呑めや唄え
気づけば葵は部屋に一人だった。
直清もいない。羽織を握っても、もう何も起きなかった。
前世の復讐のために幕末に呼ばれたなんて、未だに現実感のない葵だったが、今ここにいるのは本当だ。
「それにしても……」
葵は手首の組紐に触れる。
佳代の心を思って胸が痛んだ。
愛する人に裏切られた絶望の中、佳代は死んでいったのだ。
物音がして、見ると沖田だった。彼の羽織はきれいなまま。土方の言葉通り、御所は無血で守られたようだ。
(無事で良かった)
「おかえりなさ――」
言いかけて、砂埃のような外の匂いが葵を包む。大きな胸のあたたかさに、彼に抱きしめられていると気づいた。
何か言おうとするのに喉が閉じてしまっている。震える手で彼の襟を掴みかけた――
瞬間、沖田はぱっと離れて、
「あおい君! 無事でよかった」
と、いつか葵を抱きしめた、藤堂の台詞を真似た。
からかわれているだけと分かり、葵は残念なようなほっとしたような気持ちになる。
彼の空気が柔らかいのを感じ取り、声が少し上ずる。
「お手柄ですか?」
「まぁ。土方さん達上機嫌だよ。呑めや唄えの大騒ぎだ」
言われてみると男達の声が響いてくる。
沖田は肩をすくめた。
「あおいさんを連れて来いってうるさくてね」
大部屋に行くと、隊士たちのどんちゃん騒ぎは、外から聞いていたよりも凄かった。
あまりの騒々しさに、さっきまで暗かった気持ちが少し晴れる。
(に、しても――ひどい有様……)
床に転がっているもの、上衣をはだけているもの、なんなら生まれた姿のまま踊っているものもいる。
目のやり場に困っていると、上座にどっかり座った土方が声をかける。
「あおい、遅いぞ!」
引っ張られ、隣にすとんと座らせられ、盃になみなみと酒を注がれた。
酔っているのか土方は、普段の三割増声が大きい。
「お前のおかげだ! 俺達浪士組、いや――新選組は今日という日に名を刻んだ!」
土方は盃を高く掲げた。
うぉーっと男達の叫びが続く。
「新選組……」
「そうかあおいさんは知らなかったね。今日の功が認められて、名を授かったんだよ」
にこっと微笑む沖田に、「おめでとうございます」と返せば、彼は何か言いたげに葵の目を覗き込む。
(……なんだろう?)
「ほら、飲め飲め」
土方は、葵は一滴も飲んでいないのに、どんどん空の盃を集めては酒を注いでいる。
葵はお礼を言いつつ徳利を奪い取り、
「土方さん、お酒がお強いんですね」
そう微笑んで、盃を一つずつ土方に返すことにした。
「あおいの言った京都一の剣士集団になった! 見事約束を果たしたじゃあねぇか! まぁまだまだ働いてもらうがな!」
酔って区別がつかなくなっている土方は、葵に勧められるがままに酒を煽っている。
その様子を見て、沖田はくくっと笑いをこらえていた。
「怖いなぁ、飲ませ上手で。さすがは美人芸妓の碧さん」
碧は葵が祇園に潜入捜査したときの偽名だ。
「美人芸妓だなんて、よく言いますね……沖田さん、ちっとも興味なかったくせに」
「ん? そんなことないけど」
沖田は自分で手酌して、葵はそれを見て妙な気持ちが沸き起こる。
(代わりに注いで、お疲れ様でしたって言いたい――)
思って葵は、ん? と眉間に皺を寄せた。
お酌なんて、今、土方に散々しているではないか。
(私は沖田さんに、したいの……?)
一瞬、沖田を見て、男らしく声を下げた。
「沖田さんは、どんな女が好みなんですか?」
彼は飲みかけた盃を卓に置いた。
返事を待つ間、葵の手は強く徳利の首を握りしめていた。
彼はふっと息を吐き、盃に口をつける。
「かわいい子が、好みかな」
「それは、皆そうでしょうよ……」
「見た目の話じゃないよ」
葵はヤケな気分だった。
結局、真面目になんて答えてもらえないのだ。
(飲んじゃおうかな……)
「あおいさんは、どんな人が好みなの?」
その質問に、葵は理由もなく身体が熱くなる。
「私は――」
葵の徳利を土方がぶんどった。
「俺は色っぽい女がいい。可愛くても色香のねぇ女は駄目だな」
いきなり熱弁を振るいだした土方は、葵の顎を掴む。
「あおいの、芸妓姿が忘れられないんだよな」
土方の普段と違う熱っぽい視線と、酒の香りに当てられて、葵はくらくらしてきた。
極めつけに、
「男にしておくには惜しいよな……」
と意味ありげに呟いて、顔を近づける。
息がかかりそうなくらい近い。
(何――)
葵は身を固くして目を閉じた。
「飲み過ぎですって、土方さん……」
沖田の声がして、熱い気配が遠のいた。
「あおいさん、ちょっと来て」
沖田は葵の手を引いた。




