本当の名前
蒼井、いや神木葵――
それがあの人の本当の名。
葵はまるで四季のようだ。
「ね、土方さんもそう思いません?」
縁側で独り、日を浴びていた沖田は、通りかかった土方に声をかけた。
「何の話だよ」
「ふふ、なんでしょうね」
唐突に呼び止められた土方は、最近どこか物憂げな沖田の隣に腰を下ろした。
「で、なんだって?」
「うん、四季がね。季節が巡るのっていいなぁっていう話です」
「悪いが、全く読めねぇ。急に俳人みたいなこと言い出してなんなんだよ」
「それは、豊玉先生の得意分野じゃありませんか」
調子よく言ってのける沖田。
豊玉先生、というのは土方が俳句を詠む時の雅号の【土方豊玉】からとっている。
「豊玉先生が、俳句を詠むのに部屋に籠ると、隊士たちが怯えていますよ。『鬼の副長』が、次は誰を粛清するのかってね」
無邪気な笑い声に、土方は「馬鹿にしやがって」と鼻を鳴らす。
沖田の方は、案外本気で土方のこの趣味を尊敬していた。もちろん面と向かっては言わないのだが。
試しに、と沖田は口を開く。
「もし、四季のような人がいたら、土方さんならなんて詠みます?」
「なんだよ、総司もやっとか」
土方はにやっと笑い、煙管を取り出す。
江戸の試衛館のころから一緒にいるが、沖田が女のことを話すのは初めてだった。
天才と変人は紙一重とはよく言ったもので、沖田の剣の腕については土方は一目も二目も置いているが、その他のことについては言うまでもなく。
剣ばかり強くなって、他はどこか幼いこの弟分を、危なっかしくて見ていられないと、そんな風に案じることもある。
煙草入れから取り出した葉が、火をつける前から香る。
早めの赤とんぼが視界を横切る。
もう夏も終わる。蚊取り線香も、もうじき役目を終える。
土方は火を移すと、どこの廓だと聞く。
沖田は首を振った。
「残念ですけど、私は土方さんみたいに色男じゃないんで。そう何人も、商売の方を相手には出来ませんよ」
「棘を感じるが……まぁいい。四季に例えるくらいなんだから、相当本気なんだろう?」
「うん? ええ、まぁ」
土方が思い浮かべているのは、咲き誇る花や、澄み渡る川の美しさに違いなく、
対して沖田は、それとは真逆の、終わりゆくものたちを葵に重ねているのだった。
土方は眉をひそめる。
「まさか、あいつだとか言わねぇよな」
「あおいさん?」
今度はあっさり言ってのける沖田に調子を狂わされ、土方は話を逸らすように、煙草の煙を燻らせた。
「いや、まぁ。綺麗な顔してるが……お前を慕う楠が聞いたら卒倒しそうだな」
「あおいさんは、特別」
土方はごくっと喉を鳴らす。甘い言葉とは裏腹の、斬りつけるような緊張感に、一瞬、煙さえも動きを止めたように思えた。
沖田は儚むように目を細める。
「かわいい……いや、顔ゆゆし、かな」
彼が言ったのは『可哀想で、気の毒で見ていられない』という、可愛いの語源の平安言葉だった。
「はぁ? かわいいってことだろ?」
「ちょっと違うんですよね。あの痛々しさが……目を覆いたくなる。だから、特別」
一息ついて、土方は吸い終わった煙草を見つめた。
「あおいの奴も災難だな、こんな奴に見つかって」
「本当に、そう思います」
沖田の笑顔――この、ある種の人間に共通する笑みを浮かべられると、土方は胸がさわぐ。
吸い終えた煙管に葉を詰め直した。
「土方さんも、可愛がってますもんね。あおいさんのこと」
「あぁ」
思いがけない返答だったのか。
沖田が食い入るように見るので、土方は耐えきれずに面と向き合った。
「なあ総司。大切なら、壊してごまかすようなことはするなよ」
「そんなつもりは……」
最後まで言葉が続かず、沖田は自身の膝を抱いた。
土方はそういう男だ。彼なら葵の悩みを聞き出してやれるのだろうか――
膝に顔を埋めたままの沖田の背を、土方は撫でた。
「同じだよ。総司も……あおいも可愛い弟子だ」
沖田は膝から顔を上げた。
「私は免許皆伝なんで……どっちかっていうと土方さんが弟子……って!」
小突かれた頭を押さえる。
「撤回だ! くそ、可愛くねぇなお前」
あははと笑う沖田に、土方はぼそっと、
「安心しろ、俺は男に興味ねぇよ」
と呟いた。
沖田は、嘘つき、とは云わなかった。
あおいは背の高さ、幹部に並ぶ剣の腕。
沖田が立ち回っているのもあって、平の隊士たちは葵の性別を疑ってもいない。
それでも、土方が気づかないなんてことはないだろう。
ごろんと縁側に寝転び、頭上の土方を見れば、火が明滅する速さが増していて、
やっぱり、と沖田は目を閉じる。
これはただの勘、というよりは確実なものだが、土方はあおいに複雑な感情を持っているはずで。
それは、あおいの性別に気づいてしまった葛藤が、土方をそうさせているのだ。
しかし、それを問い詰めても何の意味もない。もし、あおいが女だと公になれば、土方がどんな行動に出るかは考えたくなかった。
縁側に煙管が打ち付けられる音を聞くと、今頃煙が染みたのか、胸に苦みが刺さる。
(不思議な人だよなぁ)
徳川の御紋である『葵』を名前にしていることも、男のふりをしていることも謎だが、それにもう一つ――
(どうして彼女はあれを知っていたのか)
――浪士組が新選組になるということを
蝉が地面に転がり落ちる。
じ……という最期の一声に、沖田は聞き惚れた。




