2京の町 ※千本鳥居の挿絵あり
「今夜だ。一太刀で仕留めるぞ」
土方は沖田に耳打ちした。
低い声だが、昂る気持ちが抑えきれていない。
決行は夜だというのに、日差しに照らされた土方の背中は、すでに獲物を狩りにいく姿勢だ。
沖田は大きなため息を吐く。
「今夜か。よりによって……」
◆
葵は姿見の前で、出かける前の最終確認をしていた。
くるっと回って、後ろもチェックする。
袴の皺を伸ばすようにぱんぱんと叩いた。
「変じゃないかな……」
鏡に映る葵は、鬢付け油で髪を撫でつけ、行灯の煤で眉を濃くした凛々しい顔。
隙なく巻いたきついさらしに、袷に袴。
蒼井直清――いつもの男の姿だ。
廊下が軋む音に息を止める。
固まっていると、襖が開き、いつも通りの沖田が顔を出す。
「お待たせ。支度は済んだ?」
「はい」
今から行くのは巡察ではない。
買い出しの雑用でもない。
――出かけようか、二人で
そう、言われた。
葵は一瞬ぼうっとして、そしてすぐに頷いたのだ。
正直に言えば誘われてからの3日間、葵は浮かれていて、蔵で見かけた不穏な場面も、すっかり頭から抜け落ちていた。
(浮かれるのは仕方ないよね? 最近距離が近いから、尊敬してる人に誘われたんだから……)
もう、こんな言い訳が意味を持たないことは分かっている。
それでも言い聞かせておかないと、蒼井直清の、男としての仮面が剥がれそうだった。
二人で四条通りを東へ進む。
今日は秋にしては暖かい陽射しに包まれていた。
ちらっと隣の沖田を見る。
墨色の着物と袴、羽織は深い藍で、どれも新選組の沖田総司と目立たないように控えめだ。
だけど何気ない立ち姿なのに、周囲の喧騒から切り離されたように、そこだけ静かだった。
(似合うな……)
少しだけ見るつもりが、いつまでも見つめてしまう。
徐々に人足が増えた京都の町で、一段と賑やかな通りにさしかかった。
沖田が足を踏み入れる。
「錦で市がやっているんだよ。少し見てみようか」
屋台もあれば、道に敷物を敷いている者もいる。食べ物から骨董、刀までなんでも売られていた。
葵は目移りしながら、あっちこっち覗いている。
「楽しそうだね」
「はい!」
満面の笑みに、沖田は驚いた顔をする。
普段葵は、藤堂や斎藤には屈託なく笑っている。だけど沖田といるときは、遠慮がちに困ったような笑顔が多い。
「……来て良かったな」
「どうしました?」
「ううん。何見てるの?」
葵が見ているのは煙草入れや根付が並んでいるお店だった。
根付は、着物の帯から小物をぶら下げるためのストッパーみたいなものだ。
着物にはポケットがない。
だから根付に巾着などの紐を通して、帯にひっかける。この時代のアクセサリーと言ってもいい。
「あれ、こんなの持ってた?」
沖田が、葵の帯に付いている根付に触れる。漆塗りに金蒔絵だ。
「土方さんがくれたんです。いらないって」
「へえ……」
ずいぶん上等な品だった。
萩に桔梗など、"秋の草花"が描いてある。わざわざこの時期に新調したものに違いなく、沖田は眉をひそめる。
「俺が土方さんにもらったのなんて、木彫りの狐だけどな」
葵は狐を観察する。
「でもこれ、沖田さんに似てますね。目の辺りとか」
掴みどころなくちょこんと澄ました顔がそっくりだった。
「かわいい」と狐をつついている葵に、沖田はほのかに頬を染め、「何か欲しいのある?」と尋ねる。
「これとか」
「……ほんと? こっちの花とかじゃなくていいの?」
葵が持っていたのは狐の根付だった。
(ちょっと沖田さんのとは違うけど……お揃いにしたいって言ったらひかれるよね)
「はい、ご利益ありそうですし」
「じゃあ今度は伏見の稲荷に行ってみようか」
「伏見稲荷大社ですか? 鳥居がずらーっと並ぶ……」
ポスターなどでよく見る、真っ赤な鳥居のトンネルを想像し、きらきら目を輝かせる葵。
沖田はくすっと笑い、
「……大社だなんて、ずいぶん仰々しく言うんだね」
この時代、大社は出雲大社のような特別格な神社にしか使わないという。
続けて沖田は首を傾げた。
「鳥居、そんなに沢山あったかな……」
「あ、違うところだったかもしれません!」
幕末の伏見稲荷大社は、葵がイメージしているものと大分違うらしい。
焦っていると、ぐっと帯が引っ張られる。
するっと沖田の指が腰骨に触れた。
(なに……!?)
飛び退くと、あははと笑い声が響く。
触れられたところを確認すると、いつの間に買ったのか、葵の袴の隙間からちらっと狐がのぞいていた。
「お揃いだね」
にっと口端を上げる顔が得意げで、見透かされているようで……
だけど、いつものように悔しい気持ちはなかった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
嬉しそうに根付をなでる葵を背に連れて、沖田は通りを抜けた。
葵からは見えないけれど、彼の顔も澄ました顔ではなく、柔らかかった。
昼時になり、通りはますますにぎやかになる。
「食べたいものある?」
首を振ると、彼は一軒の店の前で立ち止まる。
【う ぜ ど】
藍色ののれんに三文字。
「どじょう屋さんですか?」
「うん」
かららっと木戸を引き中に入ると、ふわっといい香りがする。
ほぼ満席だった。小上がりに通され、まもなく料理が運ばれてくる。
「美味しそうですね」
目の前にあるどじょう料理は、おしゃれな陶器の皿に行儀よく盛られている。
いつも食に興味がなさそうな沖田も、これなら食べるのだろうか。
沖田は小さな壺を手に取り、片手で袖を押さえると、ぱっぱっと山椒をどじょうへ振った。
(うーん、粋だなぁ)
この時代の人なのだから自然な所作なのだが、今の葵には一々眩しく映る。
「いただきます」
葵は両手を合わせて食べ始める。
沖田も遅れて味を見るが、少し口に運んで箸を置いてしまった。
「もう食べないんですか?」
沖田は目を伏せる。
「江戸でよく食べたから、久々にと思ったんだけどね」
どじょうは、薄い出汁がベースで、九条ネギがたっぷり散らされていた。
食べ慣れた江戸の味と違ったようだ。
「どじょう、身体にいいのであと少しだけでも……」
沖田は二、三口入れているが、結局は箸を置く。
無理に食べさせるわけにもいかない。
葵は急に風船がしぼんだような気持になり、箸が進まなくなった。
「すみません、お待たせして。急いで食べます……」
葵は食べるのが遅い。
彼女はいつか『残すと生命が粗末になる』と沖田に言っていた。
沖田は湯呑みに口をつける。
「あおいさんは肉や魚の生命を考えながら人斬りをするんだから、大変だな」
茶化すような言い方だったが、葵は黙ってしまった。
沖田の湯呑が皿に当たって硬い音を立てる。葵が怯えたようにびくっと縮こまった。
「ごめん、出ようか」
彼は葵のきれいになった皿を一度だけ見て、店を出た。




