ちして手を離す。
「そもそも脱走は規律違反だ」
葵は隣の、口を挟まない沖田をすくい見る。
彼はほほえみすら湛え、葵を助けるでも、土方に加勢するでもなく成り行きを見守っていた。
土方の怒りの矛先が、段々藤堂に向かっていく。
「大体、なぜ二週間であおいを巡察に出した」
藤堂は一瞬言い淀み、きっ、と前を見据えた。
「僕の判断です。八番組は人手不足でしたので、僕が無理に連れ出しました」
「お前の判断だと? 藤堂、ずいぶん偉くなったもんだな」
藤堂は怯えた葵を庇うように食い下がる。
土方の目が血走った。
(藤堂さんが処罰されちゃうかも――)
「違います!」
葵の叫びに、
沖田までも余裕の笑みを崩し、全員が葵を見た。
「藤堂さんのせいじゃないです。私が、自分で巡察に行きたいと言いました」
口から出任せを言った葵の肩は、興奮のあまり息で弾んでいた。
土方がにやっと笑った。
「覚えてるじゃねぇか」
あ、と思ったが遅かった。
「いえ、覚えてません」
嘘ではない。葵は今日ここに来たのだから、昨日のことなんて知らない。
「都合よく記憶がないだ? お前みたいにわざと弱いふりしてた奴なんか信用ならないんだよ」
土方の手が、文机の脇にある刀を掴む。
沖田の上半身が前に傾く。気づいた土方は刀を傾けそれを止めた。
(どうしよう。なにか、なにか土方歳三の興味を引けるような)
必死に、新選組好きな父が言っていた土方の特徴を思い出す。
(これしかない――)
葵は手を握りしめた。
「記憶の全てを忘れたわけではありません。私が自分で巡察に出たがったのは覚えているんです」
「ほう、なんでまた死に急いだ?」
「早く武士として、一旗あげたかったのです」
土方は農民の出ながら、武士に憧れ、剣の道を極めた生い立ちだ。
成り上がりたい男は嫌いではないはず――土方が興味深そうな目をした。
「剣が強くなったのは、頭を打ったせいで身体の回路がかわったのかもしれません。
私は、すぐに皆さんに並ぶ剣の遣い手になります」
(もう一押し……)
葵はまっすぐ視線を土方へ固定した。
「壬生狼と蔑まれる浪士組を、京都一の剣士集団にしてみせます」
土方の手から、ゆっくり刀が離れた。
「小賢しい奴だ」
葵はごくっと喉を鳴らした。彼はもう刀は手にしていないというのに、一言が、視線が、刃の切っ先のようで動けない。
「俺は嘘つきが嫌いでな。
京都一にするなんて大見えきったんだ。期限を教えてもらおうか」
今日は文久3年8月1日。
葵の記憶では、八月十八日の政変というやつで壬生浪士組は手柄を上げ、『新選組』の名前に変わるはずだった。
直接の葵の手柄ではないが、これを盾にするつもりだった。
「……では、今月末はいかがでしょう」
土方は長考に入った。
罪人のように息を潜めて待つ。
恐ろしいほどの静けさの中、かちゃり、と土方の手が再び刀にかかった。
瞬間、沖田が目の色を変えた。
「土方さん、あおいさんくれません?」
「はあ?」 「へ?」 「え」
沖田以外、全員間の抜けた声を出した。
「剣の腕見たでしょう? 一番組に欲しいなって」
土方の返事より先に、藤堂が名乗りを上げる。
「ちょっと待ってよ沖田。あおい君は僕の組なんだけど?」
「いいじゃん、次入る子譲ってあげる」
「あおい君がいいのっ!」
「理由は?」
藤堂は耳端まで赤くした。
「護ってあげられなかったし、逆に庇ってもらっちゃったからさ……恩は返したい」
土方が横入りした。
「監視ついでに俺の世話係にしてもいいが」
(絶対やだ……!)
葵は内心で叫んだ。
沖田は淡々と言う。
「土方さん、副長権限使うのはなしですよ。冷静に見てください。今あおいさんが行くべきなのは何処か」
葵は手を胸の前で組み合わせた。
(土方さんは絶対怖い。沖田さんはよく分かんないけど怖い。お願いします、藤堂さんの組に――)
土方は盆へ煙管を置いた。
「あおい、一番組に行け」
一番組――沖田総司のところだった。
「総司、監視しておけ。約束を反故にしたりおかしな真似したら叩き斬れ」
「仰せの通りに」
沖田は頭を下げた。
そして、にこりと笑い「おいで」と、放心している葵の手を取った。




