鬼の目にも涙?(土方)
「あいつは、いい筋だったんだ」
そんなことを土方が言ったのは、宮野の処置が一通り済んだ後だった。
稽古場で輪からはずれていた葵は、土方から竹刀を渡された。
「お前がいなけりゃ、宮野は……総司に面倒を見させるつもりだった」
言い切ってから、間が落ちた。
すべてが過去形で語られることが、もう宮野が戻らないことを示している。
(私が来たから……?)
何も言うことができないでいると、
「打つぞ」
土方が面を締める。
武骨な手が動くたびに、ぎっ、と軋む音が葵の耳を刺す。
腰元まで垂れた、土方の鮮やかな赤い面紐が、かすかに揺れ――
同時に踏み込む。
いつもの咆えるような気迫も、滾る殺気もない。だが、今日の土方は、段違いに恐ろしかった。
――来る
葵はしなる一撃を肩に、振り下ろしざまの抜きを胴に受ける。
重さに、がくんと膝をついた。
「立て。そんな行儀のいい剣を教えたつもりはねえ」
葵は竹刀を握り直すと、懐へ飛び入り突きを打った。
ぐっと手応えを感じる。
土方は後ろへ倒れていた。
葵は肩を弾ませて土方に近寄る。
「ありがとうございました」
手を差し出してからはっとした。
(嫌がられるかも……)
朝餉の席で、病の血を恐れるどころか、近づこうとした葵。
その行動は、この幕末では完全に浮いてしまっていた。
それゆえ今日の稽古もなんとなく一人でいたのだ。
しかし、土方は珍しく素直に手を借りた。
「ふーっ、油断したな」
力強くて厚みのある手は、気にするなと言ってくれているようで、葵は目の奥が熱くなる。
「いえ……膝をついた時点で、本来勝負は終わりです」
土方が面を剥ぎ取り、葵の面を手の甲でこんっと小突く。
「血を吐いたんだ、宮野は静養させる」
少しでも穏やかに過ごせるならと、葵は胸の内でほっと息をついた。
「同部屋だった奴らもしばらくは様子見だな」
葵は迷いながら口を開いた。
「あの……なるべく窓から風を入れて……咳も、酷いときは手ぬぐいや袖で押さえるといいのではと……」
全部、コロナ禍の受け売りだ。
もちろん、こんな考え方はここでは常識じゃない。
(確か土方さんはご両親が結核で……お姉さんは肺を病んで、離されて暮らしていたはず……)
想定通り、土方は宮野を別室にするつもりだった。
換気は微妙な反応だ。
「窓から風をいれるのか? 身体を冷やさないほうがいいんじゃねえか? 外の邪気が入り込むだろう」
(邪気……?)
聞けば土方の姉はその考えに基づき、ほぼ締め切られた部屋で、陽の光も見ずに過ごしていたという。
土方は姉を思い出したのか、遠い目をした。
「だが、確かに別の医者に見せたときは、風を通せと言われたな……そのときのほうが、穏やかな顔だったか……」
(お医者さんでも見解が違うのか……屯所は障子に襖だし、普通にしてても空気は入れ替わってるのかな……?)
不審に思われないよう、一旦、換気の件は引き下がることにした。
問題は咳の押さえ方だった。
「そんなことに意味があるのか?」
明らかに怪訝な顔をされる。
葵はもっともらしく付け加える。
「……まじないの一種で、深い意味はないのかもしれませんが。私の故郷では、これで肺の病にかかる者がいなかったと……聞いています」
自分の行動が、なにかを変えてしまうかもしれない。
それでも、言わずにはいられなかった。
「まあ。すぐ出来るもんばかりだからな。試すだけなら――」
少し顔が明るくなった葵を見て、土方は目を細めた。
そのとき、後ろから沖田が姿を見せる。
「いたいた。あの後、朝餉の席で大変だったって……」
土方は沖田を見て、ため息をつく。
「可愛くねぇ方が来たな……」
「それってあおいさんのが可愛いってこと? 心外だな。私と土方さんのほうが付き合い長いのに」
沖田はむっとして葵を引き寄せる。
「顔に出すぎだぞ」
対抗するように土方が葵の腕を取る。
沖田の眉が上がり、手に力が入る。
「わかるようにしてるんですよ」
「少しは余裕を持てよ。これだからガキは……」
「もう立派な大人です」
「大人は自分で大人って言わねえんだよ」
睨み合う二人の間で腕を引かれ、振り子のようになっていた葵。
「あの!」
声を上げて両の手を振りほどく。
「土方さんさっきの……みなさんに伝えてきてもいいですか? あと、宮野さんなんですが……」
(新鮮な空気と、栄養、加湿も試したいけど……なんて言えばいいかな……)
男たちのことは眼中にないとばかりに、ぶつぶつ言っている葵に、不満そうな沖田。
土方は、くっと笑いを噛み殺す。
「まあ、一度やってみろよ。ただし、医者の話を優先して、様子を見ながらな」
「はいっ……!」
葵は弾けるように出て行った。
対象がいなくなり、手持ち無沙汰になった沖田は、竹刀を手に取る。
「とりあえずやってみろ、なんて珍しいですね」
土方はバツが悪そうに頭をかく。
「なんだか……家族のことを思い出しちまってな」
「鬼の目にも涙ですか」
「お前な……」
沖田の表情に影が差す。
今まで土方は、表向きは「闘えない者は足手まとい」と、病や傷で弱った者を厳しく切り捨てる副長だった。
しかし沖田は知っている。それが本心ではないことを。
だからこそ、こんな風に少し人間らしい顔を見せる土方が、たまらなく嬉しく、少し辛かった。
「土方さん、打ちましょうよ」
「嫌だね」
土方はそっぽを向く。
沖田はふっと微笑み、ばれないように、もう一度土方を盗み見る。
滅多に見られない鬼の照れくさい顔。
――自分だけはちゃんと見てやろう。
「ほらほら、打ちますよ」
「だからやらねえってんだろ!」
「顔笑ってますよ?」
嬉しそうな沖田に、土方は「後悔するなよ……」
と、木刀に持ち替えるのだった。




