夜更けの闘技場
⋇21章開始
魔獣族の国に存在する街、アロガンザ。巨大な闘技場が存在するこの街では定期的に闘技大会が開催され、血沸き肉躍る戦いが繰り広げられていた。
しかし邪神が現れてからというもの、国の情勢を鑑みて大会が開催される事は無くなってしまった。そのため街の活気もどこか寂れ、観客も利用者も存在しない闘技場は常に閑散として寂れて行く一方。
邪神の脅威が過ぎ去るまでは、闘技場が日の目を見る事は無いだろう――血沸き肉躍る戦いを期待する魔獣族の誰もが、嘆きや怒りと共にそう諦観していた。国や種族の存亡の危機だというのに、同族同士で傷つけあう闘技大会など開催できるわけも無いのだから。
故に闘技場を訪れる者は誰もいない。精々過去の輝かしい闘技大会に思いを馳せる者が、昔を懐かしむために稀に現れる程度である。
だがこの日この夜、闘技場の巨大な正方形を描くリングは大勢の人影で溢れ返っていた。人数はほんの数百人で、観客は一を除いてそんざいしない。しかしこれから戦いに臨む覚悟と戦意を漲らせた闘士たちが勢揃いしており、彼らの射殺すような視線は一様にVIP用の観客席へと向けられていた。
「――よく来た、ヌル。臆病風に吹かれて逃げるのではないかと危惧していたが、どうやら杞憂だったようだな」
数百の殺意をそよ風のように受け流し胸を撫で下ろすのは、王族用の豪奢な観客席に立つ一人の兎獣人。美しいエメラルドグリーンの長髪とサファイアの如き蒼い瞳を湛えた、酷く酷薄な印象を覚える女性。
狂った研究者、あるいは英雄の実母、そして邪神の協力者――アルカ。眼下にひしめく有象無象など全く視界に入らないとでも言わんばかりに、彼らの戦闘に立つ一人の少女にしか意識が向けられていなかった。
「当然でしょ。私はコイツらを信じてるんだから、逃げるなんてありえないわ」
彼女に言葉を返すのはヌルと呼ばれた少女。最強の個であり、世界の英雄――ニア。不機嫌そうにしながらも挑戦的な笑みを浮かべ、背後に付き従う己の仲間たちを親指で指し示し信頼を語るのだった。
魔獣族も聖人族も関係なく、信頼のおける仲間と信ずる心。彼女はそれを言葉だけの絵空事にせず現実のものとしてきたのだから、その高潔さには誰もが胸を打たれる事だろう。ニアほど種族の垣根を越えて他者を信頼し導く者など、この世界には存在しないのだから。
「信頼か。確かに私には理解できない感情だ。そんな私から生まれておきながら信頼という概念を理解しているなど、やはりお前は欠陥品だな」
「お生憎様。欠陥を抱えてるのはあんたよ。頭も身体もイカれてる癖に、よくも人を欠陥品扱い出来るわね?」
「当然だ。お前は私が作り出した存在なのだから、創造主である私がどのように扱おうと私の勝手だろう?」
「あっ、そう。やっぱイカれてるわね、コイツ……」
しかし彼女の母親であるアルカは感動に涙する事など無かった。理解できない物を前にしたように首を傾げ、ただただ己の子の出来の悪さを嘆くばかり。挙句の果てに自分の子供なのだからどう扱っても構わないと、至極当然の事のように口にする。
ニアが呆れ、彼女の仲間たちが殺気を強めても全く意に介さない。アルカが精神破綻者なのは誰の目からも明らかであった。
「まあいい。お前の脳には用など無いからな。どれほど脳に欠陥があろうと大した問題ではない。それで? 契約書にサインはしたのか?」
「したわよ。あまりにも長ったらしい内容に途中で何度か燃やしたくなったけどね。ほら、確認しなさい」
眉を顰めつつ、ニアは空間収納から取り出した契約書を投擲する。鈍い光を放つ短剣に括りつけた状態で。
例えただの短剣であろうと、世界最強の存在が敵意を持って投げたのだからその速度は埒外の一言。銀色の閃光と化した短剣が一直線にアルカの喉元目掛け、宙を切り裂き駆け抜ける。
しかし相手は邪神の祝福により力を得た常識外の存在。レーザーの如く迫る短剣を容易く受け止めると、括りつけられた契約書を外し冷静に目を通していた。
「……ふむ、確かに。小細工を試みた様子も無いな」
「当たり前でしょ。あんたみたいな屑と一緒にしないでくれる? 約束や契約ってものは普通破らないもんなのよ。それにこっちが従っておけば、あんたの方も余計な小細工が出来ないしね?」
「何故私が小細工をする必要があるのだ? 私の作品の方が、お前の下僕たちよりも強いというのに」
「だから下僕じゃないって言ってんでしょうが。本当に人の心や信頼ってもんが分からない屑ね?」
言葉こそ交わしているが、二者の間で思考と常識に隔たりがあるのは明白であった。他者への信頼の有無然り、約束を守るという常識の有無然り。育ちがまともでなかったはずのニアが極めて常識的であり、逆にまともに生まれ育ったはずのアルカの精神は異常の一言。
この場に集った<救世の剣>のメンバーでさえ、彼女の事は人と同じ言葉を話すだけの魔物にしか思えないのだ。長く接してきてより異常性を目の当たりにしてきたニアからすれば、魔物よりも悍ましい何かに見えているのは間違いなかった。
「まあ良いわ。それよりも今回の戦いについて、ルールの再確認をさせて貰うわよ」
とはいえ長く接してきた分諦めも深いのだろう。すぐにニアはまともな会話を諦め、この場に集った理由の方に話を持っていた。
闘技場に<救世の剣>のメンバーを引き連れて集った理由は単純明快。アルカが用意した対戦相手との決戦のためだ。この戦いで<救世の剣>が勝利すれば、アルカは大人しく命を差し出す。逆に敗北すれば、ニアはその身を差し出すという取り決めだ。契約書はその条件にお互い合意したという証明であり、同時に魔法契約であるため破る事は不可能だった。
「良いだろう。では心して聞くが良い」
ルールの再確認を求めるニアに対し、アルカは丁寧に語り始めた。
決闘のルールは極めてシンプル。合計三回戦闘を行い、先に二勝した方の勝利。アルカ側はそれぞれ二体、一体、二体の順に戦闘相手を宛がうものの、ニア側は一戦闘に何人参加させても構わない。ただし参加者は<救世の剣>のメンバーでなくてはならず、一度戦闘に参加した者は二度と戦闘に出られないという縛りがある。また当然ながらニアの参加は禁止である。
一見するとニア側が非常に有利なルールに見えるが、調子に乗って戦力を偏らせれば勝てる戦いも勝てなくなってしまう恐れがある。加えてこのルールを提示してきたのはアルカなのだから、恐らくそれだけ自分の作品の強さに自信があるのだろう。
決闘は当然この闘技場の舞台の上で行われ、武器装備の持ち込みは自由。禁止事項は特に無いが、アルカ側は相手を殺してしまったら敗北という取り決めだ。尤も人命を尊重しているわけではなく、単純に殺さずに勝てるほどの戦力差があるという言外の示威行為だと思われる。
後は常識的なルールに乗っ取った決闘であり、気絶か場外で敗北となる。数の上では<救世の剣>が有利、しかし個の力ではアルカの作品が上回るであろう戦い。意外にも条件は平等で公平性の高いものであった。
「――以上だ。何か質問は?」
ルールを語り終えたアルカは、全く不安など見せずニアたちに問う。己が作り上げた作品たちの強さに絶対の自信を持っている事が、その様子と雰囲気から窺えた。
ニアはしばし背後を振り返り仲間たちの様子を確認するも、皆には困惑や戸惑いの顔は見られない。元々契約書に記載されていたルールであり、彼らも今聞かされたわけではない。すでにルールを理解し受け入れ戦いに臨む者たちの目をしていた。
「無いわ。いつ始める?」
「そちらの好きにしろ。私の作品はいつ、どのタイミングで戦いになろうが全く問題は無い。ついでに初戦という事でサービスしてやろう。一回戦の相手を先に紹介してやる」
アルカが指を弾くと、ニアたちから離れた舞台の上に対戦相手が現れた。一戦目は二体が相手、更にアルカが作り上げた生物兵器という事で、誰もが緊張を張り詰めさせ息を呑んだものの――
「……何だありゃ? ただのエクス・マキナか?」
「それに隣の黒いスライムみたいのはユニオン・スライムか? おいおい、俺達にプレゼントでもくれるって事かよ」
「どんな化物が出て来るかと思ったら、肩透かしを食らった気分ね。私たちの事舐め過ぎじゃない?」
全く迫力を感じない相手に、誰もが緊張を弛緩させた。
しかしそれも無理からぬ事だった。何故なら彼らの視線の先に現れたのは、明らかに強さなど感じられない存在だったから。
一体は恐らくユニオン・スライム。生物に寄生し凄まじい力と暴力性を与える危険な寄生生物だが、生物に寄生していない単体での強さなどたかが知れている。
そしてもう一体は黄金色に輝く歯車などの部品で構成された怪物――人型のエクス・マキナ。
総じて警戒するような相手には思えず、<救世の剣>のメンバーたちは気が抜けてしまうのだった。何せ対処法がしっかり分かっていれば余裕で倒せる相手である。ニアのような途方も無い強さの怪物が相手だと覚悟を決めていた所に、スライムよりも弱い相手を持って来られたのだから気が抜けるのも仕方が無かった。
「見た目に惑わされちゃ駄目よ、みんな。可愛くて愛くるしいニアちゃんがどれだけ強いか忘れたの?」
「ゆ、油断大敵……!」
しかし一部の者たちは決して気を緩めない。大天使ザドキエルと魔将ルキフグスを筆頭に、一部の高ランク冒険者たちは決して油断も慢心もしていなかった。
何せこの戦いに負ければ、英雄ニアは敵の手に落ちてしまうのだ。例え相手がただのスライムであろうと、全力で戦い打ち倒す心積もりで戦意を迸らせていた。
「……そうだな。俺たちが負けたら、ニア様は一巻の終わりなんだ。ぜってぇ負けるわけにはいかねぇ」
「よし、どんなに弱そうでも死に物狂いで戦うぞ! 欠片も残さずぶっ潰してやるぜ!」
「じゃあ最初はあたしが行きたいっ! ニア様のために頑張るぞ!」
「待って待って。人選はちゃんと考えないと駄目でしょ?」
「そ、そうだな。じゃあまずは皆で相談だ!」
彼女たちに触発されたか、他の<救世の剣>のメンバーたちも覚悟と戦意を深めていく。そうして皆で集まり、一戦目に挑むメンバーの選出を始めた。
今回の決闘にはニアは参加できない。つまり自分たちで何とかしなければならないのだ。皆酷く真剣であり、まるで己の命がかかっているようは気迫が滲んでいた。
「準備が出来たら、参加者たち全員でリングに上がれ。私たちは特等席で鑑賞だ。さあ来たまえ、ヌル」
「そんな酷い名前で呼ばないでくれない? 今の私にはニアっていう名前があるのよ」
アルカに手招きされたニアは、ひとっ跳びにVIP用の観客席に向かおうとした。しかしその寸前、視線を感じて振り返る。
見れば作戦会議を始めていた<救世の剣>のメンバーたちが、一様にニアに視線を向けていた。どこか寂し気な、悲しみに満ちた目を。アルカの待つ観客席に向かうという行動が、彼女の手に落ちる末路を想起させるのだろう。誰も彼もが捨てられた子犬の如き哀れな表情を晒していた。
「……信じてるわよ。あんたたちの事」
だからこそ、ニアは彼らに一言声をかけてから地を蹴り観客席に飛び移った。自分の命を預けられる、最高の仲間たち――そんな意思を込めた言葉を。
「うおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」
「やるぞ! 絶対に俺達でニア様を守るんだっ!」
「あんな毒親にニアちゃんを渡さないわよ! 私がママになるんだからっ!」
「き、キモいぞ、お前……!」
直後、闘技場を震わせるほどの気合の叫びが上がる。数百人分の迫真の叫びはかつての闘技場の大歓声を思わせるほどに激しく、どこまでも響き渡るのだった。
21章開始。しかし大体ずっと真面目でマッチポンプ塗れな上にいまいち面白みに欠ける戦いが続くので、ちょくちょく箸休めを挟んでいます。あと反動で章の後半はだいぶふざけました。




