第8話 有能すぎる旦那様と、副官たちの謀議、そして氷の女公爵の猛嫉妬
古代魔導核心の暴走をあっさりと解決した翌日。
ヴァルハイト公爵邸の庭園にある東屋では、ちょっとしたお茶会が開かれていた。
「いやあ、トア様、本当に助かりましたよ。あのまま工房が吹き飛んでいたら、我が軍の予算案ごと俺も物理的に消し飛ぶところでした。」
そう言って、高級なハーブティーを美味そうに啜っているのは、リゼの副官であるバルトだ。
いつもの「胃が痛そうな顔」はどこへやら、今は実になめらかな笑みを浮かべている。
「いえ、お役に立てて良かったです。バルトさんも、いつもリゼさんの破天荒な命令の処理、お疲れ様です。これ、もしよかったらどうぞ。」
トアがにこやかに差し出したのは、厨房を借りて焼き上げた特製のクッキーと、疲れ目を癒やす薬草をブレンドした特製のお茶。
古文書の知識から「疲労回復に効く古代の配合」を再現したものだ。
「……っ!? な、なんですかこの美味さは……! それに、一週間分の徹夜の疲労が、泥のように溶けていく感覚がする……!」
バルトが目を見開いて感動していると、庭木の手入れをしていた老庭師や、洗濯物を抱えたメイドたちも、吸い寄せられるように集まってきた。
「トア様、先ほどは裏庭の『枯れかけていた世界樹の苗木』の適切な肥料について教えていただき、ありがとうございました。言われた通りにしたら、一瞬で新芽が芽吹きましてな……。あれは国宝級の知識ですぞ!」
「トア様ぁ、私たちが長年悩んでいた、魔導シミがついた高級軍服の落とし方、トア様に教わった古文書の洗浄液を試したら、新品みたいに真っ白になりました! もう、トア様なしの公爵邸なんて考えられません!」
「いやいや、みなさん大げさですよ。ただ本に書いてあった生活の知恵ですから。」
トアがおっとり笑うと、使用人たちは「なんと謙虚な……」「やはり神が遣わした聖人か」と、拝むようにため息を漏らす。
今や公爵邸において、トアの支持率は120%。バルトにいたっては、すでにトアを「我が軍の最高相談役兼・閣下の精神安定剤」として、絶対に手放してはならない最重要人物に指定していた。
「時に、トア様。閣下との『進展』はいかがですか? 閣下は毎夜、自室で『今日のトアの可愛いところリスト』を分厚いノートに書き殴っておられるようですが……」
バルトがニヤリと笑いながら、極秘情報をリークする。
「えっ、そんなものを……? あはは、リゼさんは相変わらず可愛いですね。あ、でも、昨日一緒に寝た時は、ベッドの中でずっと俺の腕をギュッと抱きしめて離してくれなくて――」
トアがいつも通りの無自覚な天然タラシぶりを発揮し、甘い同棲生活の惚気を口にした、その時だった。
――ゴゴゴゴゴゴゴ……。
突如として、東屋の周囲の空間が、物理的にメリメリと音を立てて歪み始めた。
心地よかった初秋の風が、一瞬にして皮膚を切り裂くような「絶対零度の吹雪」へと変貌する。
「ひえっ……!?」
「この底冷えする凄まじいプレッシャーは……!」
バルトや使用人たちがガタガタと震えながら振り返る。
そこには、執務室から帰ってきたばかりのアルテリゼ・ヴァルハイトが立っていた。
その琥珀色の瞳は完全に据わっており、全身から噴き出す凄まじい「龍圧」によって、東屋の周囲のバラの庭園が一瞬で美しく結晶化していく。
「……バルト。それに使用人たちよ。私が少し目を離した隙に、随分と楽しそうに我が伴侶と睦み合っているではないか?」
リゼの声は、地獄の底から響くかのように冷たかった。
彼女の視線は、トアのすぐ隣に座ってクッキーを食べているバルトの距離感に、完全にロックオンされている。
「か、閣下!? これは業務の一環というか、トア様のケアを――」
「黙れ。トアが焼いた世界に一つだけのクッキーを、なぜお前たちが口にしている? それは私が、一生をかけて、一枚ずつ、聖遺物のように崇めながら食べるべきものではなかったのか……!?」
(((重い!!! 嫉妬の方向性が重すぎる!!!)))
バルトたちの心の声が綺麗にハモる。
リゼは一歩一歩、大理石の床を凍らせながらトアの元へと歩み寄ると、バルトを龍圧だけで数メートル後方へ吹き飛ばし、トアの前に割り込んだ。
プラチナブロンドの髪の隙間から飛び出した「竜の耳」は、怒りと嫉妬でこれ以上ないほど逆立ち、太い尻尾は威嚇のためにビターン!!と地面を叩いて激しい風を起こしている。
「トア……! 私というものがありながら、バルトたちとそんなに親しげにするなんて……浮気、か……!? 私の愛では、足りないというのか……っ!?」
リゼは顔を真っ赤にし、大真面目に涙目を浮かべながら、トアの軍服(トア用に仕立てられたもの)の袖をギュッと掴んで激しく揺さぶる。
(相変わらず可愛いなぁ、この人は。)
帝国最強の女公爵の、あまりにも独占欲の強すぎる、そして最高にウブな嫉妬。
「リゼさん、浮気なわけないじゃないですか。みんな、リゼさんの部下で、俺の大切な仲間ですよ?」
トアは苦笑しながら、リゼの細い腰をグッと引き寄せ、そのおでこに「ちゅっ」と優しくキスを落とした。
「……ひゃうっ!?!?!?」
瞬間、リゼの全身の動きが停止した。
耳はペタンと限界まで伏せられ、顔面から蒸気が上がるのではないかというほど真っ赤になる。
さっきまで周囲を凍らせていた「龍圧」は一瞬で消え去り、今度は火山が噴火したかのような「超高温の熱気」へと変わって、周囲の氷をすべて一瞬で蒸発させた。
「あ、あ、頭が、融ける……。トアが、私に、お前たちの前で、接吻を……っ」
トロンとした完全な腑抜け状態になったリゼは、そのままトアの胸の中にスッポリと収まり、使い物にならなくなった。
その様子を、数メートル後ろで煤だらけになりながら見ていたバルトは、眼鏡を指で押し上げながら深くため息をつく。
「……ハァ。我が公爵家は今日も平和ですね。トア様、お茶のおかわりをいただけますか?」
「ええ、今淹れますね。」
胸の中でフシュウゥゥと大人しくなった「最強の猛獣(可愛い婚約者)」の背中をポンポンとあやしながら、トアはいつも通りの穏やかな笑顔で、再びティーポットを傾けるのだった。




