※417演技―三章完― ※4章は4/20㈪更新
※身体接触があります
部屋を出た斎藤は、低い声で言った。
「副長、もう少し自重してください」
「……見てたのか?」
土方はまだ、さっき葵の唇に触れていた指を、無意識に親指でゆっくりと撫で続けていた。
柔らかくて熱かった感触が、指先にまとわりついて離れない。あのとき、葵が小さく息を詰めた顔が、頭から離れなかった。
「襖が開いていたので」
斎藤の苦々しい表情には、「見たくないものを見せられた」という苛立ちがはっきり浮かんでいた。
土方は小さく鼻で笑ったが、その笑みはすぐに消えた。
「ちゃんと止まってるだろ」
「どうですかね……」
斎藤は土方の指に視線を落とし、横を向いた。
「見ていて、胸がざわつきましたよ」
廊下の空気が一瞬で重くなった。
土方は指を止めた。
「斎藤、お前も……?」
「違います」
即座に否定しているが、耳の端がほんのり赤くなっているのを、土方は見逃さなかった。
斎藤は小さく息を吐く。
「……あいつは男ですよ」
声はいつもより少し低く、そのくせ上ずっている。
それは、土方にだけわかる微妙な変化だった。
数歩後ろを歩いていた藤堂は、渡り廊下から夜の中庭をぼんやりと見つめていた。
手水にこぼれ落ちる水音が、静かに響く。
いつもの無邪気な笑顔はなく、ただ静かに、何かを堪えているようだった。
◆
土方達が出ていくと、急に部屋が静まり返る。
人数は減っているのに、狭くなったようで息が詰まり、葵は障子を開けて縁側に逃げ出した。
秋の夜風が涼しくて、胸の中の熱い空気を吐き出しては、冷たい空気と入れ替える。
急に後ろから温もりを感じた。
「冷えるよ」
「沖田さん……」
縁側に座り、足を投げ出していた葵の後ろに沖田がいた。苦しくなるほどぎゅっと抱きくるめられている。
普段の稽古で近くで見てきたつもりの彼の肉体は、まるで別のものだった。
葵の身体の前に回った腕は、がっしりと太い。背中に感じる胸板も厚みがあって、着物越しなのに硬さがはっきり伝わる。
(こんなに違う……?)
背だけがあっても細い葵の身体は、しっかり詰まった質量に、油断すると飲み込まれそうだった。
何かがひび割れそうで、離れようと身をよじる。
「駄目」
低い声が鼓膜を溶かす。
「危険なことするなって言わなかった?」
「ごめんなさい……」
掠れた声で謝りつつも腕を掴むと、
「まだ逃げるつもり?」
もう土方達がいたときの、柔らかくて軽い空気はどこにもなかった。
「……離してください」
「なんで? 男同士だから?」
ずきっと胸が痛んだ。
隠しているから当然だが、沖田から見た自分はやはり男なのだ。
(違う……男として、男だから一緒にいられるんだから、傷つくなんて変……)
問いに、頷きで返す。
「そうです。男同士なんですから……俺は、そういう趣味はありません」
「ふうん」
精一杯の強がりに、沖田の腕が少しだけ緩む。
ほっとした瞬間、
「本当、男らしいよね」
何かが首筋に当たり、葵の身体が勝手に震えた。
(な、に……?)
夜風に当たって冷えた首筋を、熱がゆっくり移動していく。
「火の中に一人で飛び込んでいくんだから。その辺の男よりよっぽど勇ましい」
「ちょっと、くすぐったい……」
「男同士なんだから、ただのじゃれ合いでしょ?」
こぼれそうな吐息を手で押さえるが、沖田は後ろからその手を絡め取る。
「ね、もう素直になったら?」
「素直にって、どういう……」
女だと、言ってしまえばもうここにはいられない。それより、葵が女だと知っているような彼の口ぶりに、思考が激しく揺れ動く。
――言って、楽になりたい
身を委ねてしまえたら、女だと言っても抱きとめてもらえるなら、
二人のこの先が……少しでも続くなら――
噛み締めすぎて血が滲んだ唇。嫌な味で満たされた口を開きかけたとき――
沖田がさっと腕を解いた。
「なんてね、冗談」
立ち上がると、葵の隣に腰を下ろす。
沖田はすっかりいつもの調子に戻り、意地悪く目を細める。
「なに、寂しい?」
「……違います!」
まだ熱い首を手で隠す。
女に戻りたいなんて、甘えた考えを見透かされたようで、頬が熱くなる。
沖田は、葵の唇に朱を添える血を拭った。
「もう危険なことしないでよ?」
「……はい」
瞳の潤みに気づき、沖田はふっと微笑んだ。
「まあいいや。目を離さないようにしておくよ」
通り抜けた風に、沖田の甘松の香りが混じる。
彼はからかうような顔を納め、目を伏せた。
「ごめんね。聞いてあげられなくて」
葵は何も言えなかった。
(私が女だって、気づいてるの? 聞きたくないの? ……どうしてあんなことしたんですか?……ねえ、沖田さん……)
聞きたいことはたくさんある。
でも口にしたら全部壊れるかもしれない。
細い蜘蛛の糸を、斬りつけながら歩いているようで、肌がひりついていく。
「月が、綺麗だね」
沖田の声に、葵も空を見上げた。
「……本当に、綺麗ですね」
言ってから、夏目漱石の有名過ぎるエピソードを思い出したけれど、幕末の沖田がそんな話を知っているはずもない。
(それにきっと、この話をするなら、ぴったりなのは満月だよね……)
空にあるのは、薄くて細い三日月。
それは真っ暗な闇に、研ぎ澄まされた一刀のようで。
I Love You なんて、甘やかな響きは似合わない。
なのに、この月に、沖田を重ねてしまった。
幕末から、もっと気の遠くなるほど前からそこにある月は、現代に帰っても変わらず一人で空にいる。
だけど見上げたとしても微妙に違ってしまう。
匂いも、温度も、一緒に見た人も変わってしまう。
(隣にいたい。だから、この気持ちは……そうじゃない)
隣で下弦の月を見つめているはずの葵の横顔を、見ないままに沖田は、そっと彼女の手を握った。
――あとがき――
こちらで三章完です。
次章は芹沢鴨さんの……事件と、二人の関係が大きく変わります。
4/20㈪からまた投稿しようと思いますので、よろしくお願いします!




