7告白―四章完結―
人気のない稽古場から音がする。
そっと覗けば沖田が素振りをしている。
広い空間に向かって突きを打つその姿は、まるで見えない何かに挑むようで。
踏み込むたびに汗が飛び、入り口にいても荒い息づかいがわかるほどの気迫だ。
入り口を見た沖田は竹刀を下げた。
「今日は稽古なしだよ」
「はい、分かっています」
竹刀が葵へ手渡される。
「防具はいいよね。一本。どこでも当てたほうの勝ち」
いつもは構えないのに、今日の沖田は珍しく平正眼に竹刀を持った。
靄が冴え渡っていくような感覚が、葵を包む。
ふっと袖が動いた。
一騎討――
互いの場所が入れ替わり、床に倒れたのは沖田だった。
勝利したはずなのに、手のひらには打った後の痺れや熱がない。
葵は柄が軋むほど竹刀を握り締める。
後ろを振り向くことができなかった。
わざとらしい呑気な声が響いた。
「強くなったね、あおいさん――」
「どうしてですか?」
葵は声を絞り出す。
「どうして、わざと当たったんですか」
場が静まり返る。
遠くで、低く唸るような雷鳴が聞こえている。
「……何が起こるか視えるかって、私に聞きましたよね」
背に、無感情な気配がひたひたと近づいてくる。
まるで水中にいるような息苦しさが葵を包む。
「芹沢さんが死んだ日、沖田さん、部屋に戻りませんでしたよね」
「……何が言いたいの?」
その瞬間、雷が落ちた。
空気を切り裂く轟音に、葵の身体がびくっと震える。
それでも、縮こまった背を必死に伸ばした。
「私が、気づけなかったからですか? だから沖田さんは芹沢さんを――」
「自惚れないで」
ぐっと手を掴まれ、気付けば葵は、床に仰向けで囚われていた。
一瞬息が止まったが、押さえられた腕も身体も、抜けられる程度の力しかかかっていない。
板間に打ち付けられたかに思えた身体も、どこにも痛みはなかった。
上から見下ろす彼の目は、『これ以上踏み込むな』というように揺れている。
こんな態度をするのは、葵を巻き込むまいとする彼の優しさなのだ、と。
例えそれを自惚れと言われようが、葵は構わなかった。
「私に、話してください……楽になるなら」
思えば出かけた日、いやもっと前から沖田はおかしかった。
ぼんやりして、剣筋に若干のぶれがあった。真顔だったと思えば、急に笑い出す。
どうして放ったのか。
なぜ大丈夫の言葉を真に受けて、踏み込まなかったのか。
沖田はふっと口を開く。
「話してくださいって……自分は、何も話さないのに?」
手放すような物言いに目を閉じた。
葵は確かに何も話していなかった。
そして彼も、それを問い詰めることはしなかった。
互いを受け入れることを躊躇し、距離を取ることが心地良いと。
浅く息を吸い、一息に伝えた。
「私の本当の名前は、神木葵です」
ぴくっと、沖田が動く。
葵は、離れようともがく腕に縋った。
「私は――」
「聞きたくない」
もうごまかすことはしないと、彼をまっすぐ見る。
「私は女です」
沖田は眉を寄せ、顔を背けただけだった。
彼の手に触れる。
自分を殺し、人を斬ってきた硬い手に。
厚くなった皮膚を、痛まないように指でなぞる。
「もう、何も言わなくていいです。ただ、私の話を聞いてくれれば……」
続きは力強い腕にさらわれた。
彼の胸に押し付けられ、口が、言葉が塞がれる。
「嫌だ。聞かない」
「どうして……」
震える指が、葵の背縫いを握った。
「聞いたら、いなくなるでしょう」
大きくて広いはずの胸に身体を預けると、乱れた心音が耳を打った。
『いなくならない』と言えたらどんなに良かっただろう。
葵は彼をすくい見た。
「……他に、行くところなんてありません」
さみしい言葉だが、葵の表情は柔らかかった。なのに目は赤らんでいる。
沖田は唇を噛んだ。
「どうして笑うの……?」
長いまつ毛が、涙を拒むように瞬く。
「沖田さんが泣かないからです」
「俺が泣いたら、ちゃんと泣けるの……?」
頷きながら微笑む葵は、油断すると散りそうだった。
「葵」
名を呼ぶと、葵の頬に一筋の涙が伝う。
指で、濡れた目尻にそっと触れた。
「行き場がないなら、此処にいればいい。ずっと――」
沖田は、祈りにも似た自身の願いを叶えるように、葵を抱きしめていた。




