エミューズ
「ふうっ。これで終わりかと思うと、やっぱりちょっと寂しいわね……」
VIP用の観客席で腰を下ろすなり、ニア――もといミニスは深々とため息を零し、意味深な台詞をぽつりと呟いた。
眼下の<救世の剣>のメンバーたちが聞けば耳を疑いそうな台詞だが、この観客席は特別仕様。声を届けようと思わない限り、ここでの会話は外には漏れない。なのでミニスは英雄ニアとしての外面だけは装いつつ、実際には素の自分自身を晒していた。
「意外だな? お前は英雄という役目を押し付けられたのだから、むしろ清々していると思ったのだが」
当然、隣に座るアルカ――もといベルもここでは素を曝け出す。見た目こそイカれた毒親研究者のままだが、ミニスに話しかけてくる様子や雰囲気は完全にベルのままであった。
「まあそういう気持ちも無くも無いわよ? でも結構長い間一緒に過ごしてきた奴らだし、そりゃあ愛着も湧くってもんよ。みんな私をキラキラした目で見て来るしね」
「そうか、羨ましい事だ。私などそんな目で見られるどころか、碌に視線を向けられなかったからな」
「悪いけどそれは仕方ないと思うわよ? ちょっと視界に入れただけで精神をかき乱す姿してるじゃない、あんた……」
頬を膨らませ妬みの眼差しを向けてくるベルには悪いが、さしものミニスも慰めの言葉をかけられなかった。今はまともな人の姿と化しているが、真の姿は直視すれば問答無用で恐慌をきたすか気が狂うという飛び切りの災厄なのだ。
幾ら魔将の頂点に位置する存在とはいえ、羨望や尊敬の眼差し以前にまともに目を向けられる者がいるとは到底思えなかった。
「むぅ。だが私を直視できる者だってそれなりにいるのだぞ? ミカエルとか、ご主人様とか」
「世界最大レベルのイカれ野郎たちを槍玉に挙げられても困るんだけど? もしかして全人類あのレベルに狂えとか言ってる……?」
反論してくるベルだが、挙げられた約二名は別の意味で化物なのでまともな反論では無かった。しかもその内一名は遠い宇宙の果てに追放されているので、実質一人である。どう考えても『それなりにいる』ではない。
思わず哀れみを抱き頭でも撫でてやりたくなってしまうミニスだったが、今のミニスたちは敵同士を演じている状態。幾らリングからこちらはほぼ見えないとはいえさすがにそんな真似をする事は出来ず、伸ばしかけた手を彷徨わせる他に無かった。
「……前から聞きたかったんだけど、あんたはあのクソ野郎に従う事に関して不満とかは特に無いわけ? メイドなんかやらされてるけど」
他に出来る事と言えば、せっかく二人きりなので踏み込んだ話をするくらい。なのでミニスはこの機にずっと気になっていた事を尋ねてみた。世界最強の生物である魔将ベルフェゴールが、いけすかない変態クソ野郎にメイドなどやらされている事に対して。
普通に考えれば屈辱の極みであり、胸の中では怒りや苛立ちが渦巻いている事は想像に難くない。ミニス自身慣れてきたというか麻痺してきたので今では何も感じないが、それでも時折苛立ちと殺意を覚えるほどだ。そのためベルも何かしら鬱屈した想いを抱えていて然るべきなのだが――
「ん? 何も無いが?」
「えっ、マジ? 何も無いの?」
返って来たのは、びっくりするほど淡白な答え。含みなど一切無い、完全な本心。
これにはミニスも目を丸くしてしまい、思わず若干身を乗り出して問い返してしまった。
「うむ。好きな姿に変身できる力を授かり、趣味の園芸を心行くまで楽しめて、お前たち手のかかる奴らの世話も出来る。これ以上に楽しく充実した日々など存在しないだろう。不満どころか、ご主人様には感謝しか無いぞ?」
「えぇ……」
挙句の果てに実に幸せそうな表情で感謝を口にするのだから、逆に身を引いてしまう。
一瞬洗脳でもされているのかと疑いたくなるミニスだったが、すぐにそれは無いと悟った。別にクルスがそういう真似をしない奴だと思ったわけではないし、むしろ必要とあらば問答無用で躊躇いなくやるタイプである。
しかしどちらかといえば嫌がる女の子に無理やりやらせるのが好きなタイプなので、わざわざ心の底から幸せを感じられる状態にしてやるなどありえなかった。そこまで優しいならミラが未だにビクビクしているわけもない。
「お前はご主人様を蛇蝎の如く嫌っているが、世界で一番恵まれた立場にいる事も多少は自覚した方が良いぞ? その分苦労をしている事は分かるがな」
「まあ恵まれた立場なのは自覚してるわよ。というか苦労の割合がだいぶ多いんだけどね……」
さりげなく普段のクルスへの態度を咎められ、ミニスは言葉に詰まってしまう。
好き勝手抱かれたりセクハラされたり無茶ぶりされる事を除けば、意外とクルスからの仲間や自分の女への待遇は悪くない。むしろ相当自由に過ごさせて貰えるし、ミニスに関しては故郷の家族への対応が非常に手厚い。そこを考えれば確かに恵まれた立場にいると言えない事も無かった。
尤もミニス自身、周りに異常者が多すぎるために思考が毒されてきている可能性も否めないが。
「ふむ。これが終わったらお前は暇になるのだし、ご主人様に何か労いを求めても良いのではないか? 別に罰は当たらんだろうし、ご主人様も拒否するほど心は狭くないだろう」
「労いねぇ……それは良い考えかもしれないけど、労いって何を求めれば良いのかしらね……?」
ベルの提案に少し思案してみるものの、不思議とミニスは何も思い浮かばなかった。それどころか大前提の暇になるという実感すら湧かないほどだ。
考えて見ればミニスは英雄ニアとして働き詰めの毎日で、休息という概念が完全に欠落していた。そしてミニス自身、働く事に喜びとやり甲斐を見出していたのだ。そんな状態で今更休暇を与えられても、何をすれば良いかなどすぐには出てこなかった。
「――お、選抜が済んだようだな。リングにぞろぞろと有象無象が上がり始めたぞ」
これでもかとミニスが頭を悩ませていると、ベルがリングを見下ろしながら声をかけてくる。見れば百人近い人数をリング上に残し、他の者たちは全員そこを降りてリングを囲む形で散開していた。
百人も初戦に当てるなど盛大な戦力の無駄にしか思えないが、今現在リング上に残っている者たちの実力は小から中程度。冒険者ランクで言えば最低ランクから中堅程度である。
初戦という事もあり戦力は温存し、数の力で勝利をもぎ取るつもりなのだろう。実力は低めの者たちばかりとはいえ、彼らの気迫は十分であった。
「勝敗は知ってるけど、滅茶苦茶不安ね? 怪我しない程度に頑張って欲しいわ……」
とはいえ、この戦いは邪悪なクソ野郎が仕組んだもの。過程はともかく勝敗も最初から決定されているため、ミニスは彼らの健闘を願う事が出来なかった。
『それではこれより、第一回戦を始める。お前たちの相手は私の作品――エミューズだ』
そうして、遂に決戦の幕開けが目前に迫る。アルカは魔道具を用いて闘技場全体に声を響かせ、高らかに己の作品の名を口にした。
「エミューズ? いや、二体いるじゃねぇかよ。どっちだよ」
「大層な名前の割には、どっちも既存の魔物じゃねぇか。これなら案外楽勝かもな?」
「馬鹿、油断するなって言われたでしょ? もしも負けたらあんたのせいだからね?」
リング上ですでに戦闘態勢に入っている<救世の剣>の面々だが、視線の先で蠢くのは単体の寄生生物と微動だにしない人型のエクス・マキナ。どちらも強敵だがそれは生物に寄生している場合、そして弱点が割れていない場合の話。
それぞれ一体ごとなら容易く排除できるスライム以下の存在であり、だからこそ<救世の剣>の面々も僅かに緊張を弛緩させていた。
『ふむ。どうやら私の作品を随分甘く見ているようだな。ではこれを見てもそんな態度でいられるか?』
だが彼らの油断は、アルカの言葉で瞬く間に驚愕へと変貌する。同時に彼らは敵が二体存在するにも拘わらず、名前が一つである意味を理解するのだった。
「なっ!? こ、こりゃあ……!?」
眼前で発生したのは、ユニオン・スライムによるエクス・マキナへの寄生。本来生物にしか寄生しないはずのユニオン・スライムが人型エクス・マキナに取りつき、その骨格や歯車の隙間を埋めるように侵食し始めたのだ。
「ユニオン・スライムが、エクス・マキナと合体した!?」
「ちょっ、ちょっと、こんなの聞いた事無いんだけど!? コイツら生物にしか取りつかないんじゃなかったの!?」
しかもエクス・マキナの表面に血管染みたどす黒い触手を縦横無尽に走らせ、内側だけでなく表面すらも覆い尽くしていく。人型である事も相まってその様子は酷く不気味であり、まるで性質の悪い死病にでも侵されているかのようだった。
『そう、ユニオン・スライムは本来生物にしか寄生しない。しかし研究と実験を重ねた結果、無生物にも寄生する力を得た特殊固体を生み出す事に成功したのだ。加えてそのユニオン・スライムとエクス・マキナは大幅な改良を加えた一点ものだ。その力を存分に楽しんでくれ』
黄金の身体を脈動する黒い血管に鎧われた融合体――もといエミューズは、元のエクス・マキナとは比較にならないほど流麗かつ自然な動作で力強い構えを取る。無手ではあるが、酷く人間的で武術的な構えを。
その時点でリング上の誰もが察した。これは間違いなく強い。油断すれば瞬く間にやられてしまう、と。
「クソッ、やっぱり一筋縄じゃ行かないっぽいな!」
「けど俺達には秘策があるぜ! エクス・マキナとユニオン・スライム対策のな!」
しかし恐れ怯える者は誰一人として存在しない。
元より<救世の剣>のメンバーたちにとって、邪神が作り上げた生物兵器の相手は日常のようなものなのだ。当然相手にする時の連携は研ぎ澄まされており、何より弱点も判明しているのだから恐れる理由など無かった。
『では、試合開始だ。良いデータを採れるよう、必死に抗ってくれると喜ばしい』
そして遂に決戦の火蓋が切って落とされた。エミューズは構えを取ったまま動かなかったものの、<救世の剣>の面々は即座に散開して周囲を囲むような陣形を取っていた。
「食らいやがれっ! 高周波音発生装置!」
「ファイア・ボールっ!」
「ライトニングっ!」
そして四方八方から様々な攻撃を浴びせる。ユニオン・スライムが弱点とする高周波音や炎に雷を何十人もが放ち、更にエクス・マキナにも通じるように聖人族と魔獣族が交互に。
駄目押しに弓矢や短剣の投擲などの遠距離物理攻撃も乱れ飛び、数多の攻撃が集中したために爆発や巻き上がった粉塵がエミューズの姿を覆い隠してしまった。
「どうだ! どれが弱点かは分からねぇが、どれかは確実に効いただろ!?」
とはいえ放たれた攻撃は、どれもユニオン・スライムとエクス・マキナには間違いなく有効打となるもの。故に誰もが勝利を確信しており、最低でも致命傷に近いダメージを与えたと自負していた。
「……は?」
だからこそ粉塵が晴れた時、誰もが目を疑った。
ダメージどころか掠り傷すら負っていないエミューズが、不動の構えで立っていたのだから。
「う、嘘っ!? 無傷とかありえなくない!?」
「おいおい! ユニオン・スライムはさっきの攻撃のどれかが弱点のはずだろ!?」
これにはリング上に動揺が走り、戦意と気迫も僅かながら落ち込む。
歴戦の強者たちならば動揺も最小限だったかもしれないが、今リング上にいるのは玉石混交の低ランクの冒険者たち。個人個人によって反応の大きさはまちまちであるものの、大多数の者たちは大いに狼狽えていた。
『お前たちは頭が悪いな? そんな大きな弱点を馬鹿正直に残しておくはずがないだろう? まあ確かに改良に一番苦労したのはその点だがな』
狼狽する彼らを嘲笑うように、アルカは衝撃の事実を口にした。
弱点を残しておくはずがない。改良に苦労した。つまりは弱点を持たない可能性がある――そんな恐ろしい事実を想起させる言葉を。
『さあ、私の力を見るが良い。絆や信頼など雑魚が群れるための言葉遊びでしか無いという事を、お前たちに教えてやろう』
リング上に絶望が広がる中、アルカの勝ち誇るような声と共にエミューズがついに動き始めた。
Q.エミューズという名前の由来は?
A.エクス・マキナ+ユニオン・スライムの頭文字四つで、E・M+U・S。なのでエミューズ。
あと前回書き忘れましたが、以前にMF文庫j新人賞に応募した作品を投稿済みです。良ければこちらもどうぞ。皆大好き現代異能物語で、主人公は超スピード能力者です。この街を守れるのは最速の僕だけだ(フラッシュ)。
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