三戦目直前
「……これは最悪の相手ね」
「もうっ。顔を合わせるなり最悪だなんて、ザドキエルさんったら酷いです」
舞台上に降り立った大天使の姿に、ザドキエルははしたなくも舌打ちしてしまった。
本人は頬を膨らませて可愛らしく怒っているが、その様子で胸が暖かくなるわけも無い。何故なら彼女――ハニエルは考えられ得る限り最悪の相手だからだ。
彼女がサントゥアリオの街を襲撃し、大勢の死傷者を生み出したのは記憶に新しい出来事だ。そして回避不能で防御不可能な、過剰な治癒魔法を叩き込むという反則技を行使するという事実も。未だ対抗策を思いついていないザドキエルにとっては天敵も良い所の存在であり、だからこそ目も当てられない状況に舌打ちする他に無かった。
「ば、バール、さん……? そんな、どうして……」
「久しいな、ルキフグス。息災のようで何よりだ」
おまけに相手はハニエルだけではない。恐ろしい強敵がもう一人が存在する。動揺を隠せないルキフグスの視線の先、ハニエルの隣には真祖の吸血鬼である魔将バールまでもが立っていた。
吸血鬼とは日の光に弱い点を除けば、この世界で最も優れた種族。高い再生能力に特殊な能力を併せ持ち、身体能力は人族の十倍を優に超える。
それだけならまだマシだったが、時間帯が最悪である。吸血鬼とは夜の生き物。日の光に弱い代わりに、夜は更に強さを増すという存在なのだ。そして今は夜更けであり、更に相手は吸血鬼の始まりの個体。どう考えてもその強さは想像を絶するものとしか思えず、そんな怪物がハニエルと同時に襲い掛かってくるなど性質の悪い悪夢としか思えなかった。
『驚いたか? こんな事もあろうかと、戦力として邪神から借り受けていたのだ。洗脳もすでに完全な域に達しているため、以前のような機能不全を起こす事は無い。説得しても構わないが、時間の無駄でしかないと助言しておくぞ』
「そうみたいね。ハニちゃんでさえあんな真似をしてしまうほどに深く洗脳されていたんだもの。それが前よりも更に強まったなら、言葉をかけるだけ無駄でしかなさそうだわ」
「た、戦うしか、ないのか……勝てる、のか……?」
舞台の下から化物二人を見上げる中、隣に立つルキフグスは不安げに尋ねてくる。
よりにもよって犬猿の仲のザドキエルに尋ねてくる辺り、胸中に渦巻く不安は相当なものなのだろう。彼女もまたハニエルに手も足も出ずに叩きのめされたのだから。
おまけにハニエルだけでも敗色濃厚だというのに、更に真祖の吸血鬼も相手なのだから始末に負えない。さしものザドキエルも軽口を叩く事が出来ず、背筋を冷たい汗が流れるのであった。
「――勝つしかありません。ここで負ければ、ニア様の命はそれまでなのですから」
しかし凍り付くザドキエルたちの間を通り抜け、颯爽と舞台の上に上がる者がいた。
黒衣に仮面という怪しい出で立ちの聖人族だが、ザドキエルたちに引けを取らない強者。<救世の剣>のサブリーダーであり、英雄ニアの忠実な従者――トルファトーレだ。
誰もが敵の強大さに息を呑み凍り付く中、彼だけは恐怖も怯えも無く普段通りの自然体を披露していた。
「次の戦いのメンバーは私達三人です。三対二は数の上で見れば少々卑怯ですが、私如きの戦力では一にも満たないですし問題は無いでしょう」
「そ、そんな事無いと、思うけど……」
「むしろだいぶ心強いわぁ。謙遜が過ぎると嫌味よぉ?」
あくまで自分は従者で影の者だと言い張るような口振り、そして最悪の強敵を前にして全く動じない鋼の精神力。自分たちが取るに足らない雑魚だと思い知らされているかのようで、ザドキエルも思わず皮肉を込めて返してしまう。
とはいえ彼の参戦は非常に有難い事であり、同時に一筋の光明でもあった。トルファトーレはその特殊な体質と己の技術により、ハニエルの致死的な魔法を半ば無効化し渡り合う事が出来るのだ。
彼にハニエルの相手をして貰えば、ザドキエルたちはバールを相手取るだけで済む。希望が見えてきたザドキエルは精神を持ち直し、深い深呼吸を重ねた後に己も舞台へと上がった。
僅かに遅れ慌てて上がってきたたルキフグスも希望が見えたのか、あるいは単に一人だけ置いて行かれるのが嫌だったのか。いずれにせよ舞台の上には決戦に参加するメンバーが集うのであった。
『たった三人か。まあ数だけ揃えても無意味な以上、少数精鋭の方が賢いか。開戦はそちらの好きなタイミングにすると良い。今の内に無い知恵を絞って作戦会議をしても構わんぞ?』
「その前に、一つ聞いてもいいかしら? 舞台外の人たちに魔法の効果を及ぼすのはありなのかしら?」
『当然禁止に決まっているだろう? 常識が無いのか、お前は』
「くっ。イかれた研究者のクソ親に常識を説かれるなんて、さすがに腹が立つわね……」
念のため尋ねたザドキエルに対し、観客席から理不尽な罵倒が返ってくる。
しかしこれは朗報であった。この決戦に限り、ハニエルの防御能力は著しく低下するのだ。彼女が行使する他者に負傷を肩代わりさせる無敵に近い魔法は、まず他者の負傷を癒すという大前提の下に成り立っている。舞台外の者たちに魔法の効果を及ぼすのが反則ならば、彼女の力は大いに削がれたも同然だ。
同じ結論に至ったらしくトルファトーレはザドキエルに深く頷き、ルキフグスは希望を見出したように瞳に光と戦意を取り戻しつつあった。
「大天使ハニエルの相手は私にお任せください。私なら彼女が放つ死の癒しにも対抗できます」
「ええ、お任せするわ。でも、そうなると……」
「わ、私たちで、バールさんを、倒さなきゃいけない……?」
相性の問題でハニエルをトルファトーレが相手取るしか無いのなら、ザドキエルとルキフグスの二人でバールを相手にする他ない。
ハニエルを相手取るよりはまだ希望が見えるものの、吸血鬼の力が増大する夜更けに真祖の吸血鬼と戦うのは骨が折れそうだった。
「結構厳しそうねぇ。ルキちゃん、何か彼の弱点とか知らない? 日の光以外で」
「じゃ、弱点って言っても……過去に何度も酷い目にあったせいで、女性に苦手意識がある事くらいか……他は、知らないな……」
「女性に……ふーん、なるほど……」
あまり期待せずルキフグスに尋ねてみると、存外役に立ちそうな答えが返って来た。
さすがに日の光は用意できないが、女性ならば用意する必要など無い。貧相な体系のルキフグスはともかくとして、ここには男の目を捉えて離さない豊満なスタイルの持ち主であるザドキエルがいるのだから。
「お前、何か禄でもない事考えて無いか……?」
「いいえ、別にぃ? ただニアちゃんの力となるために、私にできる事をしようとしてるだけよぉ?」
「怪しいな……」
ちょっとした奇策を考えていると、訝しんだルキフグスがじっとりと睨みつけてくる。
彼女には出来ない事なのであえて教えてマウントを取ってやりたい所だったが、話を敵に聞かれて不意打ちが出来なくなっては元も子もない。なのでザドキエルは貧乳を小馬鹿にしてやりたい気持ちを何とか抑え込むのであった。
「とりあえずハニちゃんは仮面の彼が受け持ってくれるから、私たちは吸血鬼の彼と3Pでお楽しみね?」
「さ、3……!?」
「よろしくお願いします。さすがに彼女と戦いながらもう一人にも注意を払う事など出来ませんので」
「任されたわぁ。そっちも頑張ってね?」
「もちろんです。ニア様のために、命を惜しまず戦います」
堅物なのか、あるいは一途なのか。トルファトーレは感情らしい感情を見せず、固く拳を握り遠くに並び立つバールとハニエルを見据える。
いずれにせよ、彼がニアのために己の命を賭けて戦うのは確実だ。しかも大天使とほぼ一対一の戦いを演じる事になるのだ。ならば二人がかりで魔将を相手にするザドキエルたちも、同等以上の覚悟を抱かねばならない。それこそ刺し違えてでも勝つ覚悟を。
『……ふむ。作戦会議は無しか。では準備が出来たと考えて良いのだな?」
「もちろんよぉ。さっさと始めましょう? ニアちゃんはまだ子供なんだから、こんな茶番は早く終わらせて休ませてあげないと健康に悪いわぁ」
「ぜ、絶対にニア様をお前なんかには渡さない! バールさんが相手でも、負けられない……!」
ちらりと隣のルキフグスの様子を盗み見れば、すでに覚悟は決まっているらしい。戦意に鋭く細められた瞳をかつての同胞に向け、得物を抜き放ち一切の躊躇なく構えていた。
ニアに対し崇拝にも似た感情を抱いているルキフグスもまた、トルファトーレと同様に命を賭けて戦うつもりなのだろう。臆病な彼女が少々不安だったが、これで一安心というところであった。
「不束者ですが、よろしくお願いします。精一杯お相手を務めさせて頂きますね?」
「安心しろ、殺しはしない。殺してしまってはこちらの敗北となってしまうからな」
ハニエルが微笑を湛え、バールが傲慢に見下す中、ザドキエルも大剣を構えた。
向こうはこちらを殺せば敗北となるが、こちらは殺しても構わない。故に向こうは全力を出す事が出来ないはずであり、まだザドキエルたちには勝利の可能性が残っている。
尤も勝利の可能性がゼロであろうと、決して諦めるつもりは無かった。自分でも意外だが、ザドキエルはそれほどまでにニアに深く入れ込んでいた。ここで彼女を失う事など、絶対に許容できなかったのだ。
『では最終決戦――開始だ』
故に、相手が誰であろうと躊躇わない。アルカによる開始の宣言と同時、ザドキエルは大地を蹴って飛び出した。




