第14話「目的と欲望」
ラインツファルトは、くつくつと喉の奥で笑った。
その奇妙な反応に、レギーナはわずかに眉をひそめる。
「なぜ? 決まってるだろう。アリオストをぶっ殺すためだ」
声が震えた。怒りなのか、滑稽さなのか、自分でもわからなかった。
国も、王も、すべてを奪われ、今や自分には、何ひとつ残っていない。
だったらせめて、すべてを奪い返してやる。血で、憎しみで、あの男を塗りつぶしてやるのだ。
そう、言葉にしてしまえば、それはアリオストと何一つ変わらない発想だった。
なら、俺はどうすればいい?
「ラインツファルト! 気を付けろ!」
遠く、誰かの声が聞こえた。まるで水底から呼びかけられるように、ぼやけた音。
──なんだって?
視線を上げたときにはいつの間にか、すぐ目前にレギーナの獲物を射る目があった。
彼をかばうようにハルトマンが叫び、レギーナへ切り込んでいく。だがその瞬間、緑色の魔術が爆ぜ、彼女の身体ごと崖の上へ吹き飛ばしていた。
「隊長!」
叫びながら、ラインツファルトは咄嗟に手を伸ばしたが、指先が彼女に触れることはなかった。
「私のことはいい! 生きてまた会おう! ……」
落ちていくハルトマンに目を奪われていたそのときだった。
不意に、世界が傾いた。
「ッ……?!」
「フフ……逃がしはしません、絶対に」
尻餅をついたラインツファルトは、自分の左足に目を落とした。
──そこにあるはずのものが、なかった。くるぶしから先が、ざっくりと切断されている。血がとめどなくあふれ出る。
「ウオオオッ!」
彼は痛みに悶えた。意識が飛びそうになるのを必死につなぎ止める。剣を握るどころか、ただ正気を保つことすら困難だ。
だが、レギーナは楽しげに微笑んでいた。
「もしアリオストより強いのなら、私のことなど造作もないでしょう。さあ、もっと、もっと戦いましょう?」
彼女の背後には、後光のような緑の光が広がっていた。
だがそれは神の祝福ではない。無数の、揺らめく魔術の槍だった。すべてが、ラインツファルトを狙っている。
「もっと興奮させてください、ラインツファルト・ノイシュタットさん」
レギーナの声は、甘く、狂気じみていた。
左足を失った今、もはや立ってまともに切りあうことはできない。それに隊長やグスタフ先生の姿も見えない。
いや、とラインツファルトは思う。今考えるべきは目の前の、この狂った女をどうにかすることだけ。
片足でバランスを取り、彼は渾身の力で魔手を撃ちこんだ。
鋭い一撃。しかし、レギーナは軽やかにそれを躱す。その反撃はあまりに速かった。距離を取った彼女が、宙を舞うような動きで斬撃を繰り出してくる。緑色に光る魔手──風属性の魔力を帯びた刃が、空気を裂きながら襲いかかった。
速さと広がり。緑色の魔手は一撃で戦場を制圧する力を持つ。
ラインツファルトは剣をかざし、必死に防ごうとする。
だが──この身体では、さばききれない。
「ッ……!」
切り裂かれる感触。
肉が裂け、血が噴き上がった。
「まだです」
耳元で、甘い囁きが聞こえた。
レギーナが、すぐそこにいる。
彼女の背後で緑の光が弾けたかと思うと、次の瞬間、ラインツファルトの身体は宙を舞っていた。
崖沿いに吹き飛ばされ、かろうじて地に叩きつけられる。
「くそっ……」
体中がずきずきと痛む。
肩で息をして地面に転がる彼を、レギーナは無言で見下ろした。
「……私の……ずっと憧れていた人が……こんな、簡単に終わっていいはずがないでしょう?」
低く、震える声だった。
その響きには、抑えきれない感情が滲んでいる。
「私はまだ満足できてないんですよ? そんなに焦らさないでください。途中で終わらせるなんて絶対に許しません。──絶対に」
ラインツファルトは、呻きながら腰の短剣に手を伸ばした。残った力を振り絞り、彼はそれを放つ。
閃光のような軌道。狙いは正確。彼の戦士としての意地が込められていた。
だが──
レギーナは、指先でそれを掴み取った。
あり得ない反応速度だった。
そして次の瞬間、その短剣は逆にラインツファルトの肩へと突き立てられる。
「──ぐっ……!」
肩口に走る激痛。血が噴き出し、視界が一瞬にして赤に染まる。
痛みに顔を歪める彼を、レギーナは熱っぽい目で見下ろした。
そして──彼女はゆっくりと馬乗りになる。
もがく彼を封じるため、背から伸びた魔手を地面へ打ち込み、四肢を無造作に縫いとめた。
レギーナの目は、狂気すれすれの光を帯びていた。理屈では説明できない欲望が、燃えるように揺らめいている。
「足りない……まだ……全然足りない……」
そう呟き、彼女は着ていたドレスの首元に手をかけた。
布が裂け、深い色のコルセットが露わになる。血と汗に濡れ、肌は光を帯びて妖しく艶めいた。
「こんなんじゃ……足りないでしょう!?」
怒鳴るような叫びとともに、レギーナは拳を振り上げた。
その勢いのまま、ラインツファルトの顔面に拳が叩き込まれる。
ドスッ。
骨と骨がぶつかる音。皮膚が割れ、血が飛沫となって舞う。
「戦場でも、美しさが大切なんじゃなかったのか」
ラインツファルトは、口の端から血を垂らしながら呟いた。
「私の、私の体が美しくないと言うのですか?」
「あなたよりも、美しい人を知ってるものでね」
レギーナは不気味な笑い声をあげながら、目を細める。
「その不屈の精神──素晴らしいです。もっと私に、見せてください!」
そして──狂ったように、彼の顔へ拳を叩き込む。ラインツファルトの顔に、顎に、頬に。骨が軋み、血が飛び、肉が潰れる音が周囲にこだまする。
「うぐッ!」
口の中に血が溜まり、息が詰まる。
それでもレギーナは止まらなかった。
「がんばれ! がんばれ! がんばれ!」
レギーナは、叫ぶたびに拳を叩きつける。
叩き潰すように、抉るように、無様な身体を何度も何度も打ち据える。
彼女の顔は紅潮し、唇の端はいやらしく吊り上がっていた。潰れた血の匂いに、瞳は酩酊したように潤んできらきら輝いている。
ラインツファルトは抵抗すらできなかった。
四肢は拘束され、顔は原形を留めぬほど腫れ上がっていた。
ようやくレギーナが手を止めたのは、拳が痛みで痺れ、息が乱れに乱れたときだった。女の下で横たわるラインツファルトは、すでに虫の息だった。




