第6話 無能が呼び寄せた大炎上と、公爵邸への命知らずな襲来
トアがヴァルハイト公爵邸に移り住んでから、一週間。古文書館では、未曾有の大パニックが発生していた。
「な、なぜ解読できないんだ……!? ただの文字だろう! 早くしろ、来週には王宮への提出期限が迫っているんだぞ!」
青筋を立てて怒鳴り散らしているのは、ジュリアンの父親であり、古文書館を私物化していた侯爵――ガイル・ルベルト。
そしてその隣では、ジュリアンが不機嫌そうに貧乏揺すりをしている。
彼らは知らなかったのだ。
今まさに山積みなっている古文書を、トアがどれほど超人的な速度と正確さで処理していたかを。
トアという「防波堤」を失った古文書館の機能は、完全に停止していた。
「あ、あの、ルベルト様……。トアが残した解読用の記述法は、彼独自の特殊な術式と知識がベースになっておりまして……我々では逆立ちしても、一文すら解読できないのです……。トア本人に解読してもらわない限りどうしようもありません...。」
他の書記官たちがガタガタと震えながら報告する。
「チッ、あの無能の平民め、小細工を残していきおって……!」
ジュリアンが忌々しそうに吐き捨てた。
「……フン、仕方のないやつだ。トアのやつ、今頃は行く当てもなく路頭に迷って泣きついている頃だろう。ジュリアン、直々に公爵邸へ行くぞ。アルテリゼ閣下に『あの平民は我が家の大事な書類を盗んで逃げた犯罪者だ』と吹き込めば、閣下もあやつを叩き出すはずだ。その後、泣いて許しを請うトアを連れ戻し、タダ働きで解読させればいい。」
彼らは完全に勘違いしていた。
あの日、リゼがトアを連れ去ったのは「トアが何か重大な犯罪に加担したため、憲兵として連行した。」のだと、脳内で都合よく書き換えていたのだ。
なぜなら、帝国最強の女公爵が、あんな冴えない平民を「伴侶」として迎えるはずがないと思い込んでいたからである。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同日、ヴァルハイト公爵邸。
いつものようにリゼへ手作りの昼食(特製カツサンド)を振る舞い、二人で仲良くお互いに「あーん」をし合っていた、その平和な時間が破られた。
「アルテリゼ閣下! 大変不躾ながら、我が古文書館から逃亡した犯罪者――トア・レンバートを捕縛しに参りました!」
(何だ?)
トアが急な訪問に驚いていると、公爵邸の豪奢な応接間に、大声を張り上げながらガイル伯爵とジュリアンが踏み込んできた。
案内したメイド長のリサは、文字通り「憐れみの目」で彼らを見つめているが、二人はそれに気づかない。
「おい、トア! 貴様、我が館の大事な極秘書類を盗み出してここに隠れているな!? 職務怠慢の上、泥棒とは恐れ入る。だが、慈悲深い私が今すぐ戻って解読を手伝うなら、罪を不問にしてやっても――」
ジュリアンが、ソファーに座るトアを指差して勝ち誇ったように笑う。
――その瞬間。
応接間全体の空気が、一瞬で「絶対零度」へと凍りついた。
ガイル伯爵とジュリアンの言葉が、喉の奥で凍りつく。
二人の視線の先にいたのは、静かに立ち上がったアルテリゼ・ヴァルハイト。
その琥珀色の瞳は、かつて数多の戦場で敵を震え上がらせた、冷酷無比な「氷竜の眼」そのものだった。
(リゼさんが怒っちゃったよ。)
「……私の聞き間違いでなければ、今、我が最愛の婚約者を『無能』『泥棒』と呼んだか?」
リゼの声は低く、地を這うように響いた。
彼女の全身から溢れ出た、手加減なしの「龍圧」が室内に爆発する。
凄まじい風圧と重圧に、応接間の大理石の床にピキピキと亀裂が入った。
「ひ、ひえっ……!? あ、アルテリゼ閣下……!? な、なぜその平民を『婚約者』などと……っ!?」
ガイル侯爵がその圧力に耐えかねて膝をつき、顔面蒼白で叫ぶ。
「黙れ、不敬者が!!」
リゼが一歩踏み出す。
その瞬間、ジュリアンの足元がパキパキと凍りつき、彼の自慢の高級ブーツが床に完全に氷漬けにされた。
「トアは我が公爵家が全霊をかけて迎えた、世界で最も尊く、最も偉大な私の伴侶だ。貴様らのような、他人の功績を貪るだけしか能のない寄生虫が、気安く罵っていい存在ではない。」
「あ、うあ、あ……」
ジュリアンは恐怖のあまり失禁しかけ、ガタガタと歯を鳴らして震えることしかできない。
「バルト、そこにいる二人の爵位剥奪の手続きを進めろ。それと、ルベルト侯爵家が管理していた古文書館の予算に不正流用がないか、我が公爵家の監査官を全員投入して徹底的に洗え。埃の一片すら残さず、全てを毟り取れ。」
背後に控えていた副官のバルトが、いつになく冷徹な笑みを浮かべて「御意に、閣下」と頭を下げる。
「ま、待ってください! それでは我が家は破滅――」
「連れて行け。」
リゼの冷たい一言で、私設兵たちによって引きずられていく親子。
ジュリアンは氷漬けになった足を引きはがされ、情けない悲鳴を上げながら連行されていった。
(あらぁ。行っちゃった。)
彼らに待っているのは、地位も財産もすべて失う、本当の「路頭に迷う生活」だ。
静まり返った応接間で、リゼはふぅと息を吐き、俺の方を振り返った。
その瞬間、さっきまでの「冷徹な魔王」のようなオーラは霧散し、プラチナブロンドの髪から飛び出した竜の耳が、不安そうにペタンと寝ている。
「……トア、すまない。せっかくの昼食の時間を、あのような不浄な手合いに汚させてしまった。私の手際が悪く、君に不快な思いを……その、嫌い、になっていないだろうか……?」
ウルウルとした瞳で、捨てられたトカゲ……いや、子犬のように俺の顔色を窺ってくるリゼさん。
「そんなわけないじゃないですか。俺のために怒ってくれて、すごく嬉しかったです。リゼさんは、世界一格好いい俺の奥さん(予定)ですよ。」
俺がそう言って、彼女の頭を優しく撫でてあげると、リゼさんの顔は一瞬でリンゴのように真っ赤になった。
ポンッ!と飛び出した太い尻尾が、今度は嬉しさのあまり応接間の高級ソファーを「ボカボカボカ!」と激しく叩き、中綿を少し飛び散らせている。
「トア……! ああ、トア……! やはり君は私の光だ……!」
幸せそうに俺の胸に飛び込んでくる、帝国最強(だけどトア限定で限界突破の甘えん坊)なヒロインを抱きしめながら、俺は、あの親子に少しだけ「自業自得だな」と思い、カツサンドの残りをリゼさんの口に運んであげるのだった。




