肉体の限界
「えっ、バールさん場外ですか!?」
「えっ、マ――やりましたね、お二人共」
ザドキエルの奇策と捨て身の策の合わせ技により、遂に魔将バールは場外へと落ちた。これには一対一で渡り合っていたハニエルとトルファトーレも驚愕しており、しばし動きを止めていた。トルファトーレの言葉遣いが若干乱れたような気がしたものの、たぶん気のせいに違いない。
「う、うう……死ぬかと、思った……」
何にせよ動きが止まったのなら今がチャンス。
バールは場外に落ちたが、まだ敵は一人残っている。ザドキエルが身を呈して痛み分けに持ち込んだ以上、ルキフグスも同等以上の働きをしなければならないのだ。背中を何十か所も抉られボロボロになってはいるが、泣き言など言っていられなかった。
「……これであなたは負傷を肩代わりさせる事はできないはずです。私たちの勝ちは決まったようなものですね」
「いえ、そうとは限りませんよ? バールさんに肩代わりして頂くのが反則になるのなら、反則にならない相手に肩代わりして貰えば良いだけじゃないですか――ヒール」
「なっ……!?」
故にルキフグスは己の背に治癒魔法を行使しようとしたのが、その寸前にハニエルからの治癒が飛んできた。身体が暖かい光に包まれ、一瞬にして背の負傷が完治する。
治癒の腕前に思わず舌を巻きそうになるが、その前にとある事実に気付いてしまい舌打ちする他になかった。何故ならこれで厄介な魔法が再び成立してしまったから。
「これで今度はルキフグスさんが私を守る盾になってくださいます。絆の力って素晴らしいですよね。さあ、そんな私を攻撃できますか?」
「こ、コイツ……!」
にっこりと純真な笑みを浮かべ、空に羽ばたきルキフグスたちを見下ろすハニエル。
先ほどまではバールに負傷を肩代わりさせていたが、今度はルキフグスをその対象にしてしまったのだ。絆の力とうそぶきながら、実際には人質でしかない悪辣さ。隙を突かれた悔しさも相まって、あまりの怒りに言葉が出てこなかった。
「……確かに攻めづらくなりましたね。ですが殺しを封じられたルールである以上、それはあなたも同じ事。以前に行使していた凶悪なヒールを禁じられたあなたは、攻撃手段に欠けていると言わざるを得ません」
「あっ、痛い所を突かれちゃいましたね。実はそうなんです。私、人を傷つけるのは苦手なんですよ。だから攻撃的な魔法は得意じゃなくて……」
トルファトーレも迂闊に攻められない事を察し、地上からハニエルを見上げたまま動かない。恐らく会話しながら作戦を練っているのだろう。
ルキフグスも作戦を考えるが、特に何も思い浮かばない。何より今のルキフグスは自力で人型に戻る事が出来ないのでただのデカい的であり、更に下手をすると自身の攻撃にトルファトーレを巻き込む恐れがある。自分の身体の事ながら、リングの半分以上を埋める巨体はあまりにも邪魔過ぎた。
挙句今のルキフグスはハニエルの負傷を強制的に肩代わりさせられる状態であり、完全に足手纏いである。邪魔になりこそすれトルファトーレの助力となる事が出来ず、図体だけデカいばかりで何の役にも立てない事が腹立たしくて堪らなかった。こんな役立たずならいっそ場外に落ちてしまった方がむしろ有難いかもしれない。
「でもその分、人を癒す事は得意なんですよ? 失ってしまった部位だってすぐに治してあげられますし、完全に元通りにする事が出来ますからね。即死でさえなければ、どんな負傷も即座に完治させてみせますよ」
「素晴らしい力ですね。その力を邪神に利用されている事が残念でなりません」
「失った……部位……?」
思わず場外に視線を向けていたルキフグスだったが、ハニエルの言葉に記憶が刺激され一つの仮説を閃く。
確かに今のルキフグスはハニエルの負傷を肩代わりする人質兼肉盾のような存在だ。それは動かしようのない事実である。死体は別の要因で肉塊になっていたとはいえ、負傷を無理やり肩代わりさせられた存在はサントゥアリオの街で嫌というほど見てしまった。
その時は彼らが肉塊と化していたために分かり辛く、気付く事が出来なかった。しかし今は違う。武術を収めた事で太刀筋が特徴的に残るルキフグスだからこそ、そして実際に自分も肩代わりさせられる存在になってしまったからこそ、気付いたのだ。彼らが肩代わりさせられる負傷の特徴を。
「さて、どうしたものでしょうか。ダメージを与えても強制的に肩代わりさせてしまうわけですが……」
「か、構わない……気にせず、攻撃して欲しい……!」
「よろしいんですか? ダメージはあなたに跳ね返りますよ?」
「わ、私に、考えがある! 奴の左腕を、狙って欲しい……!」
確信があるわけではなかったが、ルキフグスは出来る限り自信を以て言い放った。
間違いだったらどうしようという怯えはあるものの、そんな臆病なままでは己の身を犠牲にバールを脱落させたザドキエルに笑われてしまう。それに何より、ニアの役に立つ事などできない。今のルキフグスにとってはニアの役に立てない事、そしてニアがいなくなってしまう事が、何よりの恐怖であった。
だからこそ、確信が無くても言い放つ。最悪の場合、ルキフグスが傷つくだけで済むのだから。
「……分かりました。あなたの作戦に従います」
その覚悟を受け取ったのか、トルファトーレは深く頷き構えを取った。徒手空拳とはいえ、放たれるプレッシャーはかなりのもの。背後にそびえ立つ竜の姿のルキフグスでさえ、触れれば切り裂かれそうなほどの圧力を感じた。
しかしその圧力を向けられる当の大天使は鈍感なのか、あるいは攻撃は全て肩代わりされるため油断しているのか、緊張感の無い表情で上空で羽ばたいてた。
「私に攻撃するんですか? 止めた方が良いですよ? 代わりにルキフグスさんが傷ついてしまうと分かってますよね?」
「もちろんです。しかし彼女には何か考えがあるそうなので、遠慮無く行かせて貰います――ふっ!!」
小首を傾げたハニエルにそう返すと、トルファトーレは爆発的な跳躍によって一気に肉薄した。そして完全に反応出来なかった彼女の左腕を、半ばから手刀で一閃する。
当然負傷は全てルキフグスに肩代わりさせられるので、本来ならハニエルの腕には掠り傷すらつかない――はずだった。
「いっ――きゃあああぁぁぁっ!? い、痛い、痛い、痛いですっ!」
だがハニエルの左腕は二の腕から断ち切られ、大量の鮮血を迸らせた。斬り飛ばされた腕は着地したトルファトーレの傍らに静かに落下し、真っ赤な血溜まりを形作る。
完全に予想外の痛みと負傷だったのだろう。ハニエルは泣きながら悲鳴を上げ、悶えながら舞台の上に墜落した。
「や、やっぱり、な……思った、通りだ……」
「ルキフグス様、その腕は……」
その無様な姿を眺め、ルキフグスは痛みを堪えていた。ハニエルとほぼ同様、二の腕を半ばから断ち切られた腕の痛みを。
しかしこれは肩代わりした結果ではない。何故ならこれはルキフグス自身が己の腕を鋭利な爪で斬り落とした結果――つまりは自傷であった。
「ふ、負傷を肩代わりさせる魔法で死んだ人たちの遺体は、皆、負傷した個所や傷の具合が、同じなわけじゃなかった……分かり辛かったけど、私が斬りつけた位置と、同じ場所にあった……たぶん、同じ個所に同じ負傷を肩代わりさせる魔法、なんだと思う……」
説明は苦手だったが、ルキフグスは何とか言葉を絞り出す。
これこそが先ほど気付いた事実。負傷を肩代わりさせられた人々は肉塊となっていたため分かり辛かったが、彼らの負傷は全てハニエルの身体に叩き込まれたのと同じ位置に発生していたのだ。首を刎ねる一撃なら肉塊の上方部分が綺麗に斬り飛ばされ、腕を刎ねる一撃なら横の部分が、胴体を袈裟に両断する負傷なら斜めに斬り落とされるといった具合に。
だからこそ、ルキフグスはとある仮説を閃いたのだ。ハニエルの負傷を肩代わりさせられる前に、その部分を失くしてしまえばいいのではないか、と。
「なので自分で左腕を斬り落とした、という事ですか」
「ひ、必要なら、どこだって斬り落とすし、抉り出す……ニア様の、ために……」
「その心意気、感服致しました。もしもの場合は、お任せしても?」
「ま、任せて……!」
トルファトーレに頼られ、ルキフグスは痛みも薄れるほどの喜びを覚えた。
とはいえ本当はわざわざ自傷せずとも、場外に出てしまえばルール上肩代わりの魔法は使用できなくなる。普通に考えればその方が賢明であり、激痛に苛まれる必要も無い。しかし万一トルファトーレが敗北してしまった場合に備え、ルキフグスはあえて残る事に決めたのだ。
確かにこの巨体は邪魔でしかないが、だからこそ場合によってはそれを活かして相手を場外に押し出す事も不可能ではない。何より圧倒的な巨体と鋭利な爪や牙は、視覚的に相当なプレッシャーを与える事が出来る。つまりルキフグスが舞台の上に存在するだけで、ハニエルに対して心理的圧迫を与える事が可能なはずなのだ。
それにザドキエルとは異なり未だこの戦いで明確に役立っていないため、何も成せぬまま脱落など絶対に許せなかった。例え瀕死の重傷で無様に這い蹲り、激痛に苛まれる事になろうとも。
「そんな! 自分を傷つけるなんていけません! あなたの身体は、あなただけのものではないんですよ! あなたが傷つく事で悲しむ人も大勢いるんですよ!?」
「ひ、人に負傷を押し付ける奴が、ふざけた事を抜かすな……!」
立ち上がったハニエルが喚きたてながら治癒を行い、お互いの身体を癒す。互いに失くした腕が即座に再生し元通りとなるが、ルキフグスは躊躇いなくもう一度自分の左腕を斬り落とした。
尋常でない激痛が走り、鮮血が迸り舞台上を血で染め上げる。巨竜と化しているため血液も相当な量であり、それこそバケツをひっくり返したような量の血が周囲を汚す。背中の負傷に加えて腕を切り落とすのは二度目なので、常人なら間違いなく出血多量で昏倒しているだろう。
しかし今のルキフグスの生命力は飛躍的に向上しているため、反応は軽く眩暈を起こす程度。少なくとも巨竜の姿でいる限り、相当な致命傷を負わなければ死ぬ事は無いと断言できた。故に必要とあらば四肢を斬り落とし、内臓を抉り出す事すらも視野に入れていた。
「さて、それではハニエル様。少々泥仕合にお付き合い願います。あまり好みではありませんが、あなたの魔力が尽きるまで痛めつけさせていただきます」
「負けませんよ! 私は、ゆ――邪神様のお役に立つんです!」
無敵の盾を剥がれ余裕を失ったハニエルは、それでも決して諦観は見せない。白翼を広げ空に舞い上がると、再び跳躍したトルファトーレと空中で交錯するのだった。
「う……ぁ……!」
「はぁ……はぁ……!」
どれほどの時間が経った頃だろうか。舞台上はかつてないほど血と肉片に塗れ、凄惨な殺人現場の如き有様と化していた。
至る所に転がっているのは、切り落とされる度に自ら治癒し再生させたハニエルの手足。山のように積まれているのは、再生させられる度に自ら切り落とし抉り出したルキフグスの手足や内臓。数十か所に点在する泥のような水溜りは、ハニエルの過剰な治癒により腐り落とされ己の力で再生するトルファトーレの身体の一部。
泥仕合ともまた違う悍ましい削り合いの末、舞台上の誰もが瀕死になるほど疲弊していた。ハニエルは血の気の失せた顔で膝を付き、魔力も完全に枯渇していた。対してルキフグスは未だ巨竜の姿を保っているものの、右手以外の四肢を失い内臓の幾つかを抉り出した状態で血溜まりに伏し動けなかった。
「どうやらそろそろ魔力切れのようですね。ここまでです、ハニエル様」
唯一平然としているのはトルファトーレだが、フルフェイスの仮面により顔色が窺えないだけで真実は分からなかった。そもそも彼自身、己の血肉によって黒衣の衣装が一部の隙間もなく汚れており、全身から血液と腐り落ちた肉が滴り落ちている有様。
にも拘わらず二本の足で立ち油断なく構えているのだから、ルキフグスは最早恐怖を覚える程であった。
「ま、まだ、負けませんよ……私は、絶対に、邪神様のお役に立つんです
……!」
対するハニエルは笑う膝を叱咤して立ち上がる。度重なる治癒の行使による魔力の枯渇、そして拷問と遜色ないほど痛みを叩き込まれ意識は朦朧としているにも拘わらず、未だ戦意は衰えない。
その忠誠心は正に見事の一言。ただし洗脳によって植え付けられたものなのは明白なので、実際には賞賛する類のものでは無かった。
「これで、終わりですっ!」
だからこそトルファトーレも無駄口を叩かなかったのだろう。彼は最後の一撃を放つため大地を蹴り、最早立っているだけで精いっぱいのハニエルへと肉薄し――
「ぐっ……!?」
「……あら?」
その途中で、突如として糸が切れた様に倒れ伏した。
血だまりの中でその光景を眺めていたルキフグスは、ハニエルが何か渾身の魔法でも放ったのかと勘繰った。しかしその割には彼女は目を丸くしており、むしろ戸惑いを感じているようにしか見えなかった。
「身体が、動かない……!? 一体、何故……!」
しかしトルファトーレの身体には明確に異常が発生しているらしい。彼は倒れ伏した状態で声を上げるも、全く以て身体が動かず動揺を示していた。
『どうやら天は私に味方したようだな。実験体K‐63」
そんなトルファトーレに投げかけられるのは、観客席からのアルカの声。愉悦が滲む、実に性悪な声音であった。
もしや彼女が何かしたのかとルキフグスは考えたが、すぐに違うと悟る。相手は常識や倫理観など持たない存在だが、だからこそ自分が定めたルールは守る。それは今までの決闘で死人が出ていない事からも明らかだ。
ならばトルファトーレの異常は外部の働きかけによるものではなく、内部で発生した問題である。
「まさか、これはお前の仕業か!? 第三者の介入はルール違反で反則負けとなるぞ……!」
『とんでもない。私は何もしていないぞ。ただお前が勝手に寿命を迎えただけだ』
「何……?」
『ヌルは完成品を目指した上での失敗作だが、お前は違う。模索段階の試作品の一体だ。故に寿命や肉体の強度など最初から考慮していない。これまでは再生能力のおかげで騙し騙し命を繋いでいたようだが、限界を越えた稼働に遂に肉体が壊れてしまったようだな』
すなわち、肉体の限界。
考えてみれば当然の事。ニアでさえ失敗作の烙印を押され、その寿命はすでに過ぎ去り気力で生きているようなものなのだ。彼女よりも古株に見えるトルファトーレもまた、同じく寿命など当に迎えていたに違いない。
そんな状態でハニエルの過剰な治癒に対抗するため、数え切れぬほど自らの身体を壊した。挙句の果てに肉体を酷使し、限界を越えて戦った。幾ら気力で保っていた肉体でも不滅のものではない。彼の身体は遂に決定的な最期を迎えてしまったのだ。
「ば、かな……まさか、こんな、所で……!」
よりにもよって勝利を目前とした所で迎える最期。ニアを救うための戦いで、最後の最後に自分の身体に裏切られる始末。
それは己の死への恐怖など吹き飛ばす程の屈辱だったのだろう。彼が零す呟きは、胸が痛むほどの絶望と怒りに満ちていた。
「ふうっ、危ない所でした……やっぱり神様は日頃の行いを見て下さっているんですね。ありがとうございます、邪神様!」
そんなトルファトーレとは対照的に、ハニエルは満面の笑みを浮かべていた。この世の全てが自分を祝福してくれている――そう言わんばかりの、希望に満ちた眩い笑顔を。
うわー、惜しい所で負けちゃったナー。




