11_八月十八日と仇との遭遇(沖田、土方、藤堂、斎藤)※次回は3/21
八月十七日の夜、葵を含む隊士たちは整列させられていた。だんだら羽織の正装に徹底武装という出で立ちが、場の雰囲気を重くしていた。
前では土方が口を開く。
「帝の御前だ。御所警備の者は一滴の血も流すな。あくまで我々の任務は包囲と制圧だ」
声には昂る興奮が混ざっている。
「市中警備は遠慮はいらない。攘夷派は斬って捨てろ」
土方の熱が伝播し、血気盛んな隊士たちは武者震いしている。
持ち場が言い渡される。
張り詰めた空気の中で一人、沖田は退屈そうに羽織の紐を結び直していた。
「――あおいは、市中警備に変更」
告げられた内容に、沖田ははっと顔を上げた。
――なぜ
なぜあおいが沖田と同じ御所警備ではなく、危険な市中警備なのか。嫌な予感がして、沖田は肺を針で刺されるような痛みに胸が冷えた。
近くで護ってやることが出来ないなら、せめて、と思うよりも前に沖田の目はあおいを探していた。
土方が無言で剣を掲げると、彼の内なる炎を体現するように、隊士たちの地鳴りのような雄叫びが轟く。
熱気にあてられ酔いかけた葵は、解散の号令と共に早々に列を出た。
葵は藤堂と一緒だった。提灯に覆いを被せていると、後ろから肩を叩かれる。
「沖田さん」
「初太刀は迷わないで、抜いたら最後までやること。それから、刃の向きだけは忘れないで」
一息に言うと、彼は黙り込んだ。
ぼんやりとした手元の灯りが、沖田を照らす。
「ほどけていますよ」
葵は提灯を置き、沖田の羽織の紐を結いた。
「初陣、帰ったら聞かせて」
少し掠れた声が落ちてきて、葵は『お気をつけて』と言いたいのに、喉が締め付けられて声が出てこなかった。
暗闇に、沖田のだんだら羽織がひるがえる。
葵にはそのあさぎ色が、どの隊士よりも美しく、鮮やかに浮き上がっているように映った。
「市中警備か」
葵に声をかけたのは斎藤だった。彼は頭頂部で髪を結き直していた。隙のない落ち着いた所作だが、目には青白い焔が情熱的に揺れている。
滾るような殺気に、やはり彼も死線を幾度もくぐり抜けた漢なのだと、葵は身じろぎ出来なかった。
「死ぬなよ。あいつが荒れると面倒だ」
斎藤の後ろで、藤堂が手を挙げていた。
「あおい君、行こうか」
「あ、はいっ!」
横をすり抜けるとき、斎藤は「いい刀だな」とわずかに笑った。
「ええ、私には勿体ないです」
沖田にもらったこの刀は、人を殺傷できる武器。だから、弱い気持ちでこれをおまもり代わりにしてはいけない。
――だけど
結局、人を斬る覚悟が決まらないままの自分にため息をついて、葵は屯所を出た。
◇
葵達は六人で行動を共にしていた。
先頭の藤堂が振り向く。
「あおい君、そんなに緊張しないで。土方さんが言った『斬って捨てろ』ってのは、士気を挙げるための方便だよ」
「……そうなんですか?」
「うん、捕縛した方が情報が得られるからね」
葵は少し意外だった。
(新選組といえば、とりあえず斬るってイメージだったけど……)
斬れるのかと迫られたが、確かに沖田は、無闇に人を斬るわけではない。
土方に教えられた剣も、身を守るもの、敵を逃さないように傷を付けるものが多かった。
藤堂は組長として隊士を安心させようとしてくれている。しかしその目は注意深く周囲を確認しており、全身が耳になっていた。
頼りない手元の灯りだけで歩いていると、意識ごと京の漆黒の闇に飲まれそうだ。
提灯を握る手が強くなる。
葵が今回した潜入捜査は、『八月十八日の政変』で元々活躍する予定だった浪士組に貢献したものだ。
史実に大きく影響は与えないだろう。
(じゃあ……私が仮に、この後も浪士組を守りたいって思ったら?)
そのためには江戸幕府を勝たせないといけない。
(そうしたら、明治時代は来なくなっちゃうよね……?
そんなことはあり得ない。なら、浪士組はやっぱり最終的には――)
別れ際の沖田の顔を思い出そうとしても、すぐに揺らいで掻き消されてしまう。どうしてもっと見ておかなかったんだろうか。
(いや、屯所に戻ればまた会えるんだから……)
葵は明るくなり始めた空を仰ぎ見た。
「ご苦労さま」
藤堂が、前方にいる別の隊に声をかけている。
葵は一番後ろにいる若い隊士が気になった。彼が着ているだんだら羽織には、薄くなった血の染みがついている。
それ自体珍しいことでもないのに、なにが――
そこへ、背後から迫りくる足音が聞こえた。
隊士たちは刀に手を添え、後ろを振り返る。
しかし、二人動かないものがいた。葵と、例の若い隊士だ。
「大変です! 裏切り者が紛れ込んで――」
葵は最後まで聞かず、地を蹴った。
すでに駆け出していたのは、違和感を覚えたあの隊士。前ではためくあさぎ色の羽織を、葵は追った。
足には自信があった。
袋小路に追い込まれた男は、背を向けたまま羽織を脱ぎ捨てた。
葵は柄に手をかけたが、引き抜くことはせず、男に降参を促す。
「もう逃げられない。観念して」
「本当に、生きていたんだな」
(生きて……?)
理解するより先に、ゆっくり振り向いた男の顔。
左眼に刀傷――仇の片桐左京。
それを認めた瞬間、葵は抜刀していた。
口から押し殺す声が響く。
「お前だけは許さない」
葵が斬りかかり、男が受ける。ぎりぎりと刃が擦り合う。
身体がいつもの感覚と違う。誰かに乗っ取られているように、意思が通らない。
男が太刀を受け流す。
「あの日、とどめを刺したと思ったが」
葵は飛び退き間合いを取る。
前に構える男は、左眼をひくつかせた。
「喉を一突きするべきだったな。お前の恋人の、あの女のように」
葵の右手は燃えるように熱くなり、
「佳代を語るな!」
喉を通った咆える声。
もう、全てが葵ではなかった。
次に感じたのは、手に、ぐにゅっと肉を抉るような感触。引き抜きざまに血煙が昇る。
男が落とした剣を足で蹴ると、乾いた音が響く。
蒼井は音もなく近づき、剣を上段に固定した。
狙うは首。
一瞬で落とす。
あさぎ色の羽織が揺れたとき、
――あおいさん
いないはずの沖田の声が響いた。
葵の手から剣が落ちる。
(私……)
葵の揺れを見抜くように、仇は歪んだ笑みを見せ、屋根の向こうに一足飛びに姿を消した。
残されたのは血に塗れた刀と羽織。
不意に後ろが騒がしくなり、藤堂に続き隊士達が走り込む。
「あおい君!」
「藤堂さん……すみません、取り逃がしました」
自分の冷静な返事に、別段葵は驚かなかった。藤堂は葵の無事を確認すると、
「あの後、賊徒が次々出てね」
昂ぶる声で言って葵の刀を拾うと、懐紙で刀の汚れを拭ってくれた。
その藤堂の羽織にも、べっとりと返り血がついている。葵の視線に気づいて、藤堂は微笑む。
「あおい君の潜入調査のおかげで、奴らの動きは大体分かっていたからね。皆、致命傷はない」
「そうですか……」
葵はただ、立ち尽くしていた。
◇
部屋に戻ると、まだ御所警備組は帰っていなかった。
畳の上に羽織と刀が置いてある。
蒼井直清のものだと藤堂が言うので、ここへ引き上げてきた。
右手を見つめる。
刀で人を刺しても取り乱さなかったのはきっと、「これは自分じゃない」と言い訳できたから。
なのに、今さら震えていた。
沖田の声に我に返ったが、あれがなかったら自分は片桐左京を殺していただろう。
「私はどうしてここへ来たの? 教えて――」
葵は羽織に触れた。刹那、あさぎ色が弾けて、葵の前には自分がいた。
いや、そうではない。
そう思うほどにそっくりな姿があった。
「あおい、なおきよ……」
直清は頷く。
「俺達は同じ魂を持つ。俺はお前の前世なんだ」
「直清さんは、私に何をさせたいの?」
直清は葵の手を取った。
刹那ふわっと意識がさらわれ、葵は直清と一体化していた――
【補足】
(八月十八日の政変)
薩摩・会津を中心とした公武合体派が、長州藩+尊王攘夷派の公卿たちを朝廷から一掃した歴史的大クーデター。
まだ「壬生浪士組」と呼ばれていた新選組が、初めて本格的に出動して御所警護にあたった、まさに新選組誕生のきっかけとなった日でもある。




