10_斬れるかな
昼下がりの屯所、稽古の熱気がようやく引いた頃。
葵は部屋の隅で汗を拭いながら、隣の沖田に意識を向けた。
彼は、窓辺の陽射しを浴びて座っていた。
膝の上に置いた刀を、丁寧に布でふくその指先は、まるで慈しむように、刀身を滑っていく。
沖田は小さく息を吐きながら、刃に映る自分の顔を覗き込み、
「うん、綺麗」
と、囁くように。
その声に、葵の胸が苦しくなった。
さらしがきつ過ぎたのかもしれない。
視線に初めから気づいていたであろう沖田が顔を上げ、葵に微笑む。
「どうしたの? そんなに見つめて」
葵は慌てて目を逸らした。
(はぁ……どうしてこんなに見ちゃうんだろう。沖田さんはすっかりいつも通りなのに……)
あの夜のことを、考えているのは恐らく自分だけなのだろう。
(嫉妬なんて……からかわれてただけ。よし、素振りしてこよう)
沖田が不意に手を止めた。
――誰か来る
だんだんわかってきたのだが、彼は足音や気配で、誰かが近くに来るのを察することができる。
葵にはさっぱり分からないが。
予想通り、間もなく土方が鼻息荒く部屋に入ってきた。
「先ほど会津の公用方が見えた。攘夷派を政治の場から追放する」
どかっと畳に腰を下ろす土方。
沖田は夏の蒸し暑い風に頬を当て、再び手を動かし始めた。
葵が質問する。
「追放というのは……」
「俺達、浪士組で天皇のいる御所を包囲するんだ。門を閉鎖して、物理的に攘夷派どもを追い出す」
「では、血が流れることにはならないんですね?」
「まぁ御所の方はな……」
言い淀む土方に気づかず、ほっとする葵。
その横で、沖田は親指で軽く刃文をなぞりながら言う。
「いつでも出動できるように準備しとけってことでしょう」
土方は畳を手でどんっと突いた。
「そんな小さい話じゃないだろう。俺たちは壬生浪なんかじゃ終わらねぇ。武士として歴史に名を刻むんだ」
勢い込む土方に、葵は胸に鉛が落ちたようだった。
この後史実通りにいけば、今回は葵たち浪士組の勝利になるはずだ。
だが、葵を見逃してくれた桂小五郎は、この八月十八日の政変で、以降は逃亡生活となるのだ。
土方は、葵の肩に手を置いた。
「あおいは御所警備の予定だ。隊服用意しとけよ。刀もな」
「はい」
葵は頭を下げる。
浪士組はこのあと新選組に名を変え、しばらく栄華を極め幕臣にまで取り立てられる。
そしてその後は――
顔を上げないままでいると、土方が出ていったのか、襖のしまった音がした。
「あおいさん」
呼ばれて、びくっと肩を震わせる。
沖田が怪訝な顔をする。
「なに、顔色悪いよ」
自分は今、どんな顔をしているのだろうか。
彼の勘の良さが嫌だった。
沖田は、刀を葵に差し出す。
「葵さんの刀、支給品でしょ? これで良ければ。どうぞ」
いつか買い出しの時も借りた刀だった。
受け取りを渋る葵に、
「大丈夫。この刀はまだ斬ってない。新品」
「……」
葵は自分が受け取りを躊躇した理由が分かってしまった。
(血に染まった刀を持つ覚悟もないのに、幕末の京都にいる……)
沖田も土方も、あの優しそうな藤堂でさえも、皆一度は人を斬っている。
それが、ここ幕末では正しいことであり、皆それぞれ守る物がある。
葵も、人を斬る日が来るのだろうか。
「それ、失くさないでよ」
葵は頷いた。
蒼井直清は行方不明時に、刀も隊服も失くしていて、土方にきつく叱られた経緯があった。
持った真剣は、手のひらにずっしり沈み込んで、今までのものより重く感じた。
自分の覚悟の甘さをせせら笑うかのようで、葵の気分も沈み込むのだった。
◇
「はっ!」
御所警備を控え、葵は真剣で、土方と打ち込み練習をしていた。目の前の巻き藁に太刀を突く。
ずぼっという微妙な手応えがして、力任せに引くが、刃先が引っかかりうまく抜けない。
竹刀を肩に担いだ土方の怒声が響く。
「おい! 向きを意識しろって言ってんだろうが!」
「はい!」
「蒼井も相当腕が立つが、副長にやられちゃ大変だな」
隊士たちがひそひそと声を交わしている。
手首を軽く捻ると刀が抜けて、葵は後ろへ尻もちをついた。痛みがあるが、すぐに立ち上がって裾を払った。
「よし、次斬り込み。袈裟斬りから――」
「あおいさん、昼餉行こうよ」
ふらりと現れる沖田の腕を、土方がぐいっと掴んだ。
「おい、一本見せてやれ」
「土方さんがやってあげてくださいよ」
気怠く猫のように言うが、土方が腕を離さないと分かると、沖田は渋々葵の手から刀を取った。
彼が上段に構えると同時に
周りの音が消えた――
剣が、一滴、しずくのように静かに落ちた。
鳥の羽ばたく音が聞こえ、気付けば藁は縦に真っ二つになっていた。
周りの隊士たちが、見事な剣の技に感嘆する。
「ちょっと、息してる?」
沖田の呆れた声に大きく深呼吸をして、葵は肩を弾ませて駆け寄った。
「どうやってやるんですか!?」
横や斜めならともかく、縦に真っ二つ。
刀が左右にミリ単位でもズレたらこうはいかない。
「総司に聞いたって無駄だ」
近づいてきた土方に、沖田は涼しい顔で刀を鞘に納める。
「教えるのは、土方さんの方が上手ですよね」
「ちっ、嫌味かよ」
沖田は天然理心流の免許皆伝。土方はその下の目録だった。
異例の若さで剣を習得した幕末の天才剣士。
その沖田総司の隣に立っている数奇な運命を、葵は改めて感じ入る。
割れた藁に、つい『これが人だったら』などと考え、脂汗が出た。
沖田は自身が真っ二つにした、芯まで割れた藁の残骸を見つめる。
「刀の扱いはまだまだみたいだね」
冷ややかに、あおいに刺さるように言った。勝手でも、そうせずには居られなかった。
剣を渡したのは自分だ。
だがそれは、あおいを危険の最中に放り込むのと同じではないかと、あの細い手に刀を預けた途端に後悔したのだ。
「夜の巡察も始まりますし……頑張ります」
あおいの手は、袴を握りしめていた。
それは、いつも何かをごまかしたり、我慢する時のあおいの癖だった。普段なら守ってやりたくなるようなその仕草が、今の沖田には妙に苛立つ。
「斬れるの?」
口を開かないあおいを、決して逃さないように視線を固定する。
じきに、袴を握るあおいの手が、力なく落ちた。
「……斬ります」
沖田は踵を返した。
矛盾した行動なのは百も承知だ。
だが、御所警備なら、自分と一緒であれば、あおいを失うようなことにはならないだろう。
右手をぐっと握りしめる。
自分の剣があれば、目に入る範囲の人くらいなら護ってやれる。
沖田は、そんな驕った考えを諌めようとも思わないほどには、あおいへの焦燥感に駆られていた。
【御礼】
おかげさまでランクインしました!
歴史もの✕新選組という、ニッチなジャンルにも関わらず、
貴重なお時間を割いてくださり、改めて感謝申し上げます。
次回以降は、八月十八日の政変と前世の謎に迫ります!
3/18(水)に投稿予定ですので、ご覧いただけたら幸いです。




