禁令
夕餉の部屋に葵が入る。
いつもより大勢の隊士達が座り込んでいる。
どうやら、今日はただの食事の場ではないらしい。
間もなく、三人の男が入って来る。
彼等は隊士の前にどっかり腰を下ろした。
中央に構えるのは局長の近藤 勇。
土方と同じく農民の出で、天然理心流の使い手。
左に座しているのはよく知る土方 歳三。子供の頃はバラガキで有名。近藤を支える、鬼の副長。
その恐ろしさを、葵はすでに身をもって知っている。後、意外と優しいということも。
最後の三人目は、名前を聞いても分からなかった。
局長の芹沢 鴨。
大きな体躯と堂々とした出で立ち。不敵な笑みをたたえた彼は、武士の出という。
(3人中2人知ってるなんて……私、意外と新選組に詳しい……?)
こんなことになるなら、新選組オタクの父の話をもっと聞いておいてもよかった。
隊士たちは大きく近藤派、芹沢派に分断されていた。
土方が話し始めた。
「近ごろ新選組も人数が増えた。そこで――」
懐から紙を取り出す。ばさっと広げる音が広間に落ち、次に、彼の正確な声がそれを読む。
「禁令をここに定める――」
葵は頭の中で噛み砕く。
一、武士道に背いてはいけない
二、新選組を抜けてはならない
三、勝手に金を貸したり借りたりしない
四、勝手に訴訟してはいけない
五、個人的な戦いをしてはいけない
土方が深く息を吐く。
「最後に――右条々、相背く者は、即刻切腹申し付くべきもの也」
葵はごくりと喉を鳴らした。
「守れなければ切腹とは、いささか苛烈すぎやしませんか」
「そうだそうだ」と、多勢に隠れて控えめな声が続く。
芹沢は唇をほどき、つと口の端を釣り上げる。
「なに。武士の真似事をするなら、これくらいは必要であろう。なぁ、近藤さんよ」
土方の目の奥が鋭くなる。芹沢は農民出身の近藤や土方を馬鹿にしているようである。
一触即発の雰囲気に、他の隊士達は水を打ったように黙りこくる。
(うわぁ……)
少し距離もあったので、葵は呑気に大河ドラマを見ている気分だった。生まれや流派が違うというのは、ここまで人を熱くさせるのか。
現代でいう、政治や宗教の話にあたるのか、などと思っていると、
「間の抜けた面をしている奴がいるな」
芹沢が自分を指していると気付き、葵は即座に背筋を伸ばす。
「名は何だったか」
「蒼井直清と申します」
葵は、名乗り慣れ始めた、ここでの姓名を口にする。
芹沢と視線がかち合う。
逸らしたら負けだ――そう、芹沢の目が語っていた。
感じ取る葵も、一歩も引かない。
数十秒か数分か分からぬが、先に根を上げたのは芹沢だった。
彼は、まるでにらめっこでもしていたかのように、豪快にがははと降参した。
「そこまで見つめられると、さしもの俺も照れるではないか。あおいよ、気に入ったぞ」
(えぇ……)
とりあえず「は」と頭を下げたが、同時に気持ちも下がる。
土方が解散の号令をかける。業務があるものは広間を出て、まだの者は食事をとりにゆく。
「おい」
背後からの不穏な声。
振り返るより先に芹沢と分かった。
緊張した面持ちで肩ごしに見れば、芹沢はこいこいと手招きをしている。
嫌だと思うが、言っても仕方がない。
いつの間に飲み干したのか。芹沢の周りには空のとっくりが幾つも転がされている。
それらを避けつつ腰を下ろすと、ぷんと酒の匂いが漂った。
芹沢は充血した目で探りをよこす。
「あおいは武家の出なのだろう?」
「はい」
蒼井直清は、江戸の下級武士の出だ。
「それなら、近藤や土方なぞといると、あっと云う間に泥の臭いが移っちまうぞ」
隣の小太りの男が、すかさず合いの手をうつ。
「芹沢先生は、かの天狗党でいらっしゃった。実戦は当然の如く、御刀は幾人も斬って捨てているのだぞ」
何人も斬っている――
それは、この時代にあっては胸を張るべきことなのだろう。
そういう世界に自分はいるのだと、葵は改めて身震いした。
(ところで、天狗党って……なに?)
ぴんと来ない様子の葵に「そんなことも知らんのか」と、小太りの男は呆れ気味に続ける。
天狗党は、水戸の、人斬りも辞さない荒れ狂う集団。芹沢は天狗党時代に人を斬殺し、一時は処刑されかけたという。
「わかったか」
小太りの男は葵に顎を上げ、芹沢には頭を下げる。
(悪人なのはわかったけど……)
芹沢の、近藤を侮辱するような口上に、どう返答したものかと黙っていた。
芹沢は、葵に気づかれぬよう小太りの男に目配せをする。
応じた男が、
「おい、芹沢先生の酒が減っておるぞ」
と葵に促すので、慣れない手つきで酒を注ぎ入れた――
その瞬間、
芹沢が器を持つ手を返す。
滴り溢れていく酒は、彼の藍の袴を、みるみる濃い色に変えてゆく。
「なにか拭くものを……」
立ち上がりかけた葵の右手を芹沢が引く。
あまりに強い力なので、葵は痛みに顔を歪めた。
「……離していただけませんか」
口から出た葵の声は、落ち着き払っていた。
しかし芹沢の返事は、
「人に酒をかけておいて、そいつはないだろう?」
愉悦を浮かべ、明らかにこの一興を面白がっている。
葵の視界の端に息を荒くした土方が映るが、助けてもらってばかりいられない。
「芹沢先生、少し飲み過ぎではありませんか?」
柔らかく申し入れると、ぴくりと眉を跳ね上げた芹沢は、勢い込んだ。
葵は、身を低くし頭を下げる。
「気が利かなくて申し訳ございません。すぐに水をお持ちします」
顔を上げてたおやかに笑うと、芹沢は面食らい、葵を握る手の力をわずかに緩める。
その隙にするっと右手を引き抜き、葵は軽やかに立ち上がった。
この茶番の終わりを示すために一礼する。
彼は微動だにしなかった。
離れた後、葵は口から心臓が飛び出しそうだった。
「なかなかやるじゃねえか」
そう、土方に背を叩かれたのが、ひどく強く感じた。
背骨に響いた痛みが、鈍く全身に広がる。
これからの厄介事を暗示しているようで、葵はあとから後から、冷たい汗が噴き出していた。




