第6話「特務部隊」
兵舎の薄暗い廊下を歩いていると、ラインツファルトは曲がり角で大きな紙袋を抱えた女と衝突した。袋は膨れ上がり、彼女の視界を完全に遮っていたのだろう。
「わわっ!」
女は弾かれたように尻もちをつき、袋の中身を盛大にぶちまけた。パン、砂糖菓子、チョコレート――甘い香りが一瞬にして辺りに広がる。
「大丈夫ですか?」
ラインツファルトはすぐにかがみ込んで手を差し出す。女は照れくさそうに笑い、助けを借りて立ち上がった。
「あはは、どーも……」
しかし、その視線がハルトマンにぶつかった瞬間、まるでバネ仕掛けの人形のように背筋を伸ばし、ぴしりと敬礼した。
「貴様、何だそれは」
ハルトマンの低い声が響く。
女は慌てふためきながら、目にも止まらぬ速さで散らばった品々を拾い集め、再び袋に詰め込む。けれども、その中身を隠すには手遅れだった。
「甘味でありますッ!」
「そんなことは分かっている。なぜここにそんなものを、それも大量に持ち込んでいるのかと聞いている」
女の顔が青ざめ、ガタガタと震える。敬礼したまま、じりじりとハルトマンから距離を取るように後ずさりし、ついにはラインツファルトに視線を向けた。明らかに助けを乞う顔だった。
(やめろ。俺に助けを求めるな)
彼は心の中で呟きつつ、助け舟を出す。
「大尉殿、何か事情があるんでしょう。ここは大目に見てあげませんか」
「ラインツファルト、いったいどんな事情があると? この女の肩を持つならお前も同罪だが」
「ではやめておきます」
「ええっ!?」
「それをよこせ」
ハルトマンが指を鳴らした。次の瞬間、女が差し出した紙袋は鮮やかな炎に包まれ、中身ごと跡形もなく焼き尽くされた。
「いやあああああ! あなた達には人の心ってものがないんですかっ!?」
女は四つん這いになり、無残な灰だけが残る床を見つめて絶叫した。
「部屋に溜め込んでいるものがあるなら、今のうちに処分しておけ。明日の昼には出発だ」
ラインツファルトはため息をついた。なんだか気の抜けた軍人だ。
「この方は一体何なんですか?」
「そいつもお前と同じだ。この国で追放される最後の魔術師の一人だ」
「なるほど。いい厄介払いですね」
女は悔しそうに顔を上げ、抗議の声を上げた。
「ひどい!」
結局、女は二人の後をついていかざるをえなかった。甘いものをため込んでいるのが二人の目的地の部屋だったからだ。
書類以外のほとんどの備品がない無機質な部屋。そこでは二人の男がカードゲームに興じていた。
彼らこそが、ラインツファルトとハルトマン、そして甘味で捕まっていた女――メリッサを含めた五人編成の特務部隊の一員だった。
特務部隊。それは革命によって混迷した治安を維持するために、公安委員会が陸海軍とは独立して設立した組織だ。共和国に残ったわずかな魔術師たちを動員し、不穏分子を排除する役割を担った。だが内乱鎮圧後は政敵を抹殺する道具へと堕し、公安委員会の解体後は存在意義を失って、今や追放を待つのみの寄せ集め部隊となっていた。
「さっさと支度しろ。明日の昼には出発する」
ハルトマンが冷ややかに告げる。
ヴェイスとメリッサが彼女にこたえる。
「そうは言っても、何もすることないっすよ!」
「そーそ。だいたいこの国じゃ魔術師の居場所なんてないじゃないですか。ところで隊長、五十年ぶりに追放される王族なんて変わり種、どこで見つけてきたんですか? 追放の対象なのにそんなに若いってどういうこと?」
「この男は最近まで冬眠していたのだ。それ以上話すつもりはない」
そう言ってハルトマンは部屋から出て行った。もともと部屋にいた男、ヴェイスとハロルド、それからいつの間にか気を取り直していたメリッサが顔を見合わせた。
「冬眠、余計気になるっすね」
メリッサはため息混じりに肩をすくめる。
「隊長はあんなんだけど、うちはゆるいから好きにやってねー。どうせ地獄行きの馬車みたいなもんだし」
思いのほか、居心地が悪い空気ではない。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
「敬語じゃなくていいよ。隊長以外にはねっ! あの人に関わると大切なものを燃やされるからね!」
あまりにも必死な形相で反応に困る。
「俺たちも地獄までご一緒するわけっすから、ほんとよろしく頼みますよ?」
ソファでふんぞり返っていたヴェイスという男がおちゃらけた風に手をひらひらさせる。
「帝国っていうのはずいぶんとおっかない場所らしいな」
「帝国ってより、魔力の泉っすね。俺らくらい魔力を持ってれば、当然泉にぶち込まれるっす。何もしなければ殺されるってわけっす」
一瞬、重い沈黙が降りた。何もしなければ、死ぬ。それなのに、なぜそんなに楽し気な雰囲気でいられるのか、不思議というかある種奇妙でさえあった。
「みんなは、それを大人しく受け入れてるのか?」
すると、三人はにやにやして顔を見合わせた。
「もちろん大人しくしているわけはない。アリオストを殺して、新しい政府を向こうに樹立する。これは僕たち三人のスクワッドだ。隊長には秘密だよ?」
ハロルドはいたずらっぽく笑った。
「勝算はあるのか」
「今は八十年前と違って銃火器も発達している。魔術に劣った一般人でもそれなりに戦力になるから、彼らを味方につける必要がある。今まではそれはかなり厳しいと思ってた。だけど今は違う」
「どういうことっすか? 何か妙案でも思いついたんすか?」とヴェイス。
「思いついたんじゃない。降ってきたんだよ。向こうからね」ハロルドはラインツファルトに目配せする。「ラインツファルト・ノイシュタット、君は旧王家に連なる人間だろう? それも王位継承者の一人として目されていた」
「えっ? ラインツファルトって王家の子孫とかじゃないん?」とメリッサ。
「信じがたいけど、八十年前失踪したと思われてた人物だよ。なんらかの魔術で封印されていたのが解けたんじゃないかな。違う?」
ハロルドはラインツファルトに目配せする。初対面のメンバーに秘密をうちあけるのは多少抵抗があったが、これからのことを思えばそうも言ってられない、か。
「ああ、あってるよ。たしかにその通り、俺は八十年前の王位継承者の一人だ。革命騒ぎでいろいろあってね」
「なッ……!!」
壁に寄り掛かって話を聞いていたヴェイスが、苦しそうな声を出しながらその場に崩れ落ちる。
「ラインツファルトと一緒にいれば、玉の輿、だと……?」
「その発想はおかしいだろ」
ラインツファルトは思わず突っ込む。
「ともかく、これである程度は実現性を帯びたわけだ。帝国の転覆っていう一大作戦の実現性が。ラインツファルトが手を貸してくれればね」
ラインツファルトは三人の視線があつまるのを感じた。好奇の目で見られているようだ。
「ま、待て。そんなにすぐに決めるわけにはいかない」
「は? 今決めないとだめでしょ。今決めないで、いつ決めるタイミングがあるっていうの?」とメリッサ。
そうやって詰め寄って無理やり承諾させるつもりか。
とはいえ黙って殺されるのも無粋な話だ。仮に殺されなかったとしても、アリオストは仇。会えば必ず剣を交えることになる。
とすれば、ハルトマンに逆らってでも行動を起こす方がいいのかもしれない。
「わかった。その話に乗ろう。ただし条件がある。アリオストを殺したあと、その先には俺は関与しない」
俺はこの時代の人間ではないのだから。この時代のことは、この時代の人間に決めてもらう。特務部隊の面々や、ハルトマン大尉に。