第20話「魔剣ミセリコルディア」
「──因果を曲げる魔剣、ミセリコルディアを見つけ出すんだ」
シュテュンプケは静かに言った。
「この世界には、七つの魔剣がある。魔術を超えた、圧倒的な力の象徴さ。魔力を使わずとも、魔術を無尽蔵に放てる異質の兵器。一本現れりゃ、戦場の様相はまるで別物になる」
その光景を、ラインツファルトは知っていた。
かつて王国の騎士だった頃、彼は魔剣こそ持たされなかったが、幾度となく戦場で目撃している。
魔剣を手にした者が、どんなに劣勢な状況をも、一瞬で覆してしまう光景を──。
「ですが……、ミセリコルディアは七本の中でも最も情報の少ない剣のはずです。他を探す方が……」
「探せねえんだ」
シュテュンプケがため息まじりに遮った。
「あんたは知らねえかも知れねえが、残り六本の魔剣は全部、帝国に持ってかれちまったんだよ。もともとは王国滅亡のときに所在が分からなくなってたはずだが、気づけば全部帝国の手中にあったんだ」
「……それで残るは、ミセリコルディアだけか」
ハルトマンが呟く。
「でも、そんな得体の知れない代物を、どうやって探すつもりですか?」
ラインツファルトのまっとうな指摘に、シュテュンプケの答えは予想外のものだった。
「ああ。そのありかはもう把握してる。あとはそいつをお迎えに行くだけだ」
淡々とした口調だったが、すぐに続いた言葉が緊張を走らせた。
「もちろん、アリオストの奴らも、盛大に“歓迎”してくれるだろうけどな。だからこそその前に、準備がいる。しっかり訓練してもらうぜ」
彼らは、幻想的な、木漏れ日に満ちた道を歩いていた。
そこにある“村”には、人の姿は一人もない。
代わりに、そこかしこを徘徊していたのは――異形の存在たち。
口を半開きにし、ひび割れた舌をぺろぺろと蠢かせて歩く奇怪な生き物たち。手足は退化していて、あらゆる動作をその舌だけでこなしているらしい。
見れば見るほど、正気を削られるような異様な光景だった。
それゆえ、この村は『妖精の村』と呼ばれるらしい。
「……妖精と聞いて、こういう連中を想像する奴は、そういないだろうな」
隣でハルトマンがぼそりと呟く。
それに対し、シュテュンプケは肩を竦めるように笑った。
「ここにいるやつの半分は魔の森でああいう姿にされてしまった元人間たちだ。せいぜいかわいがってやってくれ。それが奴らのためにもなるからな」
「半分は、ですか? じゃあ残りの半分はいったい何なんですか?」
ラインツファルトが問うと、シュテュンプケは視線だけを森の奥へ向けた。
「私の――“なりそこない”だよ。ほら、あそこにいる連中を見てみな」
木々の陰から、いくつもの影がこちらを覗いていた。
背丈が極端に高い者、逆に子どものように小さい者、首の長さが異常な者、顔の造形が左右で違う者。
どれもこれも、人の形をしていながら、どこか決定的に“歪んで”いた。だが、彼女らにはどこか共通するものがあるように思えた。
「玉座の間にいたあのミイラみたいな私は、この私を完成させるまでにたくさん失敗を重ねた。あれは、私を生みだすまでに捨てた抜け殻さ。この村にはあいつらみたいなのがあふれてる」
淡々と語るその言葉には、不思議な温度があった。
「それでも、あいつらにはあいつらなりの可愛げがあるんだ。不思議だろ? ……罪悪感、ってやつかもしれん。私があいつらの屍の上に立ってるからこそな」
そして一行は、森を抜けた先の空間に出た。
木々に囲まれた野原。何もない空き地の真ん中に、一本の杭のように、人形が突き立てられていた。
「さて――特訓の時間だ」
「シュテュンプケさんが?」
ラインツファルトが驚く暇もなく、次の瞬間にはシュテュンプケの“魔手”が、彼の喉元へ突きつけられていた。
「ッ……」
まるで軌道が読めなかった。それが空間を飛び越えて、目の前に突如として現れたように見えた。
それほどまでに、彼女の一撃は異常だった。
「これはただの魔手じゃない。古代魔術と、基本的な魔手技術――二つを融合させてある。どちらか片方では決して実現できない、“帝国の旧時代”の戦法だ」
「神による魔術の制限が課される前の、あの時代、ですか」
「そう。あの頃は、人でさえ神々に対抗する余地があった。それほどの水準の戦いに初見で対応するのは無理だ」
「まるで思い出みたいな言い方ですね」
「そりゃあ、思い出だからな」
それから、ハルトマンとラインツファルトの二人はシュテュンプケの指導の下、ひたすら魔手や魔術を繰り出すオートマトンと戦闘訓練をした。攻防の応酬は一瞬の油断も許されない。
鋭く放たれた魔手がラインツファルトの頬をかすめ、瞬間、避けたその位置に再び同じ魔手が現れた。
「空間転移……ッ!」
遅れた回避。魔手が肩口を叩き、ビリリと痙攣が走る。
「……ッ、ちょ、痛……!」
ラインツファルトが膝をつく。見ていたハルトマンが、鼻で笑った。
「みっともないな」
それを見ていたハルトマンが冷ややかに言う。ラインツファルトは何も言い返せなかった。
それから少したって、今度は彼女の頭上に魔手が降りかかる。応じきれずに、ハルトマンも同じように痙攣し、身体をよろけさせた。
「困りましたね」
ラインツファルトがやり返す。
ラインツファルトが、珍しく勝ち誇ったように笑う。
二人の間に、黒衣のシュテュンプケがぬるりと割って入った。
「初見で対応できないのは仕方ねえさ。だが、経験を積めば反射は鍛えられる。避けるだけなら、魔術よりずっと楽だ」
それからの三日三晩、彼らは文字通り寝る間も惜しんで訓練に明け暮れた。
そして、三日目の夜。
丸いドームのような住まい――ボウルを逆さにしたような小屋の中。吊るされた古風なランタンが、空間を夕暮れ色に照らしていた。
三人はテーブルを囲んで夕食をとっていた。皿の上には正体不明の茶色い肉の塊。それをフォークで突き刺しながら、シュテュンプケが豪快に笑った。
「三日目は休息と作戦会議に使うつもりだったんだがな。まさかお前ら、ここまでタフとは思わなかった。さすが人造人間ってわけだ」
「人体錬成……古代魔術のひとつですよね。ご存じだったんですね」
ラインツファルトが問いかけると、シュテュンプケは噛みしめていた肉を飲み込み、口角を上げた。
シュテュンプケはフォークで謎の茶色い肉の塊を突き刺して口に運んだ。
「んああ。ご存じもなにも、私が1万2000年前に人体錬成を実現させたんだよ。そしてこの私が最初の成功例ってわけさ。作られた者同士、仲良くやろうぜ?」
だが、そこでハルトマンが、不意に真面目な声音で口を開いた。
「まともな人間が作れたとして、その人生が不幸なものだったとしたら、どうする」
ハルトマンが予想のほか神妙に問い詰めるので、シュテュンプケは軽薄な相貌を崩した。
シュテュンプケにとって、まっとうな他人との対話は数十年ぶりだ。そのせいか、そういう抵抗にあうとは予想していなかった。
「たしかにその可能性は否定できねえ。だが、普通の人間だって、生む親はそんなこと考えちゃいねえさ」
「しかし、物の理を越えるような魔術でそれを行うのはわけが違う」
「じゃあ、物の理を越えずに欲情してそれを行うのはどうなんだ? そういうのも、私にはやべえと思うけどな」シュテュンプケはいつの間にかもとの軽薄な表情に戻っていた。にもかかわらず、語る姿はどこかしら、老人のような威厳をまとっているように見えた。「私も一万年の時を思索と魔術に費やしてきた人間だ。ある程度のことは考えてきたさ。だから言わせてもらうがな、ハルトマン――あんたは“痛み”ばかりに目を向けすぎだ。人間の感情ってのは、そんなに陰鬱なもんばかりじゃねえ。喜びも、ぬくもりも、山ほどあるんだぜ?」
ハルトマンは肩を落としながらも、目を逸らさずに問い返した。
「……たとえば、どんな感情だ」
するとシュテュンプケは「むふふ」とどこか誇らしそうに胸を張った。
「恋でもしてみたらどうだ? 誰かを愛する感情は悪いものじゃないんじゃねえの? かくいう私も百戦錬磨だから、少しはアドバイスしてやってもいいんだぜ?」
「全く。お前に聞いたのがまちがいだった」
ハルトマンは腕を組んで、深く息をついた。
そのやり取りを黙って見ていたラインツファルトが、思わず吹き出した。
「なんだ、何がおかしい」
「いや、他意はありませんが、そういうことをしてみるのも悪くないのでは? それに、隊長とシュテュンプケさんは直接的には無関係でしょう? 向き合うべき相手は、別にいるんじゃないですか?」
ハルトマンの長い睫毛に縁どられた瞳が、静かに細められる。
「それがこの戦いの目的、といいたいのか」
「ええ」
ハルトマンはアリオストが産み出した存在。そして、かつての“原型”レティシアの不完全な再現体。
彼女がアリオストを打倒しようとするのは、自らの出自に決着をつけるためでもあった。
無論、ハルトマンはレティシアの(不完全な)再現体ゆえ、話はそう単純でもなかったが。
そのときだった。
森の奥が、ぐらりと揺れた。まるで大地の底から呻きが上がったかのような、重い振動。
「……レギーナたちが追ってきたのか」
ハルトマンが警戒の声を上げ、ラインツファルトも即座に身構えた。




