1-3切った大見得
周囲が薄暗くなったころ、寺を出た二人。沖田は何も言わないし、葵の方でも気まずかったので、彼の袴を見つめながら黙々と歩いた。
沖田は屯所の裏口に着くと周囲を窺い、声を出さずに葵を手招きした。
彼の背から張り詰めたものを感じ、葵も音を立てないように続く。
沖田は誰かを探しているようだったが、突然全ての動きを止めた。
「先を越された」
何が、と声をかけようとしたが、喉が干からびて言葉が出ない。
遅れて葵の耳にも、後方から砂を踏む足音がした。
「どこ行ってたんだよ、総司」
振り返ると、土方が不動明王のごとく腕を組んで立っていた。
葵は蛇に睨まれた蛙のように足が竦む。
見張れと命じたはずの沖田ともども居なくなったので、土方が怒るのは当然と言えた。
大きな土方に隠れるように、後ろにもう一人。若い男は葵を見ると、泣きそうな顔で駆けてきた。
「蒼井君! 無事でよかった」
言いながら男は、葵の首に手を回して固く抱きつく。
熱い体温が葵を包み、葵は急なことに指一つ動かせないまま息を浅く吸う。
沖田が、葵から素早く男を引き剥がした。
「藤堂、近いよ」
窘められ、藤堂は顔を赤く染め、バツが悪そうに頭を掻く。
「ごめん、蒼井君。つい……」
彼は藤堂平助。八番組の組長を努め、蒼井直清もここで二週間過ごしていた。
沖田はまったく、と一つ息を吐く。
「蒼井さんは今、記憶が混乱してるんだ」
「え……どういうこと?」
土方が背を向ける。
「とりあえず、全員俺の部屋に来い」
皆でぞろぞろと付いて行く。
葵も、まだ鳴り止まない胸を押さえながら一番後ろを付いていった。
(ここが、土方歳三の部屋……)
部屋は小さな和室だった。刀や防具、剣術の指南書などが几帳面に整えられ、煙草の匂いがしていた。
奥の文机の向こうに土方が胡座をかく。
藤堂も緊張しているように見えた。
そんな中、沖田は押し入れから勝手に座布団を引っ張り出し、
リズム良く文机の前に放り、真ん中に膝を折る。
葵は、沖田の左に正座した。
「で? どこいってたんだ貴様らは」
土方はじろりと沖田を睨む。
対する沖田は涼しい顔で、
「茶屋で団子を食べてきました」
「……それだけか?」
土方の目が光る。
「あ、わらび餅も。ね?」
笑いかけられて葵は悲鳴も出ず、代わりに空気が喉をすり抜けた。
恐ろしくて前を見られないでいると、土方は咳払いをした。
察した藤堂は、言葉を選んで話し出す。
「ええと……蒼井君は昨夜一緒に巡察に出ました。
そうしたら三条の辺りで急に走り出して。それきり姿が見えなくなったんです」
「蒼井、記憶が混乱しているとか言ってたが」
土方の問いに、葵は用意しておいた回答を口にする。
「はい。すみません、頭を打ったのか昨夜のこと……いえ、入隊から記憶が曖昧です」
直清の言う『女と悟られるな、命に関わる』という言葉通り、やはり浪士組で女とバレるのは危険だ。処罰されるか、怪しまれたら殺されるかもしれない。
かといって、未来から来ましたとも言えないので、やはりこう答えるしかない。
土方は納得するだろうか。
彼は黙って、文机を指でとんとんと叩いていた。
規則正しい音が静かに響く。
葵はそれがとても長い時間に感じられた。
いつもなら慣れない正座などすぐに音を上げるはずなのに、
今日は足の感覚がなく、全く痺れを感じなかった。
指の音がピタリと止む。
「お前、密偵じゃないよな?」
最も恐れていた疑いをかけられた。
「違います」
葵は即座に否定し、強く首を振る。
藤堂も身を乗り出した。
「僕は二週間一緒にいました。蒼井君に不審な点はなかったです」
「そもそも脱走は規律違反だ」
規律はまだ公表前ですよ、と藤堂が返すが、土方はそんなの知らんとめちゃくちゃを言う。
沖田は特に口も挟まず、愉快そうに成り行きを見ていた。
土方の怒りの矛先が、段々藤堂に向かっていく。
「大体、なぜ二週間で蒼井を巡察に出した」
新人は通常、一ヶ月は鍛錬を積むはずだった。
藤堂は一瞬言い淀み、きっ、と前を見据えた。
「僕の判断です。八番組は人手不足でしたので、僕が無理に連れ出しました」
「お前の判断だぁ? 藤堂、ずいぶん偉くなったもんだな」
土方にそう返され、藤堂は俯いた。
(藤堂さんが処罰されちゃうかも――)
葵は咄嗟に叫んだ。
「違います!」
その声に、沖田までも目を見開き、全員が葵を見た。
「藤堂さんのせいじゃないです。私が、自分で巡察に行きたいと言いました」
口から出任せを言った葵の肩は、緊張のあまり浅く上下していた。
部屋が静まり返る。
土方がにやっと笑った。
「覚えてるじゃねぇか」
あ、と思ったが遅かった。
「いえ……覚えてません」
嘘ではない。
葵は今日ここに来たのだから、昨日のことなんて知らない。
「お前みたいにわざと弱いふりしてた奴なんか信用ならねぇんだよ」
土方の手が、文机の脇にある刀を掴む。彼は烏合の衆である浪士組をまとめ上げるために、仲間でも容赦なく斬り捨てる非情な男だ。
沖田の上半身がわずかに前に傾くが、気づいた土方は目でそれを制した。
(ど、どうしよう……なにか、なにか土方歳三の興味を引けるような……)
必死に父が言っていた土方の特徴を思い出す。色々考え合わせ、これしかないと、葵は手を握りしめる。
「記憶の全てを忘れたわけではありません。曖昧な部分があるだけなので、私が自分で巡察に出たがったのは覚えているんです」
「ほう、なんでまた死に急いだ?」
「少しでも早く武士として、一旗あげたかったのです」
土方は農民の出ながら、武士に憧れ、剣の道を極めた生い立ちだ。成り上がりたい男は嫌いではないはず――葵の予想通り土方が興味深そうな目をした。
葵は言葉を続ける。
「剣が強くなったのは、頭を打ったせいで身体の回路がかわったのかもしれません。
私は、すぐに皆さんに並ぶ剣の使い手になります」
土方は黙って葵の話を聞いている。
葵は理屈は不明だが、昼の手合わせで、あの沖田の肩を掠める剣の才を見せている。
使えるものは使う土方なら、みすみす葵を殺すのは惜しむだろうという魂胆だった。
(もう一押し……)
葵はまっすぐ視線を土方へ固定した。
「壬生狼と蔑まれる浪士組を、京都一の剣士集団にしてみせます」
土方の手から、ゆっくり刀が離れた。
「小賢しい奴だ」
葵はごくっと喉を鳴らした。土方はもう刀は手にしていないというのに、彼の一言が、視線が、刃の切っ先のようで動けない。
「俺は嘘つきが嫌いでな。
京都一にするなんて大見えきったんだ。期限を教えてもらおうか」
今日は文久三年八月一日。
葵の記憶では、八月十八日の政変というやつで壬生浪士組は手柄を上げ、『新選組』の名前に変わるはずだった。
直接葵の手柄ではないが、これを盾にするつもりだった。
「……では、今月末はいかがでしょう」
「いいだろう。約束を反故にしたり、おかしな真似したら叩き斬るぞ」
「承知いたしました」
「総司、蒼井を監視しておけ」
はい、と沖田は答えて横目で葵を見た。
葵は冷静に見えたが、流石に腿の上の拳は震えていた。土方相手に面と向かって物を言うなんて、この屯所内でも何人ができるだろう。
そう思うと、沖田はふっと頬を緩めた。
「では、失礼いたします土方さん。蒼井さん、行きましょう」
「は、はい」
外から庭に出ると、もう真っ暗になっていた。藤堂は、心配そうな顔をしている。
「大丈夫なの? 土方さんにあんな約束しちゃって……」
沖田はのほほんと答える。
「どうにかなるだろう。蒼井さん、藤堂のこと庇ったから、あれで土方さんの試験は合格したも同然」
「はぁ……」
葵は半信半疑だが、藤堂は少し安心したようだった。沖田は、くるっと葵に向き直る。
「じゃあ、蒼井さんは今日から私の部屋に来てもらおうかな」
「えっ……」
「逃げられて、土方さんに首を斬られるのはご免なんでね」
さっさと縁側に歩き出す沖田。
葵は藤堂にお礼を言って慌てて後を追った。
藤堂平助は、誰よりも先に斬り込む魁先生の異名を持つ猛者だったようですね。
本作品での藤堂平助は、純粋で優しいという設定になっております。
今後も彼はちょこちょこ登場します。
に、しても、敵より仲間を斬ってきたと言われる新選組の鬼の副長土方……。
実際は本当に恐ろしい人だったんでしょうか。




