英雄の最期
「グラビティ・ボム……?」
「そう。局所的に超高重力空間を生み出して、範囲内の全てのものを引き寄せ圧壊させる魔道具兵器よ。私はこれをお腹の中に埋め込んできたわ」
そのあまりにも物騒な話に、ザドキエルとルキフグスは目を剥いてしまう。
時は決戦の一月前。そこで<救世の剣>の執務室に呼び出された二人は、驚愕の話を聞かされたのだ。小さなニアの薄い腹の中にとんでもなく危険な兵器を埋め込んだという、目の前が真っ暗になりそうな話を。
「な、何で、そんなものを……!?」
「万が一決闘であなた方が敗れてしまえば、その時点でニア様の命は終わったも同然です。そして邪神に手を焼いているあなた方の前に、いずれニア様を凌ぐ最強の生命体が現れてしまいます。そうなればこの世界は一巻の終わりです。それだけは何としても避けなければなりません」
「だからこの魔道具兵器で、あのクソ女を道連れにしてやろうってわけよ。本当は普通に爆弾にしようかと思ったけど、場合によってはあんたたちや邪神の城に囚われたお姫様たちまで巻き込まれるかもしれないしね。こういう兵器にしたってわけ」
どうやらニアとトルファトーレは、決闘で<救世の剣>が敗れた場合に備えているらしい。その最悪の事態に陥った場合、腹の中の魔道具兵器を炸裂させて自分ごとアルカを葬るつもりのようだ。
あまりにも常軌を逸した仕込みだが、理に適ったものである事は事実だった。何せアルカの目的はニアの身体に馴染んだ内臓の数々を取り戻し、今度こそ最強の生命体を創造する事。ニアを失った挙句にニア以上の強さを持つ存在が敵対したとあれば、最早人類に勝機など無い。どうせ自分の命が終わるなら刺し違えてでもアルカを屠るというのは、大いに戦略的な作戦であった。
「だからってそんなものをお腹に入れるなんてどうかしてるわぁ。入れるならもっとこう、太くて固いものを入れた方が気持ち良いわよ?」
「そ、そうです! いえ、この馬鹿と同じ事を言っているんじゃなくて、何もそんな恐ろしいものを身体に埋め込まなくても……!」
「大丈夫よ。これはあくまでも、もしものための保険よ。あんたたちが勝ったら取り出せば良いだけだしね」
「その通りです。使う機会が来ない事を祈りましょう。何せこれを使えば、幾らニア様でも遺体の欠片すら残らず死んでしまいますからね」
これを使う時は、<救世の剣>が敗北を喫した時。だからこそ仲間たちの勝利を信じているニアは、腹に爆弾を抱えながらも笑っていた。
反面ザドキエルとルキフグスは表面上冷静を装いつつも、心の中で固く誓いを立てていた。絶対に負ける事は出来ない。何が何でも勝つのだ、と。
「な、何だ!? この、馬鹿げた魔力と引力は……!?」
遂に発動した禁断の魔道具兵器は、恐ろしいほどに膨大な魔力を放ちながら凄まじい重力を発生させていた。異常を察知したアルカがニアを突き飛ばし離れようとしても、身体はぴたりとくっついたまま離れない。それどころか傍らに倒れていたトルファトーレの身体も吸い寄せられて密着し、放たれた魔力すらも無理やり引き寄せられるほどであった。
「私は腐っても最強の生命体。その力を全力で振るって襲い掛かられたら、今のあんたでもただじゃすまない。だからあんたは自分に危害を加える事を契約で封じた。それは賢いやり方よ」
その超重力の中、ニアは苦悶の表情を浮かべながらも語る。己の腹の中で全てを握り潰す圧倒的な力が生じているのだから、彼女の苦しみも当然であった。
「でも私の力しか見て無いのが裏目に出たわね。まさか腐っても最強の生命体の私が、よりにもよって魔道具で攻撃してくるなんて思わなかったでしょ。しかもそのスイッチを他人に握らせてね?」
「ば、馬鹿な……!?」
この答えに、さしものアルカも目を剥く。
無論彼女もニアの抵抗を警戒していた。己が作り上げた最も最強に近い存在である娘に抵抗されれば、いかに邪神の祝福を得たアルカでもただでは済まない。だからこそわざわざ契約魔術で敵対行動を縛り上げたのだ。
故にこれは完全な盲点。最強の肉体と強さを持つ個が道具如きを、しかも赤の他人に使用させるなど完全に想定外であった。
「さあ、一緒に死のうじゃない。大丈夫。二人だから寂しくないわよ、お母さん?」
「私も、一緒です……ニア様……」
「ああ……そうだったわね、全く……」
「は、離せっ! 私はまだ、最強の生命体を――」
覚悟を決めて薄く笑うニアとは対照的に、アルカは醜く足掻き必死に逃れようとする。しかしすでに超重力は臨界に達し、何物をも逃がさぬ鎖と化していた。あまりにも強力すぎる重力という概念の前に、距離を取るという行動はどのような形であれ無意味なものと成り下がってしまう。
魔法とは良くも悪くもイメージの力。決して逃れられない力に引き寄せられている事を悟ってしまえば、転移だろうが何だろうが逃げられるわけも無かった。
「――ぐあああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
そして、遂に超重力の魔道具がその本領を発揮する。
一塊になった三人の中心で、黒々とした極小の球体が発生したのだ。それは周囲の大気を貪りながら一瞬で三人を呑み込み、アルカの醜い悲鳴すらも圧し潰し全てを圧壊させて消え去った。
元より周辺の被害を考慮した兵器であるため、周囲への影響はほとんどない。精々舞台上に散らばっていた瓦礫や血飛沫が吸い寄せられ、ニアたちが立っていた部分が丸くえぐり取られている程度。
時間にしてほんの数秒にも満たない出来事であり、過ぎ去った後には耳が痛くなるほどの静寂が広がるばかりであった。そして恐ろしいほどの静寂は、<救世の剣>の面々にニアが消えてしまった事を実感させるには十分過ぎるものだった。
「そ、んな……ニア、様……」
「ニアちゃん……」
「嘘よ、こんな……ニア様が、死ぬなんて……!」
「くそっ! 俺たちが、もっと強ければ……!」
「うわああぁぁぁぁんっ!!」
やがて誰もがとめどなく涙を零して嘆き悲しみ、咽び泣き、憤りを露わにする。自分たちの憧れる眩い光が消え去ってしまった事に対して、無力で役立たずで不甲斐ない自分に対して、様々な鬱屈した思いを。
表面上の反応は怒りか悲しみかの二通りであったが、誰もが弱い自分を呪い責め苛んでいるのは共通していた。
「……これは驚きの展開だな。まさか我らが邪神の手で蘇生されておきながら、無様にも死を迎えるとは」
「そうですね。でもこの方が良かったと思いますよ? これで親子仲良く、いつまでも一緒にいる事が出来ますから」
「ふん、異常者め……」
唯一平静なのは<救世の剣>の面々ではないハニエルとバールの二人のみ。アルカを助けるでもなく遠巻きに眺めていただけの二人は、阿鼻叫喚の中においても何ら痛痒を感じていないようであった。
「まあ良い。これで義理は果たした。疾く我らが主の下に戻るとしよう」
「そうですね。早く邪神様の下に戻りましょう」
仇討ちという感情も特に無いようで、バールは虚空に手をかざし闇の扉を生み出す。どうやら本当に邪神の下に帰還するらしい。絶望の淵に沈み碌に戦う事も出来ない<救世の剣>のメンバーたちを片付けるチャンスだというのに。
恐らくそれは、毛ほどにも脅威に思われていないため。ニアを失った有象無象など、警戒にも値しないと思われているに違いない。ますます全員の怒りと無力感が逆撫でされるが、だからといって全員で挑みかかっても返り討ちにされるのは目に見えていた。
「……所詮はあの兎娘頼りの烏合の衆か。己が消えた途端にこの様では、奴も浮かばれんだろうに」
「可哀そうな方でしたね、ニアさん。こんな方々のせいで若くして死んでしまうなんて……」
何より二人が零した言葉だけで、<救世の剣>の面々は立ち上がれなくなるほど打ちのめされてしまう。
そもそもこの戦いはニア一人でならどうとでもなったはずなのだ。しかし弱く頼りない自分たちを信じ己の命運を託したからこそ、最悪の結末を迎えてしまった。全ては自分たちが弱く、ニアの信頼に応えられなかったのが原因である。
だからこそバールとハニエルの言葉は心に鋭く突き刺さり、無力な自分たちへの憤りを深めるのだった。
「仲間たちの未来のために刺し違えて死んだというのに、残された者たちがこの有様ではな。つまらん。殺す価値も無い」
「それじゃあ皆さん、またいつかお会いしましょう。どうかそれまでお元気で」
そうしてバールとハニエルは闇の扉を潜り抜け、いずこかへと去って行った。
結果的に<救世の剣>の面々は一掃されず生き残った形となるが、安堵よりも屈辱と怒りの方が大きかった。殺す価値も無い愚物と断じられた事は勿論、それが正しい評価である事が何よりも屈辱であった。
「……………………」
そして闘技場には、すすり泣く声だけが響く悲しい静寂が訪れる。
英雄たるニアはおらず、また彼女を補佐していた仮面の従者もいない。偉大な存在が自分たちの至らなさが原因で消え去ってしまい、皆の心と意識にはぽっかりと穴が開いていた。これからどうすれば良いのか、それ以前にこの場から動く事すらも考えられないほどに。
「……ひとまず、拠点に帰りましょうか。色々と考えなくちゃいけない事ややらなきゃいけない事もあるけれど、今は休息が一番大事だわ。何も考えず、泥のように眠って休みましょう」
しかしそんな中、ザドキエルだけは立ち上がり皆に指示を出す。
今は何も考えたくない者ばかりな事もあり、大勢が彼女の言葉に脳死で従い帰り支度を始める。しかし未だ動く事も出来ない者も多く存在し、何より彼女の指示が受け入れられない者も存在した。あるいは、彼女自身を受け入れられない者も。
「何で……何でお前は、そんなに落ち着いてるんだ!? 私たちが弱かったせいで、ニア様が死んでしまったんだぞっ!? ニア様が魔獣族だからなのか!? この差別主義者めっ!」
あまりにも薄情な反応に、ルキフグスはザドキエルの胸倉を掴み上げ食って掛かる。
自分には責任が無いなどとふざけた事を抜かす気は無かったが、だからといって彼女の淡白な反応を見過ごす事など出来なかった。
「……あなたみたいに感情を露わにして、無様に取り乱せば満足なの? それで何か変わるの? ニアちゃんが帰ってくるっていうの?」
「こ、このっ……!」
ぞっとするほど冷めた目で見下ろしてくるザドキエルに、殺意にも近しい怒りが沸き上がってくる。このままその澄ました顔面を殴りつけてやろうかと考えた時、ふとルキフグスは気が付いた。ザドキエルの掌からとめどなく血が零れている事に。
恐らくそれは、強く拳を握ったが故に出来た傷痕。怒りか屈辱か、どちらにせよ爪が肌を突き破るほどに固く拳を握りしめていたに違いない。
何も感じていないわけではなかった。ザドキエルもまた、煮え滾るほどの様々な感情を胸に抱いていたのだ。酷く冷酷に見えるのも、必死に取り繕った結果なのだろう。
「……悪いけど、今はあなたに構っている余裕は無いの。悲劇のヒロインを気取りたいなら一人でやってて」
その証拠に、ザドキエルは極めて淡白な言葉しか口にしなかった。普段は笑顔で軽口や挑発を好き放題並べ立てるというのに、今は冷たく吐き捨てるのみ。
今まで散々腹の立つ対応をされてきた事はあるが、表面上でもここまで冷たく対応された事など無い。それがまた今のルキフグスには耐え難い反応であり、ザドキエルの胸倉を掴み上げていた手からは自然と力が失われてしまった
「う、ううっ……ニア、様ぁ……!」
そしてそのまま崩れ落ち、両手で顔を覆ってさめざめと涙を零す。
強く正しく高潔で、眩い光を放っていた憧れの人。彼女がいなくなってしまったという残酷な現実はあまりにも重く、ルキフグスはもう生娘のように泣きじゃくるしかなかった。
薔薇……いや、何でも無い……。




