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第8話「牢の中」

 ハロルドの意味ありげな問いかけにも、女は動じることなく淡々とこたえた。


「……そうですね。この先の道は、決して穏やかではありません。魔の森には、数千年前の亡霊が今も彷徨っていると聞きますから」


 彼女の声には一切の感情がなかったが、次の瞬間、ふっと口元に笑みが浮かんだ。まるで秘密を打ち明けるように、声を潜める。


「でも、ここだけの話――実は、面白い話もあるんですよ?」


 ラインツファルトたちは互いに視線を交わした。


「面白い話?」


 ハロルドが怪訝な表情を浮かべる。


 女はいたずらめいた笑みを深め、低い声で語り始めた。


「この村は魔の森からほど近いところにありますから、たまに、本当にたまにですけど、魔の森に行く命知らずな人たちがいるんです。そのほとんどはまともに帰ってこないのですが、中には運よく生きて帰ってくる人たちもいます。この村では、そういう人たちの話を代々語り継いできてるんです。これはその中のほんの一つ、妖精たちが語ったというお話です」


 彼女の声は夜の空気に溶け込むように静かだったが、その内容はどこか神秘的で、聞く者を引き込んだ。


「太古の昔、天と地が別れたあと、この世界には無数の神々がいました。皆がめいめいに国を作って、楽しく暮らしていたといいます。


 ですが、神々にも寿命があって、やがて死を迎えると、彼らの魂は星へと姿を変えました。


 あるとき、この星の礎となった神――アーガディアは、恋人を奪い去りました。フレアという神の愛する者を、自らのものにしようとしたのです。しかし、彼は恋人を手放すことを恐れ、強大な魔術で縛りつけてしまいました。やがて恋人は命を落とし、そのまま囚われ続けました。それが、今空に浮かぶ月。そして、怒りに燃えるフレアが、燃え盛る太陽になったのです」


 一同は静かに耳を傾ける。


「神々の国でも、愛を奪う行為は許されませんでした。アーガディアは天の神々によって罰を受けることになったのです。その罰は、千年を超えてなお続く呪いとなりました。果てしなく生まれ続ける瘴気、それこそが魔の力、魔術の源です」


 ハロルドが腕を組み、目を細めた。


「つまり、魔力は神の呪いが生み出したものだと?」


 女は静かに頷いた。


「アーガディアは死後、星となりましたが、その星の上では何度も国が栄えては滅びを繰り返してきました。魔力がなくなりつつある今、ようやく神の罪が償われる時なのかもしれません」


 語り終えた彼女は、穏やかな笑みを浮かべる。


「このお話は、五十年ほど前に酒場にやってきた冒険者が語ったもので、それがまた村の者たちに受け継がれてきたのです」


 壮大な話に一同は聞き入っていたが、ラインツファルトは心の中で苦笑する。


 (酒場の与太話を真面目に語り継ぐとは、ずいぶんと風変わりな村だな。しかも、神話のようなロマンチックな話……)


「数千年も罰を受け続けてるっていうなら、さすがに気の毒だけど、魔力がなければ困る身としてはね~」メリッサは、かじり続けていたクッキーの最後の一かけらを口に放り込む。「世界樹に近いこの村にも、魔力の減少で体調崩してる人がいたりするの?」


 その言葉に、女――イオはふと視線を落とした。


「ええ。ここ数年で、魔力が減少したせいか、一年中体調を崩す者が増えてきました。私の父もそうです。男手一人で育ててくれたんですが……」


 そう言う女の目はどこか寂しげだった。


「そこら辺のことは、私たちが何とかしてあげますから! 魔の森を超えて帝国をパパっとやっつけて、泉に魔力を流し込めば、ぜんぶ解決! でしょ?」


 彼女の明るい声は、沈みかけた空気を一瞬にして軽くする。


 ラインツファルトはふと、彼女を見つめた。決死隊のような部隊の中で、こういう存在は貴重だ。破滅が約束されている戦いであればなおさら――。


 しかし、イオはまだ不安げに眉を寄せていた。


「……本当に帝国に、いえ、魔の森へ行かれるのですか?」


 その声には、止めたいという想いが滲んでいる。


「ご存知のとおり、あそこは本当に危険です。年に何人か、無謀な者が森へ足を踏み入れますが、そのほとんどはすぐに逃げ帰るか、さもなくば二度と戻りません。魔力の濃淡が激しく変化するため、錯乱したり、呪われたような症状に陥ることが多いのです。それに、亡霊や異形の怪物が出るとも……」


「そうじゃよ」


 突如、年老いた声が割って入る。


 振り返ると、よぼよぼの老人が闇の中から現れていた。深い皺の刻まれた顔は、目を開いているのかすら判然としないが、どこか楽しげな表情を浮かべている。


「あそこに入れば、なんでも、世界の無意味さに魅せられちまうんだと。そうなったらおしまいじゃ。正気を失って、おっちんじまう」


 給仕の女、どうやらイオというらしい、が慌てて駆け寄る。


「おじいちゃん! こんなところ徘徊してちゃだめでしょ! 具合が悪いんだからちゃんと寝てないと!」


 だが老人は気にも留めず、まっすぐラインツファルトたちを見据えた。


「……来い。お前たちの乗り越えねばならんものを見せてやる」


「ま、待って! おじいちゃんあれを見せるの?」


 イオの声には明らかな動揺があった。しかし、老人は静かに目を細め、ラインツファルトたちをじっと見つめた。


「いやでも森で見ることになる。その前の肩慣らしさ」




  特務部隊の四人は顔を見合わせ、こそこそ話し合いながら老人の後に続く。夜の村を抜け、静まり返った小道を進んでいると、背後からふいに松明の炎が揺れながら駆け寄ってくる気配があった。


 逆光でわかりづらかったが、給仕のイオだ。編んだ髪が火の明かりできらきら揺れている。


「もう。わざわざこんなことをしなくても」


 不満げに息をつきながらも、彼女は松明を高く掲げ、周囲を照らした。


「皆さん足元に気を付けてくださいね。小屋のあたりは明かり一つありませんから」


 その言葉通り、彼ら四人が案内された先は建物がなく、村の中心部から遠く離れた場所だった。そこにあったのは石造りの物々しい座敷牢。明かりを採るための小窓には鉄格子がはめられている。


「ここは魔に飲まれた人たちの収容所なんです」


 イオが静かに言った。


 老人は無言のまま牢の扉へと近づき、錠前に手をかける。


「ふむ……少し錆びついておるな」


 独りごちるように呟きながら、年季の入った手で鍵を操る。金属が軋む音が闇夜に響き、やがて、


「おお、やっと開いたわい」


 鈍い音を立てて、重厚な鉄扉がゆっくりと押し開かれた。


 その瞬間だった。


 牢の中に差し込んだ光に反応するかのように、暗闇の中からうめき声が響く。


 次の瞬間。


「……!」


 何かが這い出してきた。


 イオは悲鳴を上げ、思わず後ずさる。


 それは、人の形をしていながら、人とは異なる何かだった。


 痩せ細った体、荒れ果てた肌、濁った瞳――生気を失ったその存在は、まるで何かを求めるように手を伸ばし、光を頼りに這い寄ってくる。


 特務部隊の四人は息を呑み、動くことすらできなかった。


 だが、老人は冷静だった。


「……悪いが、ここで大人しくしてもらおう」


 そう言うと、老人は器用に魔術を操り、魔法陣を空に描いた。


 瞬間、魔力が空間を満たし、収束する。


 人影は苦しげなうめきを最後に、ばたりとその場に倒れ込んだ。


 しんとした沈黙が辺りを支配する。


 ようやくのことでラインツファルトは老人に問いかけた。


「……これは、一体?」


 老人は気を失った体を牢の中へ押し戻しながら、静かに言った。


「魔に呑まれた者の成れ果てじゃ」


 牢の奥から、鼻をつく強烈な悪臭が流れ出る。思わず息を止めた。牢はうめき声をあげる人影がもつれ合っていた。そこにいる者たちの体にこびりついた汚物が、鼻を刺す腐臭となってあたりに充満している。


 ここに囚われた者たちは、もはや正気を保っていなかった。


「あ、あれ、気味の悪い怪物みたいなのが床にいるっすね……」


 ヴェイスが恐る恐る中を覗き込んで顔をしかめる。その視線の先には、どろどろとした、手足や顔がごちゃっと生えた肉塊があった。


「ああ。あれも、元は人間だったんじゃよ」


 老人は深いため息をつき、牢の奥を見やった。


「心だけでなく体まで魔に魅入られると、ああなる。あそこまでなるともはや人とも思えんが。あれは、魔に囚われた廃人が、まるで宝物のように抱えてここへ運び込んだんじゃよ」


 冷たい言葉が、闇の中に沈んでいく。


「ここにいる者たちは、一日に一度、水と食料を投げ込まれるだけで生かされておる。生きていると呼べるならば、な」


「……ああなるくらいだったら死んだほうがマシだわ……」


 メリッサのかすれた声が震える。


「メリッサ……」


 ハロルドは、呆然と牢を見つめる彼女の背をそっと撫でた。


「ここにいるのはアンデッドではないのですか?」


 ラインツファルトの問いかけに老人は首を振る。


「似たようなものだが、あれより状態がひどい。アンデッドは、あれでも二本の足で歩いたり魔力を操ったりする最低限の知性がある。こいつらには、何もない。ただの残骸じゃ」


 哀れむような視線が、牢に向けられる。


 ふと、部屋の奥の壁に描かれた模様が目に入った。


 そこには、花が描かれていた。


 イオの耳飾りと同じ――グラジオラスの花の模様が。

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