416卵粥
――組紐が切れたら、私、みんなに忘れられちゃうの?
沖田さんにも――?
◇
うっすら目を開けると、見慣れた天井の節が見える。
(……沖田さんの部屋?)
「あおい!」
「土方さん……?」
部屋は行灯の明かりでぼんやりしている。今は夜なのか。
ゆっくり焦点を合わせていると、壁の日めくり帳が目に入る。
しきりに日付を気にする葵のために、沖田が作ったもので、几帳面な筆字で書かれている。
(丸二日も寝てたんだ……)
葵は焼き打ちされた大和屋という店で倒れ、沖田が屯所まで連れ帰ったのだという。
大分横になっていたからか、気分は悪くなかった。
起き上がろうとして、目が眩む。
「無理すんな」
土方の手が、強引なくらいに葵の肩を押さえ、起き上がらせまいとする。
「煙を大分吸ったみたいだな……なんだって一人で飛び込んでくんだよ」
ぶっきらぼうな声だったが、いつもの怒鳴り方とは微妙に違う。
苛立ちの中に、安堵が混じっているように聞こえた。
「すみません、どうにかしないと、と思ってしまい……」
「ったく、命知らずも大概にしろ」
土方はため息をひとつ吐き、葵の乱れた髪を無造作に指で直しながら続けた。
「……お前が無事でよかった。次はこんなことするなよ。いいな?」
葵が頷くと、土方はふうっと息を吐く。
「まあ……おかげで子どもも助かった。一応、手柄として認めてやるよ」
「はい、今後は気をつけます」
土方の指が、荒れた唇につと伸びる。
葵は息を詰めた。
ざらついた指先がゆっくりと往復するたび、皮膚の感触が直接心臓に響くようで、
(何か、言わなきゃ……)
回らない頭で考えているうちに、唇から指が離れた。
「うちの連中は、いうことを聞かねえ奴ばっかりだな……」
いつも綺麗に結われた土方の髪は乱れ、目が充血していた。
(心配させてしまった……)
きゅっと布団を握りしめて、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
土方はやれやれと首を振る。
――どうせ再びこういうことがあれば、葵は危険を省みずに飛び出していくのだろう。
「肝がいくつあっても足りねえよ」
そこへ、開け放された襖から斎藤と藤堂が顔を出した。
「あおい君よかったー!」
藤堂が両手を広げて、満面の無邪気な笑みで向かってくる。
(これは……)
そろそろ葵も学習していた。
さっと右横に身体を反らして抱きつかれるのを回避する。
傾いた葵の身体を、斎藤がしっかり支えていた。
「病み上がりだろう」
「ありがとうございます」
葵に避けられて畳に突っ伏しそうになりかけた藤堂が、おっとっと、とよろめきながら畳に腰を下ろした。
「もう本当心配したよ!」
「ああ、貸し三だ」
藤堂の言葉に同意した斎藤が、真顔で三本指を立てるので、葵は素っ頓狂な声を出す。
「か、貸し?」
「まず巡察を二回代わっている。そして沖田が使い物にならなくなったせいで、東奔西走させられた。本来なら両手でも足りないくらいの貸しができている」
「うわー、斎藤の鬼。ってか珍しくべらべら喋るね」
藤堂は嬉しそうににこにこして、ぽんっと手を打つ。
「わかった! 斎藤もあおい君の心配してたんだろ? じゃなきゃ今日の稽古で僕に一本取られるわけないもんね?」
「黙れ」
藤堂を睨みつける斎藤の袖を、葵は強くひっぱっていた。
「沖田さんが使い物にならないって……具合がよくないんですか?」
「いや、元気そのものだが」
「お、ちょうど戻ったんじゃねえか?」
土方の声で皆が襖に目を向ける。
「あ、起きたんだ」
盆を持った沖田が部屋に入って、器用に足で襖を閉める。
「目を覚ますときは俺が一番に見てたかったのに、出遅れたな」
冗談っぽく肩をすくめる沖田は、いつもどおりに見えた。
(元気そう……よかった)
沖田は葵の枕元に卵粥を置く。湯気が立ち、いい香りが漂った。
「お、珍しく気が利くな」
土方が言うと、「自分の分です」と沖田は粥をさっと膝元に寄せた。
「俺とあおいのは?」
「ないですけど。土方さん粥嫌いじゃないですか」
「んなこと言ったか?」
「えぇ、食べた気がしないって」
(また始まった……)
ここに来てから何度か目にした光景だ。
座布団に腰を据え直した土方は、呆れ顔をする。
「せめて、病人のは持ってきてやれよ」
「ご自分で持ってきてあげればどうです? 寝られないほど心配してたんですから」
「うるせぇ。お前こそずっとうわの空で、抜け殻になってたくせに」
(使い物にならないってそういうこと? 心配してくれてたのかな……?)
「沖田そのお粥、あおい君のだよね?」
藤堂が器を覗き込み「卵入ってるもん」と付け加える。
わずかに沖田の眉が上がる。
高価な卵は屯所では滅多に出ない。
「頼み込んでたのを見たぞ」
横から斎藤がぼそっと呟く。
どうやら滋養のあるものをと頼んで、卵粥にしてもらったらしい。
沖田は観念したように、手付かずの粥を葵へ戻す。
「俺は梅干しのが好きだから。あげる」
「素直じゃねぇなぁ」
肩を竦める土方に、
「貴方には負けます」と返す沖田。
どっちもどっちだ、と思って葵は小さく笑う。
彼の心遣いが、本当は泣きそうなくらい嬉しかった。
「ほら、冷めるから早く食べたら?」
壁に向かって声をかける沖田。葵は礼を言い、両手を合わせて箸をとった。
「いただきます」
一口入れると、ふんわりした卵が、空っぽになった胃をあたためた。
沖田は葵が食べているのをしばらく見ていたが、じきに座布団を枕代わりに、畳へ寝転んだ。
緩んだ口から、ぽつりと呟く。
「心配した」
ひと言だけなのが本心に思えた。
(今、みんなとこうしている時間も、組紐が切れたら全部……)
唇を噛むと血の味がした。
舌が痺れ、そっと粥を置いた。
土方は葵の寂しそうな顔を見ると、手を握りしめた。
「……早く動けるようにしろよ。次の仕事があるからな。総司、お前もな……」
彼は、斎藤と藤堂を連れ大股で襖の向こうに姿を消した。




