↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ミセリコルディアと罪の星  作者: 涼風てくの
復活編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/59

第13話「レギーナ」

 音が死んだ。

 鳥の声も、風のざわめきも、湿った土を踏みしめる音さえも。

 世界が「警戒」のために呼吸を止めたかのような静寂。


 魔の森の奥。蔦の絡まる古木の陰で、ラインツファルトとハルトマンは、闇と同化するように身を潜めていた。


「……来るぞ。距離、三十」


 ハルトマンの囁きは、ラインツファルトの鼓膜へ直接届く。

 敵の数は多くない。だが、その質が異常だった。

 森の瘴気を、たった一人でねじ伏せて歩くような、圧倒的なプレッシャー。


「問題ありません」


 ラインツファルトは短く応じ、重心を沈めた。

 その瞬間。


 ――ヒュン。


 風切り音すら置き去りにする速度で、「それ」は飛来した。

 斬撃。

 だが、ただの鎌風ではない。空間そのものを断ち切る、概念的な切断線。


「ッ!」


 二人は反射的に左右へと跳んだ。

 直後、彼らが隠れていた樹齢数百年の巨木が、音もなく上下にズレた。

 ズズ……ンッ!!

 重力が遅れて仕事をする。巨木が轟音と共に崩れ落ち、土煙が視界を白く染め上げた。


「ごきげんよう、ラインツファルトさん!」


 土煙の向こうから、場違いに明るい声が響く。

 晴れやかなソプラノ。舞踏会で愛しい人を見つけたような、華やいだ声色。


 そこに立っていたのは、豪奢な深紅のドレスを纏った女――レギーナ・アウグスタだった。

 泥濘(ぬかるみ)の森にあって、そのドレスには泥一つ跳ねていない。彼女の周囲だけ、物理法則が書き換わっているかのように。


「姿を現してくださいな。……かくれんぼは、もう終わりでしょう?」


 彼女は双剣を指揮棒のように振るった。

 その瞳は、かつての「イオ」が見せた海のような青ではない。獲物を狙う爬虫類のごとき、鮮烈な翠(みどり)。


「……チッ。挨拶代わりにしては、随分と派手だな」


 ラインツファルトは姿を現し、剣を抜いた。

 ハルトマンもまた、反対側から魔手を展開し、挟撃の体勢をとる。


「レギーナ。……いや、イオと言った方がいいか?」

「どちらでも構いませんわ。貴方様が呼んでくださるなら、私は何にでもなれますから」


 レギーナは頬を染め、うっとりと身をよじった。

 その姿に、ハルトマンが吐き捨てる。


「愛しいと言いながら、初手で首を飛ばそうとするのか? 歪んでいるな」


「愛とは、その人の『生』を実感すること。……そして、死の瞬間にこそ、命は最も輝くのです!」


 論理の飛躍。

 レギーナが地を蹴った。

 ドレスの裾が翻る。それは優雅な舞踏のステップに見えて、実際には音速を超える突撃だった。


 速い。

 ハルトマンが迎撃の魔手を放つが、レギーナはそれを「視線」だけで切り伏せたかのように、最小限の動きで回避する。

 懐に入り込む。双剣が閃く。


 ガギィィィンッ!!


 ラインツファルトが割り込み、火花が散った。

 重い。細腕から繰り出されたとは思えない、岩石のような衝撃。


「あはっ! これです、この感触!」


 鍔迫り合いの至近距離。レギーナの瞳孔が開く。


「貴方がアリオスト様より……『最強』より強いのかどうか。その体で確かめさせてください!」


 彼女の左手が霞む。

 隠し持っていた短剣による、死角からの刺突。

 ラインツファルトは首を捻り、紙一重でかわすが、頬に赤い線が走る。


(……強い)


 ラインツファルトは戦慄した。

 魔術の出力ではない。戦闘技術(スキル)の次元が違う。

 彼女は、呼吸をするように殺し、瞬きをするように肉を削ぐ。


「隊長、連携を!」

「分かっている!」


 ハルトマンが援護射撃を行う。漆黒の魔手が鞭のようにしなり、レギーナの死角を襲う。

 だが、レギーナは背中に目があるかのようにそれを躱し、あろうことか、その魔手を足場にして宙へと跳んだ。


「邪魔です、泥棒猫」


 空中からの急降下。

 風属性の魔力を纏った踵落としが、ハルトマンの防壁を紙のように粉砕する。


「が、ぁっ……!?」


 ハルトマンが毬(まり)のように吹き飛び、崖下の闇へと消えていく。


「隊長ッ!」


 ラインツファルトが叫び、手を伸ばそうとした刹那。

 世界が傾いた。

 いや、違う。自分の視線が落ちたのだ。


「――よそ見はいけません」


 耳元で、甘い囁き。

 ラインツファルトは自分の左足を見た。

 膝から下が、ない。

 遅れてやってくる激痛。鮮血の噴水。


「ぐ、オオオオッ!?」


 彼は無様に地面を転がった。

 痛覚遮断が間に合わない。脳髄を焼くような信号が、思考を白く塗りつぶす。


「ふふ、ふふふ……。いい声。もっと聞かせてください」


 レギーナは、切断した足をゴミのように蹴り捨て、ラインツファルトを見下ろした。

 その背後には、孔雀の羽のように展開された無数の魔術剣。

 逃げ場はない。


「くそ……ッ!」


 ラインツファルトは残った右足で地を蹴り、這いずりながら距離を取ろうとする。

 だが、レギーナは追わない。

 ただ、指先を指揮者のように振っただけだ。


 ドスッ。ドスッ。ドスッ。


 魔術剣が、ラインツファルトの両手、そして残った右足を貫き、地面に縫い止めた。


「が、ぁ……ッ」


 磔(はりつけ)の状態。

 ラインツファルトは大の字になって、泥に沈んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。