任せるに足る存在
「に、ニア、様……」
決して短くない時間を経て、ようやくルキフグスが言葉を絞り出す。
しかし零れ出たのはニアの名前のみであり、単語だけにも拘わらず胸が張り裂けそうなほどの悲哀がありありと感じられた。
「なるほどね。それじゃあ、寿命がもう残されていないっていうのは……」
「本来なら吸血鬼の不死性を前提とした改造手術だもの。そんなものやられたんだから、寿命なんか縮まって当然でしょ。むしろここまで命があるだけ奇跡ってもんよ」
最早ショックで碌に言葉も口にできないルキフグスに代わり、ザドキエルが問いを投げかける。
無論返って来たのは耳を塞ぎたくなるような凄惨な答え。強力な再生能力を持つ吸血鬼である事が前提の改造手術とは、果たしてどれほどの苦痛を伴う残酷なものなのか。最早思い浮かべる事すら躊躇われ、ザドキエルは意図的に思考を打ち切った。
何より恐ろしいのは、ニアがそれらの出来事をごく自然に語っている様子だ。一応感情を見せてはいるが、まるで他人の日記を読み上げているような薄さである。元々の生まれから全てを受け入れ自分への仕打ちも当然の事だと考えているのか、あるいは凄惨な過去すらも容易く乗り越えるほど強靭な精神を持っているのか。恐らくは後者だろうとザドキエルは予想していた。
「それであの女は着々と最強の生命体を作る準備を進めてたけど、ある日実験対象の奴隷たちが反乱を起こしたのよ。邪神の例の魔法で理不尽な契約から解き放たれた奴らがね。あの女は戦闘能力も低いし、そこであっけなく殺されたってわけ」
「それは不幸中の幸いだったわね。邪神に感謝するわけじゃないけど、おかげであなたも自由の身になれたのね?」
「そうよ。でも晴れて外の世界に出て見たら、聖人族だの魔獣族だの種族の違いとかいうくだらない事で争ってて失望したわ。邪神とかいう訳の分からない化け物がいるってのに、あんたらみんな馬鹿じゃないの?」
「うーん、さすがに返す言葉が見当たらないわねぇ……」
「ご、ごめん、なさい……」
ここでは機嫌の悪さを露わにしたニアに対し、さすがにザドキエルも言葉に詰まってしまう。ルキフグスは必死に謝罪を絞り出す始末だ。
実験体としての日々から解放され、いざ自由な世界に飛び出せばそこに広がっていたのは見るに堪えないほど醜い争いが続く世界。こんなもの失望どころか、怒りのあまり全てを滅ぼしてしまってもおかしくなかった。しかしニアが選んだのは真逆の道である。
「世界には馬鹿ばっかりだし、どうせ寿命が残されてないならせめて意義のある事に使いたいじゃない? だからこの力を使って、あんたたちみたいな馬鹿を導いて世界を救おうって思ったのよ。まあこの調子だと、私は途中退場しそうな感じね」
怒りに身を任せ滅ぼすのではなく、理性を以て人々を導く。
彼女は生まれてからずっと幸せなど知らなかったのだから、自由の身になった今残り少ない命で己の幸せを追求しても罰は当たらない。にも拘わらず大義のために己の命を使うなど、やはり本物の英雄である。確かに生まれこそ呪われたものだが、その強さと精神性は本物だった。
こんな偉大な人物に後を任せられるに足る存在と認められるなど、ザドキエルとしても経験が無いほど身に余る光栄であった。感激のあまりちょっと濡れそうになったのは秘密の話である。
「そうなったら<救世の剣>はあんたたちに任せようと思ってたんだけど、こんだけ仲が悪いとちょっとねぇ……?」
しかし直後に呆れた表情でため息を吐かれてしまうのだから、浮ついた気持ちも一気に冷えてしまう。
彼女に失望されたくない気持ちから、やむなくザドキエルは隣のルキフグスを固く抱きしめ仲の良さをアピールした。
「――ぼふっ!?」
「大丈夫よ、ニアちゃん! ほら、私たちはこんなに仲良しだもの!」
「く、苦しい……その無駄にデカいもの、ひ、引っ込めろぉ……!」
腕の中でルキフグスはちょっと藻掻いているが、本気で抵抗はしてこない。やはり彼女もニアに失望されるなどごめんなのだろう。ザドキエルの胸に溺れながらもわりと大人しくしていた。
とはいえあくまでも表面上だけくっついているのは明らか。なのでニアの冷ややかな視線が変わる事は無く、もう一度深いため息を零されてしまった。
「……ともかく。これがあの女についての話、そして私の出生の秘密よ。それで? 私がまともな生まれじゃない怪物って分かっても、まだついてきてくれる?」
次いで今度はどこか期待するような面持ちで尋ねてくる辺り、やはりニアもザドキエルたちには目をかけているのだろう。となれば返す言葉は決まっている。
「も、もちろん、です! 一生、ついていきますっ!」
「ふふっ、そんな事気にしないわよぉ。ニアちゃんはニアちゃんだもの。そこを考えると、女神に作られた私たちの方が異常じゃないかしら?」
今更生まれがどうこうで信頼が揺らぐわけはない。ニアには真に世界平和を目指し邁進しているという実績があり、それを成し遂げるための力もある。人格も精神も非の打ちどころがなく、多少普通ではない生まれだろうと従うに迷いなど無かった。ルキフグスの場合はあまり深く考えていない気もするが。
「そういえばあんたたちは、女神様が直々に生み出したんだっけ。ふーん……」
「あ、あらー? 何で睨まれてるのかしら、私……?」
場の空気を和らげるための発言だったのだが、何故かニアはザドキエルたちを睨みつけてくる。瞳に浮かぶのは嫉妬か、あるいは羨望という所。超常的な存在にぽんと作り出されたザドキエルたちを不気味に思うでもなく、そんな眼差しを向けて来るとはさすがに予想外が過ぎるのだった。
とはいえニアの凄惨な過去を考えると、人の腹から生まれた程度では慰めにもならないだろう。嫉妬やら何やらを抱かれても別におかしくはなかった。ニアも若干理不尽な気持ちを抱いていると思ったのか、一つ咳払いして妙な空気を払拭したが。
「……ともかく、あんたたちがついてきてくれるのは心強いわ。あの女が邪神と繋がってる以上、私一人だとちょっと心許ないしね。下手すると私並みの化物が量産されてもおかしくないし」
「あっ……だ、だからバールさん、邪神の下僕に拉致されたのか……?」
「たぶんその時点で邪神と繋がっていたんでしょうね。今度こそ真に最強の生命体を作ろうとしてるんじゃないかしら。ハニちゃんまで拉致した理由は良く分からないけれど」
ニアの話と邪神側の動きから察するに、どう考えてもアルカは最強の生命体の創造を諦めていない。むしろ子種の持ち主となるバールを捕えた事で、より高度な実験を行う事が可能となったと言えるだろう。
そんな相手に時間を与えれば、状況は悪くなる一方。下手をすると本当にニアと同等の力を持つ化物が量産される恐れがある。そうなったら世界の滅亡は確定だ。
「何にせよ、早い所あの女をあの世に送り返す必要があるわね。まあ、それよりも先に<救世の剣>のメンバーに諸々話さないといけないけど……」
世界の滅亡を避けるには、一致団結が不可欠。しかしニアは己の秘密を<救世の剣>のメンバーたちに明かすのは躊躇いがあるらしい。若干沈んだ表情で俯いていた。
「大丈夫よ、ニアちゃん。きっと皆受け入れてくれるわ」
「そ、そうです! 世界のために身を粉にして働くニア様を拒絶するなんて、ありえません……!」
そんなニアをルキフグスと共に元気付ける。
万が一ニアを受け入れない者がいたら、武力行使も辞さない心持ちである。尤も<救世の剣>のメンバーは全員人格的にも非の打ちどころのないので、恐らく心配は杞憂になるだろうが。
「……そうね。私の今までの頑張りが報われる事を祈るわ」
ザドキエルたちの慰めに対し、ニアは微笑みを浮かべ頷いてくれた。尤もその笑顔の裏に隠された疲労感は、幼い少女とは思えないほど激しく重かったが。
「それでまあ、これで胸糞悪い話は終わりなんだけど……何か質問とかある?」
「はいはいっ! はーいっ!」
「誰も子供みたいに手を上げろとは言ってないわよ。何が知りたいの?」
「仮面の彼との馴れ初めが知りたいわぁ。ニアちゃんがいかにして彼とそういう関係になったのか、私はとっても興味があるの」
重苦しい空気が過ぎ去った事もあり、ザドキエルは満を持してそれを尋ねた。
仮面の従者トルファトーレと英雄ニアが肉体関係にあるのは周知の事実だ。しかしその馴れ初めや今に至るまでの経緯は誰も知らない。ニアもトルファトーレもアルカの実験台であった事は分かるが、それ以上の事は分からないのだ。ならば是非ともこの機に聞き出しておきたかった。女の子はコイバナが大好物なのだから。
「お、おいっ、それはプライベートな話だろ……!?」
「えー? 女の子なら皆大好きなコイバナよぉ? ルキちゃんみたいな枯れた子ならともかく、知りたいって思うのは女の子として当然じゃない?」
「だ、誰が枯れてる女だっ!?」
ルキフグスが眉を吊り上げ怒鳴ってくるものの、一応は女の子なので実はちょっと興味があるらしい。ザドキエルを睨みつつも、視線は時折ニアの方へチラチラ向けられていた。
「あーはいはい、喧嘩しない。知りたいなら話してあげるわよ。まああんたが思うほど色っぽい関係性ではないけどね」
そんなザドキエルたちを窘めつつ、ニアは再び語り出した。世界最強の少女でも己の色恋を語るのは恥ずかしいのか、若干頬を赤く染めながら。
真にお労しいのは捏造された過去でヤベー女とヤってる事になってる某残念イケメン吸血鬼だったりする……。




