第5話 最強の女公爵は、俺の手料理に(物理的に)のぼせる
古文書館から荷物を運び出し、本格的に始まったヴァルハイト公爵邸での新生活。
その翌朝、俺は、夜明けの清々しい光が差し込む公爵邸の広大な厨房に立っていた。
王宮のそれにも匹敵する、ピカピカに磨き上げられた最新鋭の魔導コンロや最高級の調理器具たち。
そんな大仰な空間で、俺は一本の古びた包丁を握り、トントンと軽快な音を響かせる。
(設備がすごい!さすが公爵邸だ。)
「あ、あの、トア様……! 本当に、本当に私どもがお作りしなくてよろしいのですか……!?」
俺の背後では、公爵家の総料理長をはじめとする、一国の一流ホテルを任せられるレベルの凄腕料理人たちが、まるで爆弾の解体作業でも見守るかのようにハラハラとした表情で列をなしていた。
彼らにとって、主人の最愛の婚約者(しかも未来の公爵夫、いや旦那様)が自ら厨房に立ち、泥臭い根菜を刻んでいるなど前代未聞の異常事態なのだろう。
「ええ、いつも自分が食べているような素朴なものですから。リゼさん、昨夜も遅くまで山のような書類仕事をしていて少し疲れているようでしたし……俺の料理を食べて、元気になってほしくて。」
俺がいつも通りおっとりと微笑みながら答えると、総料理長はハッと息を呑み、
「な、なんと健気な……! 閣下の心だけでなく、健康までこれほど深く慮られるとは……っ!」と、ハンカチで目頭を押さえて感動の涙を流し始めた。
背後の料理人たちも
「おお……」「なんて素晴らしいお方を迎えられたんだ……」と拝むように手を合わせている。
どうやらこの短期間で、公爵邸の使用人たちの間でも、俺は『閣下に愛される癒やし系旦那様』として完全に受け入れられ、全会一致で崇拝されつつあるらしい。
(そこまで感動しなくても...。)
そんなことを思いつつ俺が作ったのは、実家でよく食べていた、根菜と干し肉をじっくりとコトコト煮込んだスープ。
そして、表面を炭火でカリッと香ばしく焼き上げたライ麦パンに、自家製の濃厚なバターを贅沢に塗ったもの。
宮廷料理のようなきらびやかな高級食材は一つも使っていない。
だが、灰汁を丁寧にすくい、素材の旨味をじっくりと時間をかけて引き出した、温かくて優しい、ただそれだけの家庭料理だ。
(よし!完成だ!)
銀のお盆に二人分の朝食を乗せ、リゼさんの私室へと運ぶ。
――コンコン。
「リゼさん、朝ご飯を持ってきました。」
「あ、ああ! 入ってくれ、トア!」
重厚な扉を開けると、そこにはすでに隙のない軍服に身を包み、デスクで山積みの領地書類と格闘しているリゼさんの姿があった。
相変わらず、ペンを走らせるその横顔は冷徹で、恐ろしいほどに男前だ。
「おはようございます。朝ご飯、少し多めに作ってみたので一緒に食べませんか?」
「トア……!? き、君がわざわざ作ったのか……っ!?」
俺の姿を認めた瞬間、リゼさんの氷のような凛とした表情が、春の陽光が弾けたかのようにパッと華やいだ。
彼女はデスクの上の重要書類(国家機密レベルのものも混ざっている気がする)を、残像が見えるほどの驚異的な速度でガサッと片付け、子供のように嬉しそうにテーブルへとやってきてちょこんと腰掛けた。
(ふふ。子供みたい。)
「豪華なものは用意できませんでしたが、温かいうちにどうぞ。」
「あ、ありがとう……感謝する。トアが私のために、その手で紡いでくれた料理……我がヴァルハイト家の家宝として永遠に保存……いや、今食べねばダメだな。うん!」
(俺の料理にそんな価値はありません!)
大真面目な顔で時空の歪んだボケをかますリゼさんに苦笑しつつ、スプーンを手渡す。
リゼさんは背筋をピンと伸ばし、琥珀色の瞳できらきらとスープを見つめた後、そっと一口、温かいスープを口に運んだ。
「――っ!?」一口食べた瞬間、リゼさんの動きがピタリと止まった。
彫刻のように美しい容姿が完全に凝固し、琥珀色の瞳がこれ以上ないほど大きく見開かれる。
そして、みるみるうちにその大きな瞳が、じわっと涙で潤んでいく。
「り、リゼさん……? やっぱり、お口に合いませんでしたか……?」
(やっぱり口に合わなかったか⁈)
俺が心配になって顔を覗き込むと、リゼさんはぶんぶんと激しく首を横に振った。
「ち、違う! 違うのだ、トア……! 美しい……いや、美味しい……! 凄まじく美味しいのだ……! 身体の芯まで、君の底知れない優しさと温かさが五臓六腑に染み渡っていく……!」
「へ?」
彼女はそこから、まるで夢中になった子供のようにスプーンを動かし、スープを口に運び、パンを夢中でかじり始めた。
帝国最強と謳われ、普段はどんな最高級の宮廷料理も「生きるための燃料」として事務的に口に運ぶだけだった彼女が、一介の元書記官の作った朝食を、本当に、本当に幸せそうに頬張っている。
すると、あまりの感動と幸福感が、彼女の強大な魔力を刺激してしまったのだろう。
――ポンッ! パタパタパタパタ!
「あっ」
リゼさんのプラチナブロンドの美しい髪の隙間から、夜空のように深い紺色をした、愛らしい『竜の耳』が勢いよく飛び出した。
さらに、軍服のタイトなスリットを押し退けるようにして、太く立派な『竜の尻尾』が飛び出し、フローリングの床を「ドスドスドス!」と嬉しそうに激しく叩き始めたのだ。
「……あ。し、しまった……! 感情が、その、幸福度が飽和すると、部位の先祖返り制御が……っ!」
リゼさんは一瞬で顔を真っ赤に染め、飛び出した耳を両手でペタンと伏せ、激しくのたうつ尻尾を必死に太ももで押さえ込もうとする。
普段の「男前な女公爵」からは天地がひっくり返っても想像がつかない、あまりのウブで可愛らしい姿に、今度は俺の胸が激しく撃ち抜かれた。
「ふふ、可愛いですね。制御なんてしなくていいですよ。美味しいって言ってもらえて、俺、すごく嬉しいです。」
俺はそっと手を伸ばし、恥ずかしさで震えているリゼさんの、竜の耳の付け根の柔らかい部分を優しく指先で撫でてあげた。
「ひゃんっ……!?」
(ひゃん?)
最強の女公爵らしからぬ、鼓膜がとろけそうな可愛い悲鳴を上げて、リゼさんは一瞬で脱力した。
そのままトロンとした締まりのない目になり、俺の胸の中へと、すとんと頭を預けてくる。
(まるで子犬に懐かれたみたいだな。)
彼女の身体から無意識に漏れ出しているはずの、周囲を威圧する「龍圧」は、今や心地よい床暖房や極上の毛布のように、ポカポカと優しく俺を包み込んでいた。
「トア……ずるいぞ……。これでは、これではもう……君の料理なしでは、生きていけない身体になってしまうではないか……」
胸元に顔を埋め、耳をピコピコと動かしながら、消え入りそうな声で甘えてくる最愛の婚約者。
「お安い御用です。これから一生、あなたの胃袋は俺が預かりますからね。」
(こんなに喜んでくれるなんて嬉しいなぁ。)
俺は腕に少し力を込め、最強で、最高に愛くるしい彼女を優しく抱きしめながら、これからも彼女を幸せにするために、毎日美味しい料理を作り続けようと、静かに心に誓うのだった。




