第19話「アーガディア機関」
その夜。宿のバルコニーで、ラインツファルトは夜風に当たっていた。眼下には、眠る森の闇。体内を巡る魔力は、日中の緊張が解けた反動か、鈍く脈打っていた。
「……調子はどうだ?」
背後からの声。ハルトマンだった。 月明かりの下、彼女の金髪が冷ややかに光る。
「いつも通りですよ」
「嘘を言え。レギーナとの戦い以来、顔色が死人のようだぞ」
ハルトマンは詰め寄る。
ラインツファルトは苦笑し、観念したように言った。
「マルティウス……あの男の一撃を受けてから、魔力が漏れ出している感覚があります。底の抜けた柄杓みたいに」
「なっ……、ならばなぜ言わない! それは致命的だぞ」
「気合いでなんとかしますよ」
「気合いで物理法則がねじ曲がるか、馬鹿者」
ぬるりと。二人の間に、いつの間にかシュテュンプケが立っていた。気配がない。森の一部が人の形をとったかのような自然さ。
「しょうがねーから私が何とかしてやるよ」
「シュテュンプケさん……」
「呪いだね。それも、タチの悪い『概念固定』の類だ。……まったく、現代の魔術師は品がない。部屋に来な。治してやる」
◇
シュテュンプケは、彼をベッドに座らせると、胸元に手をかざした。詠唱はない。ただ、指先が空中に複雑な幾何学模様を描くだけ。瞬間、ラインツファルトの体を縛っていた鉛のような重みが、霧散した。
「すごい……」
「礼には及ばん。……にしても、正統派の連中はこういう小手先だけは器用だな。グノーシス派には私一人しか継承者がいないってのに。あんたら、あいつらと戦うつもりなのか? つまり、帝国と」
「ええ。そのつもりです。それ以外の生き方はないんです」
ラインツファルトは苦笑した。
「……なるほど。事情は少なからず察してる。だが無茶だけはするな。あいつらは、ただ突っ込めば勝てるような相手じゃない。アリオストの奴だって、神の領域に近づいてる……」
その語調には、まるで過去の亡霊を振り払うような重さが滲んでいた。そこには、長い時の中で蓄積された後悔と、今なお拭いきれない何かがあった。
だが、次の瞬間。彼の口元にふいに不敵な笑みが浮かぶ。
「ーーだが、そんなあんたらに朗報だ。アリオストを“ころっと”倒せる、とっておきの方法がある。……聞きたいか?」
「なっ……そんな方法が!?」
思わず声を上げたのはラインツファルトだった。
ハルトマンも、言葉には出さなかったが、視線に明らかな動揺と興味が混ざっていた。
「搦手だ。……『ミセリコルディア』を探せ」




