蒼井直清の過去
【ここまでのあらすじ】
18歳の誕生日、葵(女)は目覚めたら幕末の京都にタイムスリップしていた。
わかっていることは、
・葵は蒼井直清(男)として新選組にいること
・蒼井直清は葵の前世であること
・直清から仇討ちを託されていること
八月十八日の政変で仇と遭遇し、蒼井直清の過去が明かされる。
蒼井直清は、しがない下級武士の出だった。
天涯孤独だが、将来を誓い合った佳代がいる。
「佳代、それいつ俺にくれるんだ?」
「ふふ、もう少し私の体温を馴染ませたら、です」
佳代が見せた手首には、彼女が編んだ朱色の組紐が結ばれている。優しく笑う佳代は、物音にびくっと肩を揺らした。
「どうした?」
周囲を見ても誰もいない。佳代はほっと息をついて話し出す。
「最近、小野家の活動をよく思っていない方がいらして……父は異国の文明を取り入れるべきだと――」
直清は続きを遮る。
「佳代、誰が聞いているか分からない」
「……直清さんは父とは反対意見なのでしょう?」
「それは……」
言葉を濁す。
佳代の父は、黒船をじかに見たという。
その圧倒的な大きさに、鎖国を解くことこそが日本のためになると信じていた。
そのため佳代の父は、志しある若者を集めては開国を謳って議論をしている。
ちなみに直清はどちらでもない。
確固たる信念というものが、どうにも直清にはわからないのだ。
「佳代の父上は……俺のことをよく思っていないなきっと」
「そんなことはございません! 直清さんには直清さんの正義があります」
剥きになる佳代を宥めると、直清は立ち上がった。
「どちらへ?」
「松原様のところに呼ばれているんだ」
「まぁ…」
佳代は怪訝な顔をした。
「直清さんになにか?」
「さぁ、お叱りでなければいいが」
直清は肩をすくめて笑い、佳代と別れた。
しばらく歩くと、見えてきたのは荘厳たる門構え。松原家は幕臣として知られる名高き名士である。
門番に案内され、直清は頭を低くして待った。
一体何の話なのだろうか。
間もなく襖が開き、松原が一段高いところに座る。
「直清殿、面をあげられよ」
「はっ」
「今日呼び出したのは他でない、うちの娘と縁を結ばないか、と」
「は……」
寝耳に水だ。
松原は扇子をばさりと広げ扇いでいる。
「貴殿の剣の腕はこちらまで届いておる。悪い話ではないだろう」
どう言ったものかと考えあぐねていると、
「なに、君にいい相手がいるのは知っている。小野佳代だったか?
だが、聞けば小野家は熱心な開国論者だというではないか。
幕府は鎖国は解いたが、それは開国を推し進めるためではないのだぞ」
扇子がぱちんと閉じる音に顔を上げる。
松原は冷たい目で、直清に扇子を向けていた。
「どちらが利になるかは、わかっておろう」
――断る選択など、端から無い
直清は頭を下げることしか出来なかった。
月日を追うごとに不審になっていく直清の態度に、佳代はなにか勘づいているようだった。
それでも直清は、佳代に曖昧な態度を取り続けていた。
卑怯なのは分かっていたが、佳代の泣く顔を見たくなかった。
松原の気が変わらないかと願うが、その気配もない。
腕のなかにいる女を強く抱きしめる。
「直清様? どうかされまして?」
ふっと香るのは、佳代とは違う香。
松原の娘、千鶴は非の打ち所のない女だった。
よく気が付き世話を焼いてくれ、名士の娘らしく男を立てる。
器量もよく、街を歩けば皆が振り返る。少女のように可憐なのに、男なら一度は抱いてみたいと思わせるような色香を持つ。直清には過ぎた女だった。
佳代に「愛している」という言葉を掛けるとき、それはもはや滑稽なものにすら思えた。
厳格な身分制度の中、直清が松原へ縁談を断ることは難しい。それは事実ではある。
だが、その事実を隠れ蓑にしている自分がいる。
では千鶴を愛しているのかと問われればそれも違う気がした。
どのみち、今の直清に誇れるものは何もない。
ある日、千鶴と腕を組んでいるところで、ばったり佳代と出くわした。
固まる直清に、千鶴は首をかしげる。
「直清様? ご友人ですか?」
そのときの佳代の目を、直清は一生忘れないだろう。
笑顔で「お幸せに」にという佳代の手を掴んだ。振り払われた時に、朱色の組紐が指を掠めた。
刹那、直清の胸に、今まで佳代と過ごした日々がよみがえる。
屈託なく笑う顔、遠慮なく直清を叱る声、気が強いくせに怖がりなところ
――全てが純粋に自分に向けられていたものだった。
千鶴に頭を下げて全てを話す。
千鶴は目に涙を溜め「もう一度、話しましょう」と直清を送り出してくれた。
どこを探しても佳代がいない。
家に戻っているのか、と足を向ける。
佳代に会えたら誠心誠意謝罪しようと誓っていていた。許してもらえなくてもいい。
そして千鶴と松原にも詫びを入れて、縁談を解消してもらう。
自分の態度が周りを傷つけていたことに気づきながら、後回しにしてしまったことを恥じた。
佳代の家に近づくにつれざわざわとした人並みの声が聞こえ、心臓が脈打った。
その時、"左眼に傷がある男"と目が合う。
彼はふっとほほ笑むので、不思議に思いながら直清も会釈をし、走り出す。
愕然とした。
佳代の家は轟々と音を立てて燃えていた。
そのあとどうなったか覚えていないが、炎に飛び込んだらしい直清は、身体に火傷を負っていた。
対面した佳代。もう面影はなかった。
黒く焼け焦げているのに、組紐だけは守られたように美しい朱色のまま。
佳代の家を襲ったのは「異国を倒せ」と声高に言う志士の仕業だった。
「か、よ……」
声にならなかった。
自分が殺したのと同じだと思った。
あの時手を離さなければ、いやもっと早くに
佳代が怯えていた時に向き合っていれば、佳代は死ななかったのだ。
直清は刀を手に取り、自分の腹に突き立てる。佳代と同じところに行けるとは思わないが、自分に生きる価値も希望もない。
剣先が腹に食い込んだ時、戸を開けたものがあった。
部屋に入った仲間が、「佳代の死因は火事ではない。刀で喉を掻き斬られていた」と言う。
直清は左眼に傷がある男が、刀を持っていたことを思い出した。
「あの男を討つ。差し違えてでも……そしてそれが叶った暁には――」
自らの命を死に帰そう。
◇
葵の意識が自分に戻り、直清は淡々と説明を続ける。
「そうして俺は、情報を集めるうちに、浪士組に入った。注目されることを避けるため、剣の腕を隠し、人付き合いをやめた……」
その後直清は巡察に出て、仇――片桐左京たちに遭遇し、返り討ちにあったという。
「仇を討ちたいっていう気持ちはわかるけど……」
直清は葵の肩を掴む。
「お前にしか頼めないんだ」
指が肩に食い込むが、葵は声を振り絞った。
「私は仇討ちなんて出来ない……」
「お前はただの器なんだよ!」
怒鳴って、直清は葵を突き飛ばした。
「……っ」
痛みに顔をしかめ、それでも向かっていこうと葵が床に手をついたとき、直清が力なく座り込んだ。
「悪かった……」
自分と同じ顔の直清。その彼の憂う表情に、葵は言葉をかけられない。
「だが、どのみちお前は、元いた場所には帰れないだろう……」
「仇を討てば帰れるの?」
「それは――俺にも分からない。お前はあの日、恐らく死ぬはずじゃなかったんだ。
そこへ俺の未練が重なって、お前が此処へ来たんだと思う」
(それなら、直清さんの未練が消えれば私は帰れるのかな)
「俺も、お前を解放してやりたい……だけどまたアイツを前にしたら、抑えられないかもしれない」
葵は起き上がり、直清の隣に座る。
近くによると、彼が震えているのが分かる。
彼を正面から、包むようにして抱きしめると、直清は泣いていた。
「私は、人を斬ることはできない。
だけど、片桐左京に罪を償わせることはできる……。捕まえて、生きて償わせるの」
「それじゃあ、お前が危険な目に遭う……」
「それは、今さらでしょう?」
葵は彼の頭を撫でた。
短い髪。今の葵と同じだ。
葵を男に見せるため、直清に勝手にぶつ切りにされた髪。
嫌で仕方なかったはずなのに、こうして見れば、意外と悪くない。
(どうして今、こんなこと思うのかな……)
葵の肩も揺れる。
まるで直清とシンクロするように涙が止まらなかった。
「あのね、私もお母さんが……自分のせいで死んじゃったから。重さは直清さんと全然違うけど、気持ちは少しだけわかるよ。
だから、やらせてほしい」
直清は首を何度も横に振り、嗚咽混じりに言う。
「あいつは……人を斬ることを一切躊躇しない。お前とは違うんだ」
「でも……」
直清は『自分から片桐を探しに行くな』『もし見つけても深追いするな』と葵に約束させる。
そうしないと、葵の身体ごとのっとるとまで言う。
「直清さんってほんっとに、勝手……」
「お前の前世だからな」
「……それを言われると」
直清は、葵の涙を拭って微笑んだ。
いつもお読みくださってありがとうございます!
後1話で一章が終わります。(3/24追記:すみません、あと2話でした)




