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第12話「死地へ」

「隊長、今、外にイオさんらしき人影がありました。追いましょうか」


 ラインツファルトが小声で耳打ちする。イオは単なる通りすがりの女ではない。帝国に関わる、忌々しい影。その正体に迫ることで、ハルトマンや帝国に関する情報を引き出すことも可能かもしれない――彼はそう目論んでいた。


 だが、彼の考えはあっさりと見抜かれていた。


「帝国のことを知りたいのか? 今彼女を追い詰めたところで、死期が早まるだけだ。それに、彼女が持っている情報など、私の手元にある断片に過ぎない」


 ハルトマンは言うと、無言のまま彼に後をついてくるよう合図した。




 宿にはいくつかの空き部屋があった。そもそもこの村は、魔の森に隣接する孤立した集落だ。商人の往来もなく、旅人の足も途絶えて久しい。村人たちは自給自足の生活を余儀なくされており、領主すら置かれていない。まるで世界から切り離された、見捨てられた土地。


 だが、その孤立こそが帝国の侵攻を防ぐ盾となっていた。


「イオという女は、偽りの姿に過ぎない」


 部屋に入るなり、ハルトマンは低い声で語り始めた。


「本当の名は、レギーナ・アウグスタ。アリオストの女だ。奴は二十もの顔を使い分け、村の人間を精神操作魔術で操っている。本当の顔を知っている人間はほとんどいない。とはいえ、あれはアリオストの単なる傀儡だ。もしかすると、そういう手合いが一番厄介なのかもしれないが」


 言葉を選ぶように、彼女は続けた。


「アウグスタはお前と同じ、王国の時代の生き残りだ。魔剣オロバスを代々受け継いできた家系の娘。私は面識がないが、ラインツファルト。お前は名を聞いたことがあるか?」


 ラインツファルトはゆっくりと首を横に振った。


 たとえ同時代に生きていても、貴族の爵位を持つ家の親族の数は数千、数万にのぼる。そのすべてを把握することは不可能だ。


「なぜ、そんな人物がこの村に?」


「いつから彼女がここにいたのかは知らない。だがこの村は、魔の森がくぼんだ所にある。森を西へ抜けるには一番都合がいい。おそらくアウグスタは、私たちの動きを注視するよう頼まれていたのだろう」


「では……すぐにでも、ここに襲撃が?」


「それはない」


 ハルトマンは即答した。


「帝国の首都、デンドロビウムはアリオストの聖域だ。奴がそれを捨ててまで動くとは思えない」


「なるほど。早いところ帝国へ向かってアリオストを始末した方がよさそうですね」


 その言葉に、ハルトマンの表情がわずかに曇る。


「待て」


 ラインツファルトが部屋を出ようとすると、不意にハルトマンが声をかける。


「本当に先へ進むつもりか? 先へ行けば、きっとただでは済まない」


「今さら私の身を案じるなんて、らしくありませんね。あなたはエリザの仇です。なれ合うつもりはありませんよ」


 吐き捨てるような言葉の裏で、彼はそっと自分の手のひらを見つめる。


(彼女がレティシアの複製体だとしても、本人ではない……俺と同じように)


 その思考を破るように、背後から何かが差し出された。


「……そうだ、これを渡しておこう。もう、持っている必要もなさそうだからな」


 ハルトマンの手に握られていたのは、アダマスの首飾り。レティシアにかつて贈られたものだった。


「見覚えはあるか? お前の好きな女のものだったな」


「…………」


 ラインツファルトは差し出す手を無視して、彼女を意識から叩き出すように部屋を出た。




 村の出立には、村人たち総出の見送りがあった。だが、その中にイオの姿はない。ラインツファルトはハルトマンに視線を送ったが、彼女は涼しげな顔でその視線を受け流す。


「村長、イオさんは――お孫さんはどうされたんですか?」


 ラインツファルトが遠回しに尋ねると、老人は首をかしげた。


「孫? 孫なら、三年前に死んでしまったわい……」


「そうですか」


 穏やかな声でそう返しながらも、ラインツファルトの内心はざわついていた。 レギーナ・アウグスタ――イオの正体が帝国と通じているというのなら、彼女が魔の森を越えた手段も存在するはずだ。それはつまり、あの森を越える道が確かに存在するということだ。


 肩に乗ったグスタフがぺろりとラインツファルトの頬をなめる。


「すっかりなついちゃったね」


 メリッサが笑みを浮かべて言った。


「ああ……。いろいろと厄介なことになりそうだ」


「厄介事? これまでは模擬戦ばかりだったし、ようやくラインツファルトおじいちゃんの活躍の場ができてよかったんじゃん?」


「お前な……」


「そういえば、ラインツファルトと隊長、何かあった?」


 言いながらメリッサはクンクンと臭いをかぐしぐさをする。彼女の味覚と嗅覚は常軌を逸しているのだ。


「うーん、この臭いは……。昨日の夜、隊長と会ったんでしょ? それに二人ともなんか似たにおいがするし。親戚?」


「二人でどこかへ行ったと思ったら、いつの間にそんな仲に……」


 ヴェイスがにやにや笑いを浮かべる。


 ラインツファルトは深いため息をついた。


「どうしてメリッサはそう思うんだ?」


「へへへ。私鼻が利くんだ。それも魔力のにおいがわかるの。うーん、この臭いは、喧嘩別れの臭いですかな?」


 メリッサはラインツファルトのをツンツンと指でつついた。


「やめろ」


「早く仲直りしなよ~? 魔の森で仲たがいなんかしたら命取りなんだから」


「できれば、な」


 軽口を交わしながらも、彼らの表情には緊張の色が滲んでいた。


 一行は、誰も戻ってこないと噂される魔の森へと足を踏み入れた。かつてグスタフ・ガープが消息を絶った場所に。


 森の地形は馬車の進入を拒み、彼らは満載の背嚢を背負い、徒歩での行軍を強いられた。


 しばらく歩いたところで、先頭を歩いていたハルトマンがふいに振り返った。


「おい、やつらはどうした?」


「やつら?」


 振り返ると、そこにはさっきまでいたはずのメリッサやハロルド、ヴェイスの姿がこつぜんと消えていた。


 そのとき、どこかでがさがさと草をかき分ける音が聞こえた。


「ラインツファルト」


「わかってます」


 敵襲だ。

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