1昼空の月
そんなこんなで。
葵は屯所と休息所の二重生活を送っていた。
任務の都合上、どちらかというと屯所にいるほうが多かった。
その分、家で過ごす時間は特別で、今日も葵は、用もないのに家を整えていた。
「いけない、もう総司さん出る時間だった」
箒を片付けて、屯所までの道を駆ける。
離れの部屋を開けると沖田の背があり、
「おかえり」
こちらはこちらでほっとする。
(結局、総司さんがいればどこでもいいんだな……)
さて、と刀を差した彼へ羽織をかけ、あることに気づいた。
「顔色悪いですよ」
「なんだ、総司具合悪いのか?」
廊下から覗いた土方が声をかける。
沖田は青白い顔でこめかみを押さえた。
「少し頭が痛むだけです」
「んじゃ行けるな?」
「ええ、もちろん」
即答するので葵は眉根を寄せた。
熱を測ろうと手を伸ばすが、ひょいと後ろへ身を引かれた。
「熱はないから」
「……護衛、本当に出るんですか?」
「他の人には任せられないからね」
局長である近藤の護衛は葵では代われない。
近藤が真に信を置き、腕が立ち、いざとなれば命を捨てられる者でなければ務まらない。
なにより沖田は、新選組の誇りと同じくらい近藤への義に厚い。
「だけど……」
「大したことないって。今夜は遅いから、屯所で先に休んでいて」
その微笑みは、昼空に浮かぶ月のように薄かった。
その後、葵も巡察に出たり医務室で手当てをした。
「葵ちゃん夕餉行こうよ」
藤堂に声をかけられ、首を振る。
食欲がない。
沖田のことばかり考えてしまう。
(辛そうだったのに……無理にでも止めたほうが良かったのかな)
「葵ちゃん具合でも悪いの? 顔真っ白だよ」
「総司さんが……」
話すと、「そんなこと?」と藤堂はきょとんとした。
沖田の未来を知らない人からしたら、頭痛ぐらいでこんなに深刻になっていることがおかしいらしい。
(それもそうか)
「葵ちゃんは、本当に沖田のことが大好きなんだね」
「はい」
即答すると、困ったように藤堂が頭をかく。
「沖田も同じだと思うから、葵ちゃんがそんなだとあいつ悪化するよ」
「すみません、後で食べに行きますね」
答えて、特に必要もないがごそごそ手当品の整理を始める。
藤堂には悪いが、結局食べずに部屋に戻ってきてしまった。
寝間着に着替えても落ち着かない。
布団に入る。目を閉じてもまぶたの裏が刺激されているようですぐに開いてしまう。
(今ごろ……大丈夫かな)
もう真夜中になっていた。
沖田一人で護衛に出ているわけではないのだから、何かあっても無事には帰るはず。と言い聞かせてみてもじっとしていられない。
廊下まで出て、長い暗闇の先に目を凝らす。
じきに木が軋む音がした。
突き当りから覗く影の形に、沖田だとわかって前へ出た。
「おかえりなさい」
突然、影が歪んだ。
ゆらりと葵の方へ崩れる。
「総司さん!」
葵は沖田の脇に腕を差し入れた。
しかし体重を支えきれず後ろへ倒れ込んだ。
上から覆いかぶさった身体はぐったりと力なく、火のように熱い。
「総司さん……総司さん……!」
何度呼んでも反応がない。
重みが全身にのしかかる。
それ以上の恐怖に胸が押しつぶされ、声がうまく出せない。
「だれ……か……」
そのとき、声を聞きつけた土方が来た。
「おいっ総司……!」
意識がないとわかると、彼は沖田を引きずるように部屋へ連れて行った。
その後のことをあまり覚えていない。
改めて見たときには沖田は布団に横たえられ、熱を冷やすための処置を終えていた。
葵は真冬のように歯を鳴らしていた。
特に沖田を支えきれなかった腕の震えが酷い。止めようと自身の肩を抱いた。
「とりあえずお前も飲め」
見かねた土方は水差しから水を注ぎ、手渡してくれた。
ぶるぶる震える手で受け取ろうとするが何度やってもいうことを聞かない。
器を取り落としそうになる葵をもどかしく見ていた土方は、
「ほら」
押し付けるように、器を葵の口に当てた。
水を飲むと、空っぽの胃が痙攣して悪寒がひどくなった。
土方はまだ震えている葵を横目で見た。
「こいつは昔から、大仕事の後にこうして倒れるときがあるんだよ。何日か経てばけろりとするぞ。お前ももう寝ろ」
「でも……」
「夫婦揃って倒れられたら困る。医者は明日呼べばいいだろ」
強制的に葵は布団に入れられた。
「寝ろよ」
念押しして土方がいなくなる。
廊下の足跡が遠のく。這い出して沖田の横へ座った。
暗くてよく表情は見えないが、それでも見ていると安心した。
日が昇り始め、徐々に暗い部屋が明るくなっていく。
まだ医者を呼ぶには早すぎる。わかっていても、浅い息づかいを繰り返す彼に、何もできなくて歯がゆい。
思えば、ずっと彼は元気でいてくれた。
だから、忘れていた。
瞬きしてはいけないほどの幸福な日々が、どれほど脆い均衡の上に成り立っていたのかを。
これが全ての始まりなら。
胃が再び差し込むような痛みに襲われ、酸味が込み上げた。
えづくのを抑えて背を丸める。
(想像より、ずっと怖い)
彼の名が、口から溢れた。




