絶望の別れ
その後は白熱した戦いが繰り広げられていたとは思えないほど、あっさりとした結末を迎えた。己の身体を引きずりながらも、ハニエルはトルファトーレとルキフグスを場外に転がし勝利したのだ。
無論二人は抵抗を試みた。しかし片や肉体の限界で指先一本動かず、片や右腕以外の四肢と内臓を幾つか無くし、意識を保つ事すら難しい状態。魔力も枯渇している以上成す術がなく、無様に場外へ落とされてしまった。尤も巨竜と化しているルキフグスの巨体が一番の抵抗となり、ハニエルもなけなしの魔力を振り絞る事になり大いに苦戦していたが。
何とも締まりのない結末だが、英雄ニアの命を賭けた戦いが終わってしまったのは事実。結果はアルカの二勝一敗という、絶対に受け入れられない結末であった。
「これにて無事に戦いは終了だ。契約通り、ヌルの全ては私のものとなる。ああ、これでようやく悲願を果たす事が出来る! ついに最強の生命体の創造が叶うぞ! フフフ、ハハハハハハハハハッ!!」
絶望が広がる闘技場、舞台の中心でアルカの歓喜の叫びが木霊する。
まだ戦う気力が残っている者たちの中には、ここでアルカを討つ事を考える者たちもいた。しかし相手はニアの一刀を受け止める力を持つ存在。加えて決着がついた時点で契約魔術の効果が発揮されており、ニアは文字通りアルカのものとなった。故に命令には逆らえず、彼女が『皆殺しにせよ』と命じればニアの意思に拘わらず実行してしまうのだ。例え相手が<救世の剣>のメンバーであろうとも。
故に誰一人としてアルカを打倒できるとは思えず、ただ絶望の中で嘆く他に無かった。ニアを失った悲しみと、己自身の無力さを。
「はいはい、おめでと。ところで可愛い娘のお願いを聞いてくれないかしら?」
だが当の本人であるニアは、絶望など欠片も漂わせていない。狂喜乱舞するアルカに呆れた目を向け、投げやり気味にそんな事を口走るだけであった。
「ふむ、何だ? 今の私は上機嫌だ。大概の願いは叶えてやろう」
「せめて皆にお別れを言わせてくれない? これが最期なんだし、それくらいは良いでしょ?」
「別れの挨拶か。良いだろう、好きにすると良い。お前が私のものになった事実は、どう足掻こうとも変えられないのだからな」
「そうね、今更逃げたりはしないわよ。逃げられないように契約で縛られてるんだし」
すでにニアを掌中のものとしたアルカは最高に機嫌が良いらしく、ニアの頼みを快く受け入れた。
尤も勝敗が決した時点で、ニアはアルカの命令に逆らえない奴隷と化したも同然なのだ。逃げる事など出来る訳も無いので、機嫌の良い今はこの程度の頼みを聞く事など屁でも無いのだろう。
故に満を持して最後の時間を手に入れたニアは、舞台から飛び降り仲間たちに歩み寄って行った。最後の別れを告げるために。
「に、ニア、様……ご、ごめん、なさい……!」
「本当に、ごめんなさい。私達では、力が及ばなかったわ……」
最初にニアが歩み寄ったのは、元の姿に戻ったルキフグスと解凍されたザドキエルの元。
二人は負傷を魔法によって癒されており、傍から見ればダメージなど無いように見える。しかし二人共顔面蒼白で身体を震わせており、とても無傷には見えなかった。
ザドキエルは血が滴り落ちるほどに拳を握りしめ、ルキフグスに至ってはとめどなく涙を零ししゃくり上げている。誰が見ても一目で分かるほどに、己の無力さに打ち震えていた。
「悔やんでる暇があるなら、前を見なさい。もう私はいなくなるのよ? そしてその穴を埋めるのはあんたたち二人。リーダーが落ち込んでたら、後に続く奴らも気が滅入るってもんじゃない」
そんな二人を糾弾するでもなく、ニアは厳しくも優しい声をかけた。完全に自分の末路を受け入れた、怒りなど微塵も無い声音で。
その優しさが余計に罪悪感を逆撫でするのだろう。ルキフグスは更にしゃくり上げ、ザドキエルの瞳にも涙が滲むのであった。
「で、でも、私なんか、リーダーの器じゃ……!」
「そうね、確かにあんたはリーダーの器じゃないわ。人と接するのが苦手だし、性格もだいぶ暗いしね。逆にザドキエルはちょっと大雑把っていうか、雑な所が目立つせいで安心してリーダーを任せられないわ」
「あらあら、手厳しいわね……」
手のひらを反すように貶され片や愕然とし、片や苦笑する。
とはいえ二人共自覚はしているので、反論らしい反論は出なかった。むしろ最後の時まで正直に接してくれるニアが、どうしようもなく愛しくなってしまうほどだった。何故なら彼女が立場でも見た目でも種族でも無く、個人として自分を見てくれている事が分かったから。
そして彼女はザドキエルたちの手を取ると、それをお互いに重ねさせた。決して自分たちからはしないであろう事を、何の臆面もなく。
「だからこそ、こうやって手を取り合うのよ。お互いに協力して足りない物を埋め合う事が出来れば、きっと私以上の立派なリーダーになれるわ。あんたたち一人一人にはとても任せられない大役だけど、二人が心から認め合い手を取り合う事が出来たなら……私も、安心して後を任せられるわ」
「に、ニア、様……」
「ニア、ちゃん……」
二人の重ねられた手を、小さな両手で包み込んでくるニア。普段なら憎き相手と手を繋げば即座に振り払っていたが、今だけは全くそんな気が起きなかった。酷く寂しげで涙すら浮かべている彼女の姿を前にして、そして小さな掌から伝わってくる確かな温もりを振り払う事など、絶対に出来なかったから。
「あんたたちもよ。私がいなくなっても、絶対に諦めないで。種族の垣根を越えて手を取り合い、一丸となって邪神と戦うの。まだ差別や敵意が色濃く残る世界だけど、あんたたちなら世界を変えられると信じてるわ」
「ニア様……!」
「リーダーっ!」
「姉貴ぃ!」
ニアは涙を湛えたまま周囲を見渡し、<救世の剣>のメンバーたちに呼びかける。最早誰もがとめどなく涙を零しており、別れを惜しみ嘆き悲しんでいた。そしてニアを守る事が出来なかった自分たちの不甲斐なさを呪い、深い憤りを感じていた。
「短い間だったけど、あんたたちと過ごした日々は凄く幸せだったわ。誰も憎み合い争う事なく、お互いを認め合う平和な理想の世界――私の代わりに、あんたたちがそんな世界を実現してくれると嬉しいわ」
だというのに、ニアは涙ながらに自分たちに期待を込めた言葉をかけてくる。それが喜ばしくも耐え難いほどに重く、最早誰もが嗚咽を零すのに精いっぱいで、言葉を返す事が出来なかった。
「……まだ生きてる?」
「ええ、何とか……ですが、もう身体が動きませんし……目も、見えません……」
ニアが最後に歩み寄ったのは、己の忠実な従者であるトルファトーレ。肉体の限界を迎えてしまった身体には治癒魔法を重ねても効果は無く、動かなくなった身体を地面に投げ出していた。
しかも手足の末端から徐々に崩壊が始まっており、灰のように崩れ去り壊れ始めている。目も見えないという本人の言葉も手伝い、すでに長くないのは誰もが理解していた。
「そう。それじゃ、一緒に行く?」
「はい……ニア様も、アレと二人きりでの旅路は辛いでしょう……?」
「そうね。まあ、あんたがいれば退屈はしなさそうだわ」
ニアは涙を拭うと、トルファトーレの身体を抱え上げた。そうして舞台へと上がり、中心に佇むアルカの下へと戻って行く。
一歩一歩遠ざかっていく自分たちのリーダーの姿。小さな背中がより小さくなっていく光景。<救世の剣>の面々は永遠の別れを実感させられ、泣いている場合では無いと思い直し反射的に武器を取るのであった。
「――駄目ですよ、皆さん。これは契約で決まった事なんですから、今更反故にするなんてそれこそ認められません。約束は破ってはいけないと、ご両親から教わりませんでしたか?」
「すでに決闘は終了した。故にお前たちを殺しても何の問題も無い。雪辱戦をしたいというのなら相手になっても構わんが、二度と日の光を見られない事を覚悟するのだな」
「っ……!」
しかし行動を起こす前に、宙に浮かぶ二人の化物に警告される。いかなる手法か完全に回復した大天使ハニエルと、魔将バールが睨みを利かせていたのだ。邪魔をする者は許さないとでも言わんばかりに。
<救世の剣>の最高戦力でも勝利出来なかった相手に、自分たちが敵う道理はない。論理ではなく放たれるプレッシャーにより感覚で理解させられ、誰もが本能的な恐怖により身動きが取れなくなってしまう。出来たのは屈辱に歯噛みする事だけであった。
結局ニアを止める事は出来ず、彼女はやがてアルカの下へと辿り着いてしまった。
「……ねえ、最後にもう一つだけお願いしても良い?」
「ふむ、何だ? その廃棄品を持ち帰りたいとでも言うのか?」
「違うわよ。ただ最後に一度だけ、私の事を抱きしめてくれない? 母親らしく、子供にするように」
そうしてトルファトーレの身体を傍らに降ろすと、両手を広げてアルカにそう求めた。まるで子供のように、実にいじらしい願いを。どこか恥ずかしそうに頬を染めて。
普通ならばそんな願いは求めるまでも無く叶えられるものだが、生憎とニアの家庭環境は普通ではない。何せ母親が娘を実験台にして、狂気の改造手術を行っているのだ。まともな親子間の触れ合いが一切無い事は、誰の目にも明らかだった。
「ああ、親子の愛情を求めているのか。お前にとっては最後になるのだから、一度も感じられなかった愛情を求めるのも仕方ないかもしれないな。私にそんな感情は無いが、形だけは応えてやろう」
最後だからか、あるいは自身の夢が叶う事で上機嫌になっているからか、アルカは何の逡巡も無くその願いに応えた。ニアの小さな体に両腕を回し、固く抱擁する事で。
本来ならニアとゼロ距離で接するなど自殺に等しい行為であるが、今のアルカは邪神の祝福によりニアと遜色ない力を得ている。また契約魔術により敵対行動を封じられているため、危険性は無いと判断したに違いない。
「どうだ? これがお前が求めていたものだろう?」
だからこそ、アルカは完全に油断していた。腕の中の娘は敵対行動が取れず、傍らに倒れる失敗作は虫の息。<救世の剣>の面々はハニエルとバールにより身動きが取れない。警戒する要素など何一つ存在しなかったから。
「ええ、そうね。正にこれを求めてたのよ。やりなさい、トルファ」
「共に行きましょう、ニア様――グラビティ・ボム起動」
故にこの不意打ちは確実に決まる。ニアは契約の範囲外であるトルファトーレを経由して、最後の反抗に移るのであった。




